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三章
ゼロ道路の風景

            少年少女の自転車旅行隊 村や町の旗 赤地に白丸の国旗
            子供の徒歩旅行隊 アワビ村のある家 首都に着く

 昼ごろ、アキラはまんなかの土手の切れ目につくられた空き地に車をとめました。こうした空き地はところどころにあって、木かげの気持ちよい休み場所になっているのです。
 ぼくらはそこで昼食をとりました。アキラのおべんとうもぼくのも竹の皮につつまれた握りめしでした。竹の皮をひらくと、こうばしいみそのにおいが鼻をつきました。なかには、みそをぬってこんがりとあぶった大きな握りめしが二つと、焼いた塩ジャケの切り身が一つ、それにキュウリのみそづけがはいっていました。ぼくらは握りめしとおかずを半分ずつ交換し合って食べました。アキラがもってきた水筒のなかには、ゆうべおばあさんが出してくれた薬草の香りのする飲みものがはいっていました。アキラは、日没国ではお茶が少ししかとれないので、クコをはじめとする、ありとあらゆる薬用植物から飲みものをつくっているといいました。「これは、からだに非常によいものだ」といって、かれはその飲みものをおいしそうに飲みました。かれはコーヒーやココアやコカコーラなどの味を知っていませんでした。ぼくはちょっとアキラが気の毒におもえました。が、もしかれにコーヒーやコカコーラを飲ませたとしたら、かれは野蛮人のようにまずいといってそれをはき出してしまうかもしれないとも思われ
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ました。
 昼食がすんだので、ぼくが竹の皮をすてようとしたらアキラにとめられました。アキラは「まだ使える」といい、自分のといっしょにしてもち帰ることにしました。ぼくは、日没国では紙も不足しているので、竹の皮まで大切にしているのかと思いました。
 アキラの車はふたたびのんびりと走ってゆきました。
 しばらくすると、ぼくらの車ははるか前方、左側の歩道を自転車に乗って走っている白シャツの一団を追っていました。近づいて見ると、それはひとりの青年に引率され、二列にならんで走っている十四、五歳の少年少女、三、四十人ばかりの一隊でした。かれらは自転車のうしろに色とりどりの三角旗や四角旗をなびかせていました。
 アキラの車を見ると、かれらはいっせいに、日焼けして赤らんだ顔むこちらにふりむけ、まっ白い歯をみせて笑ったり、何かさけんだり、手をふったりしました。アキラも手をふってこれに答えながら、かれらを追いこしました。ウサギがはねている絵がえがかれている三角旗がたくさん見られました。
「平四、連中の旗を見たかい?」とアキラがいいました。
「ウサギの絵がかいてある旗ですね?……見ましたよ」とぼくは答えました。
「あれはウサギ村の連中さ」とアキラはほほえみをうかべていいました。
「え?」とぼくは聞きかえしました。「へんな名の村ですね。ちょっと珍しい名ですね」
「いや、ほんとうの名はちゃんとあるさ。高山《たかやま》村というんだ。だが、あの村の旗じるしがウサギだもんだから、ウサギ村といったほうがとおりがいいんだよ。ぼくの村はイノシシ村でとおってるよ」
「そうするとイノシシの絵がかかれた旗があるんですか?」
「あるとも!」そういってアキラはトラックの先を指さしました。みると、なるほど、いままで気にも
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とめていませんでしたが、車の頭にイノシシが走っている絵がえがかれた小さな三角旗がはためいていたのです。
「あれがぼくの村の旗さ。ぼくらが大切にしている旗だ」アキラはほこらしげにいいました。「ぼくの最初の記憶のなかに、もうあの旗がはいっているんだ。国じゅうどこへいっても、みんな自分の村や町の旗をもっているんだよ」
