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七章
人民代表委員(JDI)との会見

            二人の老人――ナンブ・ジロベエとツガル・サンエモン
            月給三十円の貧しい大臣 勲章のない将軍

 ぼくは壁にかかげられた地図を見ていました。
 それは日没国の地図でした。カンさんのいったとおり、国土は首都を交点とするたてよこ十文字の線で四つに分けられていて、その先のほうがすこしずつ曲げられてあるだけでした。(なるほど、これは単純で便利だ!)ぼくはあらためて感心しました。四つの州は色分けされていました。真理州は青色に、平和州は緑色に、友愛州は赤色に、平等州は黄色にぬられていたのです。そして各州のそばの海のなかに州旗をあらわすらしい四角旗――州の色の地のなかに白い星を一つもつもの――がえがかれてありました。風変わりな州の名前とこれらの色とを結びつけてみると、何かの意味がありそうに思えたので、ぼくはあれこれと想像をめやらせてみました。
 青は寒色……冷静の色……理性の色……大空の色……広く深い理性――真理をあらわすのかな? 緑は草木の色……森や牧場や田畑の色……やすらぎの色――平和をあらわすのかしら? 赤は暖色……血の色……情熱の色……愛情の色……あたたかい思いやり――友愛をあらわすのかしら? 黄は黄金の色……イネやムギの豊かなみのりの色……。でも、それがどうして平等と結びつくのだろう? すべての
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富は平等にということかしら? でも、貧しい平等だってあるはずだ。いや、心の貧しき者は幸いなりという聖書の言葉がある。「知足者富」という言葉の意味をカンさんから教わった。すると、心の豊かなことが平等に結びつくのかしら?……
 そんなことを考えていたらカンさんがもどってきました。で、カンさんにぼくの考えたことを話してみました。
「そんなものだろう。きみはゆたかな想像力をもってるね」とかれはほめてくれました。そして、「さあ平四、ゆこう。JDIたちがきみをはやく見たがってるよ」といってぼくをうながしました。
 ぼくは緊張し、かれにしたがって部屋を出ました。
 ぼくらは、厚い葉の層が緑の天井をつくって空をおおう、涼しい森の小道をとおってゆきました。その天井の節穴からさしこむ光が、シダの葉や地面にはん点をつくり、金メダルのようにきらめきゆれていました。クリの木の多い森で、ピンポン玉ほどのちいさな青いイガがところどころにころがっていました。
「ぼくに会ってくれるJDIは何という名前の人ですか?」とぼくはならんで歩きながらたずねました。
「ジロペエさんとサンエモンさん」とかれは答えました。「みんなそう呼んでいるんだよ。きみもそうしたらどうだね」
「まさか……」
 ぼくはカンさんがふざけているのではないかと思いました。で、二人のJDIのことをもっとききました。そして、一人は真理州から出ているナンブ・ジロベエ(南部次郎兵衛)という太って頭のハゲあがった老人、もう一人は平等州から出ているツガル・サンエモン(津軽三右衛門)というやせて自髪の老人だということや、いま首都にいるJDIはこの二人だけで、あとの六人は夏休みなので自分の州へ帰っているということなどを知りました。
「八人のJDIのうちでいちばんえらい人は何という人ですか?」とぼくはつづけてききました。
「………?」カンさんはぼくの質問にちょっとまごついたらしく頭をひねりました。
「つまり」とぼくはいいました。「日本でいうと、総理大臣みたいな人のことですよ」
「なあんだ。そんなことかい」といってカンさんは肩をすくめました。「だったら、そんなものはいないよ。みんな同格なんだから」
「だって……」とぼくは不思議に思ってききました。「えらい人を決めておかないと、まとまりがつかなくて困るんじゃないですか?」
「べつに困ったこともないが……。日本では困るのかね?」