「どんな村でも一つのこらずこういう旗をもっているんですか?」とぼくは興味を覚えてききました。
「もってるとも! しかし同じものは一つもないよ。それはいけない約束だ。人まねは知恵のないことだし、同じ旗だといっしょになったとき見わけがつかなくてこまるからね」
 アキラは旗じるしのことで面白い話をきかせてくれました。
「それは祭りや行事や大勢でいっしょにやる仕事や遊びなど、いろんなときに使われる」とアキラは話しました。「形はいろいろあるが三角旗が多い。というのは布地が倹約できるから。旗じるしは自分たちの土地や仕事にちなんだものがえらばれるが、同じものはさっきいったようにゆるされないから、ずいぶん変わっていて愉快なものがあるよ。旗じるしは早いもの勝ちで決まっていったそうだからね。山のほうの連中はワシ、タカ、クマ、イノシシ、シカ、タヌキ、キツネ、ウサギなどをとったり、マツ、スギ、モミ、クリからヤマユリ、オニアザミまでいろいろなものをとった。同じように海のほうの連中は船、燈台、クジラ、マグロ、サケ、マス、ニシン、タコ、イカからエビ、アワビ、ホタテ貝、ホヤ、それにコンブ、ワカメにいたるまで、なんでもとった。町のほうの連中はというと、自動車、トラクター、ラジオ、ハンマー、歯車から時計、スキ、クワ、メガネ、ペンなどなどをえらんだ。まごまごしていた連中は、目ぼしいものをみなさらわれてしまったあとになって困ったらしいよ。で、かれらはゼンマイ、ワラビ、マツタケ、ナメコ、カボチャ、キュウリからドジョウ、メダカ、コオロギ、ミミズのようなものまで、……はては、スプーン、クツ、サンダルのようなパッとしないものまでもえらばなければならなかった……」
「まごまごしていた連中のほうが、いい旗じるしをえらんだようですね」とぼくはくすくす笑いながらいいました。「ナメコやキュウリ、メダカやミミズの旗じるしのほうがワシやクマより傑作ですよ」
 ぼくは立派な大人たちがナメコやミミズの旗をひるがえして、まじめくさって行進している風景を想像したのです。
「まったく、そのとおりだ。まごまご連中のほうがとくをしたね」アキラは思い出し笑いをしながらいいました。「対抗試合のときはとても面白いよ。なにしろリスがクマをノックアウトしてしまうし、メダカがクジラをのみこんでしまうし、ミミズがトラクターをひっくりかえしてしまうんだからね。見物人は大よろこびさ」
「タコがキュウリを食べるのはどうですか?」ぼくらは旗じるしにまつわるおかしな話に笑い興じました。
 しばらくして一台の車にすれちがったあと、また自転車を走らせている三、四十人ばかりの少年少女の一隊に追いつきました。かれらはウサギ村の連中とおない年ぐらいで、ひとりの若い女性に引率されていました。かれらとあいさつをかわしながら見ると、かれらの自転車にはシカがえがかれている三角旗がたくさんはためいていました。(シカ村の連中だな)と思った瞬間、ぼくは一本の妙な四角旗に気づきました。さっきウサギ村の旗のなかにもチラッと見たような気がしましたが、並木のかげでよく見えなかった妙な旗でした。
「あっ、アキラ! あれはなんの旗ですか?」ぼくはあわててアキラのひじをつっつきました。
 アキラがその旗に目を走らせたとき、車はかれらの一隊をあとにしていました。
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「ああ、あれかい」とアキラはいいました。「あれはぼくらみんなの旗――日没国の国旗さ」
 なんと風変わりな旗だったでしょう! ぼくはそれまでに一度もそんな国旗を見たことがなかったのです。それはぼくら日本の国旗――あの美しい日の丸の旗をあべこべにしたもの、日の丸の旗の白地を真紅にし、赤丸を白丸にした旗だったのです! けれども、色あざやかなその旗のひらめくさまはぼくの脳裏にピーンと焼きつきました。
(日の丸におとらずこの旗も美しい)とぼくは感じました。(夕やけの赤い空、白くかがやく太陽、やっぱりこれも美しい!)
「だれがあの旗を国旗にきめたのですか?」とぼくはたずねました。
「ぼくらの代表たちさ」とアキラ。「日没国という国の名を三日三晩かかってきめたとき、ついでに旗もきめたのさ。国じゅうからいろんなアイディアがあつまってきたそうだが、結局あれがいちばんということになったそうだ。日の丸の旗のさかさま――日没国だからそれがぴったりじやないかね」
「さかさまにしても美しいものですね」
「年寄りたちは、はじめはおどろいたそうだよ。だが、だんだんなれてくると、いい旗だというようになったそうだ。ぼくらははじめから世界一いい旗だと誇りにしているがね」
 道は上り坂にかかり、三条の並木はモミの木に変わりました。アキラの車は重おもしいうなり声をあげはじめました。長いことのぼってゆくと、片側に高いガケをひかえた大小四つのトンネルが大きな口をあけて待っていました。
 トンネルの入り口は、大阪城の城壁の土台のような巨大な石できずかれており、コケやツタでおおわれていました。入り口の横の大石に、ツルハシを持って立っているクマの絵がきざみこまれていました。そのわけをきくと、アキラはそのトンネルをつくったクマ村の連中が、自分たちの仕事の思い出にやったことだと教えてくれました。
 トンネルのなかは、ゆっくり歩いて通りたくなるような気持ちのよい場所でした。ガケぎわの岩壁にたくさんうがたれた明かりとりの大窓は、かがやきならぶ天然のシャンデリアで、四つのトンネルの照明になっていました。というのは、四つのトンネルは厚い岩壁で仕切られていましたが、適当なへだたりをおいてたくみにうがたれた大穴が明かりを奥までみちびきいれていたからです。で、トンネルのなかは、大むかしのギリシャの神殿を思わせるような美しくおごそかなふんい気をもっていましたが、同時に天然の冷蔵庫になっていて、しばらく夏を忘れさせてくれるのでした。
 そのトンネルをぬけてすこしゆくと、また同じようなトンネルでした。つぎつぎに、キツネ、シカ、いがに包まれたクリの実、ヤマユリの花などが入り口の大石にきざみこまれているのが見られました。
 いくつかのトンネルをぬけると、道は下り坂にかかり、目の前が広びろとひらけてきました。眼下には田や畑や人家をかかえた森をしたがえた丘が遠くまで波うって続いており、丘のうねりをぬって見え隠れする川はにぶい銀色を反射させていました。そして、それらの果てをさえぎる青い山なみのかなたには、力強い入道雲が銀色にまばゆくかがやいていました。
 アキラは車のスピードをゆるめながら、「さて、ぼくらも車といっしょにひと休みしようか」といいました。
 そこは、ひと休みするのにかっこうな見晴らしのよい場所でした。もうすでに、前方の並木土手の木かげに陣どって休んでいる五、六十人の子供たちの一団が見られました。ぼくらはかれらのそばを通りこし、すこし先にある土手の切れ目の休み場に車をとめました。かれら――子供たちは十一、二歳、日本の小学校五、六年生くらいで、教員と思われる男女二人の青年にひきいられていました。アキラはその青年たちを知っているらしく、かれらのほうへいって何か話し合っていました。ぼくは土手に腰をお
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ろして休みながら、子供らの一隊をながめました。
 子供たちは、白、空色、桃色の半そでシャツと半ズボン、くつ下なしのズックぐつといういでたちをしていました。質素で清潔な服装でした。みんな髪の毛をみじかくしており、男の子の多くは坊主刈り、女の子の多くはオカッパ頭でした。そして、みんなよく日に焼け、赤いほおをもち、手足は鋼鉄のバネのようにじょうぶそうでした。かれらは土手の草の上に足を投げ出して坐り、しゃべったり、笑ったり、歌ったりしていました。かれらのそばの木かげには、きちんと二列にリュックサックがならべられてありました。かれらはまだちいさいのに、人里を遠くはなれた山の上まで徒歩で遠足にきたらしく、自転車はもっていませんでした。