「世界じゅうどこでもそうでしょうよ。日本も同じです」ぼくは一歩ごとに一つずつ、長と呼ばれる地位の名前をならべてみました。「内閣総理大臣、何とか省の大臣、衆議院・参議院の議長、最高裁判所の長官、知事、市町村長、大学の総長・学長、校長、なんとか管長、なんとか総裁、なんとか総長、なんとか所長、会社の社長、なんとか委員長、なんとか会長、なんとか組合長……きりがないくらいですね。その下にまた局長だの部長だの課長だの……」ぼくは息をきらしてしまいました。
「なるほど、にぎやかなものだね」
「まだ三ダースくらいならべられますよ」
「いや、もうけっこうだよ」カンさんはほほえみました。「さぞ、おえらいかたがたはきゅうくつな思いをしていることだろうね」
「きゅうくつどころか、みんなそれになりたがっているんです。うんといばれますし、いろんな点でとくをしますからね。あなただってFJDIになりたかったでしょう?」

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「いや、わたしはただの百姓でいたかったのだよ」とカンさんはまじめな顔でいいました。「だが、みんなにおし出されてね。はやくワシ村へ帰ってのんびりしていたいよ」
「この国には長と名のつくものはないんですか?」
「あるにはあるが……」とカンさんは気乗りしない調子でいいました。「それになりたがってなるのではないね。そうなったからといって、いばれたり、とくをするわけではないしね。……駅長とか船長とか、石切り隊長とか作業隊の隊長といったようなものがそうだが……」
「でも、そんなふうだと、仕事にはげみが出ないのではありませんか?」ぼくは不思議に思ってききました。「それに……上にいて命令する人がいないと、仕事がてきぱきと片づかないでしょう?」
「ゆうべの話を思い出してもらいたいね、平四」とカンさんはいいました。「あの『大飢餓会議』のあと、人びとがどのように働いてきたかということをだよ。みんなは自分と何人かのたれかれのためだけにではなく、みんなのために働いてきたのだよ。それが最上のはげみさ。また、もし一番えらい人をつくれば、二番目、三番目をつくらねばならなくなってきりがなくなるね。人民はぜんぶ平等であったほうがいいと思わないかい?」
「………」
 それからカンさんは、FJDIといっても、JDIに二、三人ずつついている助手のようなもので、JDIのつぎにえらい地位にいるというようなものではないというのでした。それどころか、JDIといっても、やはりただのお百姓からその地位についた人たちで、みんなと特別にちがった暮らしをしているわけではないから、道で会ってもそのへんのお百姓じいさんと見わけがつかないだろうといいました。ただ、前にもいったように、ふつうの人たちとちがうのは、賢くて徳の高いところだけだというのです。そんな話をきいてぼくは安心し、えらい人にあう緊張がほぐれてきました。中学校の校長先生よりもえらい人と話をしたことのないぼくは、ものものしい服装をして、いかめしい顔つきをし、いばっているJDIしか想像することができなかったのでした。
 ぼくらは森の奥のほうにある例の古ぼけた建物の玄関にはいりました。それがJDIのいる建物でしたが、一人の守衛もいませんでした。ぼくらは人影ひとつない、うす暗い長い廊下をすすんでゆきました。
 カンさんは、なかほどにある部屋の前で立ちどまり、ドアをたたきました。なかから「おはいり」という声がしました。
 白木の大きな丸テーブルを前にして、二人の老人がにこにこしながら立っていました。どうやったらいいのかわからなかったので、ぼくはただ黙ってぴょこんとお辞儀をしただけでした。すると、二人の老人はていねいにお辞儀をかえしてくれました。
 カンさんがぼくのことせかれらに紹介してくれました。
「わたしがナンブ・ジロベエ」と太って頚のハゲあがった老人がいいました。
「わたしがツガル・サンエモン」とやせて白髪の老人がいいました。
 なるほど、カンさんのいったとおり、二人のJDIはただのお百姓のおじいさんにしか見えませんでした。それに着ているものといったら、カンさんとおなじく、えりの開いた白い半そでのシャツとだぶだぶのズボンだけという質素なものでした。