 並木の土手につきさされた数十本の三角旗と二本の国旗が谷から吹きあげてくる風にひるがえっていました。かれらは海辺のエビ村の連中らしく、ちいさな三角旗のうす青地には赤いエビがえがかれてありました。山の上の青葉のあざやかな緑を背景にして、赤エビの群れがおどっているのを見るのは愉快なながめでしたが、赤エビどもをしたがえてはためく二本の国旗――真紅の地にま白い太陽の旗はひときわ見事な美しさにかがやいていました。
(やっばり美しいな!)ぼくは飽かずに、木木の緑を背景にしてさわやかな谷風にはためくその旗にみとれていました。
 まもなく、ぼくらは子供らの一隊をのこして出発しました。エビ村の友だちからもらったといって、アキラが木の葉の包みを二つくれました。それはカシワの葉に包まれた甘いアズキのあん入りのもちでした。アキラは大きなそのもちを一口にほおばり、もぐもぐやりながら運転してゆきました。しばらくしてアキラは、「あの連中はトウモロコシ村へ夏休みをすごしにゆくところさ」といいました。「きょうは四十キロ歩くといってたよ」
「そんなにたくさん歩くんですか?」とぼくはおどろきました。「バスや電車をなぜ使わないんですか? ないんですか?」
「いちんちにたった四十キロ歩くのに車に乗るんだって?」とアキラはぼくよりもおどろいた顔をしていいました。「連中は三日がかりで百キロ歩いてゆくんだよ。……ぼくらはあの年のころ、もっと歩いたことがあるね」
(この国には五十年前の日本ほどもバスや電車がないにちがいない)とぼくは考えました。
「修学旅行はもちろんのこと、遠足でももう日本ではほとんど歩かなくてすみますよ」とぼくはアキラに話してやりました。「ほとんどどこにでも電車やバスが通じていますからね。遠足といっても、学校から目的地までの往復を借り切りのバスが運んでくれるんです。幼稚園の送り迎えまでバスがやってくれています。……もっとも、車が多すぎてうかうか道路を歩くこともできませんが……」
 アキラは日本の少年少女たちの遠足や修学旅行の話をきかせてくれといいました。で、ぼくは電車やバスを利用しての日帰りの遠足のことや、二、三日泊まりから一週間泊まりの修学旅行の話をきかせてやりました。
「ぼくらのやりかたはまるっきりちがうね」とアキラはいいました。「自分の足を使わなきゃならないんだよ。きみが見てきたようにね。十二歳までの連中は百キロぐらいはなれたところまでしかゆかないから歩いてゆくことにしているし、もっと年上の連中は二百キロも三百キロも遠くまでゆくから自転車を使うんだ。そして、山奥に住んでいるものは町や海辺へ、町に住んでいるものは山や海辺へというふうに旅行して、行ったさきの土地の人びとの家に分かれて泊めてもらうのさ。ぼくらの旅行は第一にからだと精神をきたえるため、第二に行くさきざきの人びととよく知りあって友だちになるため、第三には国じゅうの土地の様子をよく知るためなんだ。だから歩いたり自転車でいったりしたほうがいいとい
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うものだ。ぼくの経験からいうと、旅行のうちで足を使ってやるものほど楽しいものはないね」
「なーるほど」とぼくは感心していいました。「そういう旅行なら、ぼくもぜひやってみたいものですね」
 やがてアキラの車はゼロ道路をはなれて右に曲がり、太平洋のほうへ向かいました。道路は半分ほどにせまくなり、車道と歩道が一条ずつになりましたが、その間にはやはり一列の並木をもつ土手がありました。ぼくらの車は田畑や草地のあいだを通ったり、丘をこえ山をこえたりして進んでゆきましたが、町はもちろん、村の部落にも出くわしませんでした。その地方は一帯に農村地帯で、ときどき村がありましたが、しかし、それはどれも道路からずっとはなれたところにありました。家家は低くて木木にかこまれているので、注意して見ないと見落としてしまうようなものでした。こうした田園風景は、日本ではもうほとんど見ることのできないものでした。
 行く手に青い海が姿をあらわしたとき、アキラはアワビ村に立ちよって野菜をおろし、かわりに魚を積んで首都へ運ぶ役目もあるといいました。ぼくは漁港の風景をのんびり見物できると思い、気楽な捕虜の身分をよろこびました。しかしすぐがっかりしなければなりませんでした。アキラの話ですと、アワビ村といっても海辺にあるのではなく、漁港から歩いて三十分もはなれた丘にあがってしまい、仕事の半分は農業になってしまったというのです。というのは、十二カイリ沖合いにはいつも機関銃を備えつけた国連軍の監視艇が見張っているので、漁業がふるわなくなったということもありますが、それよりも何よりも、いざ津波というときのわざわいをさけたり、海を休ませるために、アワビ村にかぎらず、どこの漁村も丘へあがってしまったからだそうです。「……しかし、半分は百姓仕事をするようになってから、かえって漁のえものがふえたそうだ」とアキラはいいました。「むかしは海のものを根こそぎとりまくっていたんだね」。で、日没国ではぜいたくをしないかぎり、海産物に困ることはないということでした。
 アキラはアワビ村のはずれで車をとめ、むかし自転車旅行にきたとき泊めてもらったという家へぼくを連れてゆきました。そのへん一帯は海を見おろせる小高い丘を平たくしてつくられたらしい部落で、漁村らしい感じはなく、むしろ海岸の別荘地といったほうがよいくらいでした。石畳の通り、その両側の並木、広びろとした敷地、そのなかに木木にかこまれてほどよくおさまっている大きくも小さくもない低い家家……。ぼくは海辺から引っ越してきたというアワビ村の一角を見て、思っていたより立派なものだったのにおどろきました。
 その家はコンクリートと石造りの低いがっしりした家でした。ぼくらがくることを前もって知っていたらしい十八、九歳の娘さん――というより女レスラーのようなひとがぼくらを玄関に迎えてくれました。かのじょはアキラととても親しくしている様子で、アキラの顔を見るなり「十分おくれたね、アキラ」といい、ぼくを見おろして、「これがきみの大事なお客さん?」といいました。ぼくはかのじょのらんぼうな言葉づかいにあきれましたが、いきなりかのじょに握手されたときは思わず(助けて!)とさけぶところでした。その力の強いことといったら手がちぎれるばかり。ぼくは石畳にたたきつけられるのではないかと思ったほどです。しかし、かのじょはとても人のよさそうな顔をしてほほえんでいたのです。
 アキラが魚を積みこみにいっているあいだ、ぼくはかのじょが案内してくれた奥の部屋で待たされました。その部屋は十二畳くらいの広さで、木の寝台が二つ、テーブルといすが一つずつあるほかには家具らしいものはなにも置いてありませんでした。かざりらしいものといえば、壁に張りつけられたイノシシだのキノコだのサクラの花だのがえがかれた何枚かの三角旗だけでした。かのじょは、疲れていたら寝台に横になって休むように、といい、トマトジュースをつくってきてくれました。そして、あけは
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なしになっているとなりの部屋へいって窓べのいすに腰をおろし、読みさしの本に没頭してしまいました。