 テーブルにつくと、JDIたちは、「ゆうべはよく眠れたかね」「日没国の歴史の話をきかせてもらったそうだね」「きみのことはカンさんにまかせてあるからかれと相談して好きなようにしなさい」「退屈していたところだからゆっくり話していきなさい」などと、まるでぼくを孫あつかいにした調子でいいました。で、ぼくはすっかりくつろいだ気分になってしまいました。
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「今月の末に国連軍の軍艦にたのんで、きみを日本へ送りとどけてもらおうと思ってるんだよ」とサンエモンさんがいいました。「これがわれわれの最初のたのみだから、連中はいやとはいうまい」
「わたしもそう思っています」とカンさん。「さっそく明日から交渉にかかります。ついでに平四の両親にむすこが無事でいることを伝えてもらうよう話してみましょう」
「それはいい考えだ。そうたのむよ」とジロベエさんがいいました。
 ぼくは、やさしいJDIたちに心からお礼をいいました。
「ところで平四くん。きみは学校で新聞委員をしているそうだね」とサンエモンさんがいいました。
「だったらいろいろ知りたいだろう。なんでも気楽にきいてごらん。知らないこと以外は答えられるから」
「国の重大機密でもですか?」とぼくはノートとペンをとりだしながらききました。
「そんなものがあったっけか?」とサンエモンさんはジロベエさんに顔を向けました。
「はあて、わたしはなんにも知らないな」とジロベエさんはのんびりした調子でいい、カンさんを見ました。
「なんにもありませんよ」とカンさんがいいました。
 JDIたちは笑い出しました。
 さて、何から聞いたものかとぼくは頭をひねりましたが、いい知恵が浮かんできませんでした。で、かまうもんか、なんでも思いついたことから聞いてやろうという気になりました。
「JDIの月給はいくらですか?」とぼくは最初の問いを発しました。
 二人の老人はこの質問におどろいたらしく、目をまるくしてたがいに顔を見あわせました。
「三十円だが……」とサンエモンさんが答えました。「妙なことにきみは興味をもっているんだね」
「へーえ!」とこんどはぼくのほうがおどろきました。「たったの三十円ですって! 六枚入りのチュウインガム一個分ですよ……」
 ぼくは日本と日没国の物価の違いにぜんぜん何の知識ももっていないことに気づきました。しかし、それにしてもけた違いに違いすぎると思いました。
「ぼくのおこづかいは一カ月二千円なんですよ」とぼくはいいました。「親がケチなもんですからね。ぼくの友だちは五千円ぐらいもらっているんです。なかにはぼくの十倍ももらってるのがいるんですよ」
「ほほう」とサンエモンさんは目をまるくして、おどろいたという顔をしました。「きみの国の物価は聞くたんびにあがっているんだね」
「まい月、まい月、まい年、まい年、ひたすらあがるだけだ」とジロベエさんが首を左右にふりながらいいました。「人間がふえつづけてゆくかぎり、さがることはあるまいて……」
「で、きみの国の人びとはいま、月にどのくらいもらっているんだね」とサンエモンさんが聞いてきました。
「よくは知りませんが……」とぼくは答えました。「中学を卒業して就職したばかりの十六歳の少年でも、五、六万円はもらっているときいています。大工さんや左官屋さんの一カ月のかせぎが二十万円くらい。総理大臣の月給が一二五万円と新聞にでていましたよ。もっとも、そのほか自由に使える交際費が年に十億円もあるということですが。……ぼくの父だって――五十二歳で、貧乏弁護士だそうですが一月に三十万円くらいははいるようですよ。あなたがたの月給が三十円だなんて、信じられないことですね」
「平四よ。きみのお父さんの年はたしか五十二だといったね」とカンさんが横から口をはさみました。
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「この国では物価をきみのお父さんが子供のころのそれにもどしてしまったんだよ。かれから子供のころの物の値段の話をきいたことがないかね?」
「そういえば、むかしはいまからみると、うそのようになんでも安かったそうですね」とぼくは父から聞いた話を思い出しながら答えました。「父は長野県のいなか町で育ったそうですが、子供のころ、お正月に五十銭のおこづかいをもらうと、天にものぼるようにうれしかったそうです。たしか、アンパン一つ五銭、うどんやそばがいっぱい七銭とか十銭だったそうですね。それから、三本だての映画が十銭で見れたとか……」
「ああ、そうだったね」とサンエモンさんがほほえみながらいいました。「ゴールデンバットという、いちばん安いタバコが一つ七銭だった。一円出せば、ちゃんとした宿屋に泊まることができたものだ。大工が一日働いてせいぜい一円くらいのものだったね」
「でも、そのころ……」ぼくはふと、父の話の一つを思い出していいました。「町の区裁判所の判事さんは三百何十円という月給をもらっていたそうですよ。そうしてみると、あなたがたの月給はやはりたいへん少ないようですね」
 二人の老人は笑って首を横にふりました。
「では、この国の人たちは、いったい月に平均していくらくらいとっているんですか?」
「やはり三十円だよ」とカンさんが答えました。
「ええ※[#!?]……」とぼくはおどろいていいました。「では、JDIでもふつうの人と同じなんですか?」
「人民はもっととってほしいといってるんだがね」とカンさん。「けれども、いままでにJDIになった人のだれ一人として、その話に耳をかしてくれないんだよ」
「日本とは正反対なんですね!」とぼくはいいました。「父の話ですと、日本では、えらい議員とかえらい役人とかえらい委員とかのほとんどがなれあいで、チャンスがあるごとにせっせと自分たちの給料をあげているそうですよ」
 二人の老人は顔を見あわせて肩をすくめました。
「えらい人はえらいなりにおカネがいるんだと思います」とぼくはつづけました。「どこの国だってそうなんですからね。どうして、あなたがただけが例外でいられるんでしょう?」
「人はだれでもからだが一つ、胃袋が一つ」とジロベエさんがいいました。「それを養うのに他人の二倍も三倍ものものがいるはずがないね」
「おまけに、わたしたちは年寄りなんだからね」とサンエモンさんがあとを引きとっていいました。
「なんでそう多くのものがいるものか。若い人たちの半分でもすむ。だからいまのままでも多すぎるくらいなんだよ」
「いまのままといいますと?」
「わたしたちは栄養のあるおいしいものを食べさせてもらっている。夏は涼しく、冬は暖かい清潔な着物を着させてもらっている。自分の村へ帰れば、広すぎもせずせますぎもせず、日当たりよく風通しのよい家がある。散歩したり、読書したり、考えたりする自由な時間をじゅうぶんもっている。そのうえに何がいるというのかね。よけいなものを持たされると、じゃまになるだけだよ」
「でも……」ぼくはちょっと抗議するような調子でいいました。「人にはいろんな楽しみがありますね?」
「ああ、野菜つくりとか草むしりとかね」とジロベエさん。
「いいえ、なんといったらいいのかしら……つまり、エリートの楽しみです。日本の総理大臣は大きな屋敷に住み、立派な他に一匹何百万円もするニシキゴイを何十匹も飼って、えさをやるのを楽しみにし
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ていますよ」
「ニシキゴイなら、わたしたちだって楽しめるよ」とサンエモンさんがいいました。「値段はついていないが、どこの学校の池へいってもたくさん飼っているから、見たくなればそこへいけはいいのさ。けれども、わたしたちより子供たちのほうがそういうコイを楽しんでいるようだね」
「ゴルフはなさいませんか?」
「この国にはゴルフ場というものがないんだよ。そういうものをつくるにしては、この国の土地はせますぎるからね」
「でも、森や林や草地がいっぱいあるようですね」
「森や林はみんなが大切に育てたかけがえのない宝。たかが玉ころがしのためにそれをつぶすわけにはいかないね。草地は牧場だよ。牛や馬や羊たちからそこを取りあげるわけにはいかないよ。また、わたしたち老人や子供たちから、牧場で遊んだり歩いたりする楽しみをなくすわけにもいかないしね」
「別荘をお持ちですか?」
「そんなものを持ってる者はこの国にはひとりもいないよ」
「では、のんびりくつろいで休めるところがないのですね?」
「ここにいても、うちへ帰っても、森へいっても、のんびりくつろいでいられるよ」
「でも、政治家の仕事というのはたいへん忙しく、神経のつかれるものなんでしょう?」