 かのじょの部屋も、ぼくが休んでいる部屋と同じ広さの、そして同じように家具やかざりのないがらんとしたものでした。ぼくは横浜のぼくの家の、ぼくに割りあてられている六畳の勉強部屋を思いうかべました。……なんと、そのぼくの部屋はありとあらゆるものではち切れんばかりになっていたことでしょう! ベッド、整理だんす、勉強机、電気スタンド、教科書、参考書、辞書、図鑑、小説本、漫画本……などはまだしも、ポータブルラジオ、テープレコーダー、魚貝・昆虫・植物頬の標本、天体望遠鏡、野球道具、その他すてきれないおもちゃ類などなど……足のふみ場もないくらいなのです。そして、かのじょとおない年ぐらいのぼくの姉の部屋となると、年の数だけぼくよりよけいなものがある上に、小型テレビや鏡台や化粧道具や人形まであるという具合なのです。
(なんにも品物がないところを見ると、やはり貧しい国だな)とぼくは海からのそよ風が窓辺のカーテンをふくらませたり、しぼませたりしているのをながめながら考えました。しかしぼくは、ぼくらがもっていないとてもぜいたくなものがそこにあることに気づかないわけにはいきませんでした。ぼくらがもっていないもの――それは海からのそよ周、小鳥やセミの声を送ってくる庭の木木の茂み、せいせいとした部屋の広さ、そして静かさなどでした。
 しばらくしてアキラがもどってきました。ぼくらはかのじょに別れを告げて、魚を積みこんだ車に乗りこみ、べつの道をとって首都に向かいました。車はあいかわらずのんびりと進み、景色は来たときと同じような具合でした。かげろうの底にゆらめく田、畑、草地、林、そして木木に埋もれて眠っている遠くの村、たまにすれちがう車……ときたまチョウが車のなかに迷いこんだり、ハチがガラス窓にぶつかったりするだけ。……ぼくは眠たくなりました。
「ナミの印象はどうだね」とアキラ。ナミというのはかのじょの名前でした。
「オオナミ(大波)のようでしたね」とばくはねむけをかみ殺しながら答えました。「つまり男みたいなひとだってことです」
「どうして?」
「だってすごい力もちじゃないですか?」
「そりゃそうだろう。一人前に漁師もやれるし百姓もやるんだから」
 ナミはとてもやさしくて気前のいい娘なんだ、とアキラは話し出しました。「十年前にあのうちにぼくが泊まったときはこんなにちいさかったね」……「ナミたちが旅行でイノシシ村へきたときはぼくのぅちに泊まったのさ」……「ぼくたちはとてもよく気が合うんだ」……「ナミはイノシシ村に住んでもいいといっているんだぜ」……。ぼくはなま返事をくりかえしていました。……「さあ、そろそろ首都だよ、平四」アキラがぼくをゆさぶり起こしながらそういいました。「もう、とうにゼロ道路はこえてしまったよ」
 目を覚まして見ると、車はうす青い夕やみがたちこめている石畳の上を走っていました。
 夕やみにいち早く占領されている、木木にかこまれた大きな平家建ての木造建物の前で車はとまりました。「さあ、ついた」アキラは車からとびおりながらいいました。「お別れだよ、平四」
 うす暗い建物の玄関さきに半そでの白シャツを着た一人の男が立っていました。
「やはりカンさんだ」とアキラはぼくをうながしてその男のほうにすすみながらささやきました。「FJDIのカンさんだよ」
「やあ、アキラ、ご苦労さん」と坊主頭でがっしりしたからだのFJDIがこちらに歩みよりながらいいました。「ちょっとおそくなったね。牛でもひっかけたのかね?」
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 かれはアキラの肩をたたき、ひとことふたこと道中の様子をきき、そしてぼくを見ました。
「わたしはイムラ・カン。きみが森平四くんかね」といってFJDIはぼくの肩に手をおきました。「疲れたろう?」
「はい……いいえ……」情けないことに、ぼくは舌がもつれてそれしかいえませんでした。
「じゃあ、元気で! 平四」アキラはそういってぼくの耳を手で軽くひっぱると車にとび乗り、エンジン音とともに夕やみのなかに消え去りました。

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