「いいや、ちっとも。めんどうなことはカンさんのような人たちや、そのほかのみんながやってくれるからね」
「じゃあ、ハンコを押しているだけでいいのですね?」
「この国ではハンコなんてものはやめにしてしまったよ」
 二人の老人とカンさんは声をたてて笑いました。
「じゃあ、することがほとんどないみたいですね」
「まあそんなものさ」とサンエモンさん。「みんなのしあわせのこととか、百年さきの人類の運命といったようなことを考えていれはいいんだから。で、野菜をつくったり、花をいじったり、本を読んだりしているのさ」
「退屈しませんか?」
「ときにはね。だが、わたしたちのように年をとると、ありがたいことに、いちんちの長さが若いころの半分に感じられるものでね」
「古い絵だとか書だとか、刀剣だとか陶磁器だとか、仏像……そういったこっとう品を楽しまれることはあるでしょうね?」
「どうかすると博物館へいってね」
「博物館へ?」
「ああ、そういうものはみんな博物館におさまっているからね」
「JDIはそういうものを持っていないんですか?」
「わたしたちにかぎらず、だれもそうしたものを持っていないよ。ひとりでしまっておいて楽しむよりは、みんなで楽しむほうがいいからね」
「では、温泉へ休みにゆかれますか?」
「おお、ときどきゆくよ。この国では温泉はまず第一に病人や老人のためのものとされているからね」
「観光地へは?」
「この国にはそういった場所はないんだよ。そっとしておいた自然にまさる観光地はないとわたしたち
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は考えているが、そうしたところは国じゅういたるところに見られるからね」
「じゃあ、この国には観光旅行といったものはないんですね?」
「子供たちや若い人たちはさかんにやっているよ。ここへくるまでにそうした連中を見かけなかったかね?」
「ああ、あの徒歩旅行や自転車旅行のことですね。あれはいいですね」ぼくはアキラの車で首都へくるとき見た子供たちの旅行の様子を思い出しながらいいました。「あなたがたもああいう旅行をされるのですか?」
「ときにはね。わたしたちは年をとったから。だが、若いころは国じゅうをすみずみまで歩きまわったものさ」
「おお、平四よ! このかたがたは」とカンさんが口をだしました。「あの『人間戦争』のとき、国じゅうを戦って歩かれたんだよ。あの戦いの生きのこりの勇士――指導者だったかたがたなんだよ」
 ぼくはおどろき、あらためて二人の老人を見ました。が、そこにいるのは、人の好さそうなほほえみを浮かべている年寄りのお百姓さん――ただのジロベエさんとサンエモンさんなのでした。
「では将軍だったのですね!」とぼくは尊敬の気持ちをこめていいました。「じゃあ、すごい勲章をお持ちでしょうね。最高の……」
「がっかりさせて気の毒だが」とジロベエさんがハゲ頭をなでながらいいました。「ただのメダルも持ってないよ。この国には勲章なんてものはまるっきりないんだから」
「勲章のない国なんて世界じゅうにありませんよ!」とぼくはおどろいていいました。「イギリスのガーター勲章、フランスのレジョン・ド・ヌール勲章、ソ連のレーニン勲章……戦争に負けた日本だって十年前に勲章を復活したんですよ」
「ほほう、そうかね。どうしてかね?」
「なんでも、外国のえらい人たちに会うとき、こっちも持っていないと胸がさびしいんですって。見せびらかされるのがしゃくなんでしょうね。内閣総理大臣がもらう勲一等から八等まであるんです。そのほかに文化勲章ってのがありますし、たくさんの種類のなんとかホウ章ってのもあるんです。ぼくは国や社会のためにてがらをたてたり、つくしたりした人に勲章をやるのはあたりまえのことだと思いますね」
「ところが困ったことに」と、JDIたちが黙っているので、またカンさんが口を出しました。「ずっとむかしのことだが、勲章をつくろうという声があがったとき、それをあげたいと思う人びとの意見をきいてみたら、みんないらないといい張ったのだよ。それで……それっきりになってしまったのさ」
「どうして、その人たちはいらないといったんですか?」
「いろいろなことをいったね。ある人は『たくさんの人間や物を使って、娘っ子の髪かざりほどの役にもたたない勲章などをつくったりばらまいたりするのはばかげたことだ』といった。ある人は『いったいだれがそんなもので人のおこないや値打ちを決めようというんだ。JDIたちだってそんなことはできないといってるじゃないか』といった。ある人は『いちばん社会につくしているのは牛の乳をしぼったり肥やしを汲んだりして働いている人たちだから、そういう連中にもれなく平等に一つずつ配ったらよかろう』といった。すると、手や背なかを使って働いている人たちは『おれたちよりは牛や馬たちのほうがよっぽど社会につくしている――何しろ肉や血や骨までもささげてしまうんだから――もし勲章をくれるというんなら、それでせめても牛たちの胸をかざってやりたい』といった。ある人は『博物館にあるものだけでじゅうぶんだというのに、まだ星の数ほどもつくり出そうっていうのか』といった。
 ある人は勲章という言葉をきくが早いか谷川へいって耳を洗った。JDIと名のつく人で勲章をもらっ
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てもいいという人は一人もないというしまつだった。で、けっきょく、ごく子供っぽい人たちしかほしがらないことがわかったので、つくることをやめてしまったのさ。だが、ちいさな子供たちのために、世界各国のきれいな勲章をまねしたおもちゃがブリキとガラスでつくられてるよ」
「よくわかりました」とぼくは自分の質問に後悔しながらいいました。なんにもこの国のことを知らないでやたらに質問するのは、相手にめいわくをかけるばかりのように思われてきました。それより、相手の話をきいていたほうがよほどましなようでした。
「あと一つ二つ教えてください」とぼくは遠慮がちにいいました。
「あのう……JDIの任期は何年なんでしょうか?」
「きまりはないよ」とジロベエさんが答えました。「で、モウロクするまでということになるね。そのまえに逃げ出すわけにはいかないよ」
「へーえ! ずいぶん変わったやりかたですね! でも、モウロクしたということをだれがきめるのですか」
「それは自分できめられるよ。自分のことは自分がいちばんよく知っているんだから。だが、こういうこともあるね。なかまのJDIにこうきいてみる。『わたしはモウロクしかかったように思うが、あんたの意見はどうかい?』とね。相手が『うらやましいが、わたしもそう思うよ』といったら、自分の州へ帰る決心がつくというわけだよ」
「退職金や年金はどのくらいもらえるんですか?」
「なんにもないね。だが、働かないのにそれまでとおなじだけもらえるよ。それでじゅうぶん以上だね」
「でも、それではふつうの人とおなじではないですか? 日本では県知事でも退職金を一億円くらいもらうそうで、父がうらやましがっていましたよ」
「わたしら年寄りは若い人たちの働きで養ってもらっているというのに、かれらより多くもらうとしたら、心苦しくってやりきれないね」
「しかし、おカネもなければ、別荘も勲章もないとしたら、さぞさびしくて不自由でしょうね」
「年寄りたちがさびしがっているかどうかは、あとできみのすきなところで、その目でよく見てもらいたいね。かれらはなんにもよけいなものを持ってないので、それだけよけい自由に楽しくやってるはずだよ」
 自由という言葉をきいて、ぼくは自由主義、民主主義、平和主義などという、わかったようでわからない言葉――そして、日本の憲法のことをふと思い出しました。
(そうだ、絶好のチャンスだ。JDIたちからこの国の憲法――いや根本法のお話をきこう)とぼくは考えました。(日本の憲法は世界でもユニークですすんだものだときいているけど、日没国の根本法は風変わりなものに違いない)
 ぼくが根本法のお話をしてほしいとたのむと、JDIたちは快く承知してくれました。
 そのとき、質素な身なりをした、お手伝いさんらしいおばあさんがお茶を運んできてくれたので、ひと休みすることになりました。あとでカンさんから知らされておどろいたのですが、そのおばあさんはサンエモンさんの奥さんだったのです。

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