Top

目  次

九章
山のなかの小さな汽車駅まで

            レイの自動車運転 法律問答 ぜンマイ村ゆきを知る
            日没国の学校――幼年・少年・青年学校と研究所の話

 装甲車のように四角張ってぶかっこうな乗用車がうなりながらやってきて、カンさんの建物の前にとまるのが窓から見えました。
 車からひらりと飛びおりた運転手は、半そでの白シャツにオレンジ色の半ズボンといういでたちのすらりとした女の子でした。かのじょは男の子のように大またにずんずん歩いて、たちまち玄関に姿を隠しました。そしてまもなくカンさんの部屋に風のように姿をあらわし、カンさんとあいさつをかわすが早いか、つかつかとぼくに歩みより、ぼくの手を握りしめました。
「きみ、平四ね」とかのじょはきらきらする黒い目でぼくをみつめながらいいました。「歓迎! わたしはレイ」
 そして、ぼくが何かいおうとしているうちに身をひるがえしてカンさんに向かい、ぼくをどこかの鉄道の駅へ送ってゆく打ち合わせをてきぱきと始めるのでした。
 ぼくはあきれて横からレイを見ていました。レイは、はたちになるぼくの姉とおない年くらいに見えましたが、まるっきり様子が違っていました。ぼくの姉は大学の法学部二年生ですが、このごろ髪の毛
-----P116-----
や服装がどうのこうのといいだし、まゆ毛を細くそったり、お化粧をしはじめたりしているのに、レイにはそうしたかざり気などまったくみられなかったのです。背たけはぼくよりちょっと高いくらい。なよなよしたところやしとやかなところは薬にするほどもなく、よく日やけしたからだは革むちのようにしなやかで丈夫そうでした。耳の下で切られた髪の毛は、みだれをふせぐためか黄色いひもではち巻きのようにしめられていました。で、ぼくは西部劇映画に裸馬に乗って出てくるインディアン娘を思い出しましたが、そういえば顔だちもそんなふうでした。
 カンさんは手早く用事を片づけてしまうと、書だなからポケットにはいるくらいの薄い小さな本をとり出してぼくにくれました。その表紙には『日没国法典』と印刷されてありました。
「この本には根本法やそのほかの法律が全部のっている」とカンさんはいいました。「いつか雨ふりの日にでも読んでみてごらん。読まなくってもかまわないがね。ここに書いてあることはそのうち自然にわかるだろうから」
 お別れのあいさつをするとき、ぼくはカンさんがいってくれたように、もうすこし首都にとどまっていたほうがよかったのではないかとふと思いました。急にかれと別れることがつらくなったのです。が、レイはぼくのリュックサックを肩にかけてぼくをうながし、さっさとさきに立って歩きだしました。そしてぼくを運転席のとなりに坐らせました。
 カンさんは玄関さきまで出てきて、手を振ってぼくを見送ってくれました。
 レイの車は両側に並木の土手をしたがえた石畳の道をのんびり走ってゆきました。この道もおおいかぶさる枝枝のために涼しい緑のトンネルとなっていました。土手のむこう側は雑草の生えた歩道で、そのまたむこうはかげろうのゆらめく広びろとした草地やセミの鳴く林でした。
 車のさきで小さな三角旗がはためいていました。それには八本のヤをもつ車輪がえがかれてありました。ぼくはすぐそれが何を意味するのかわかりました。
「あの旗は日没市の旗ですね」とぼくはレイに話しかけました。「車輪は首都の町をかたどっているんでしょう?」
「ああ、そうだよ、平四」とレイは前を見つめたまま答えました。「よくわかったね」レイはまるで男の子のような口のききかたをするのです。ぼくはかのじょがそうとうに生意気で無作法な女の子のように思いました。で、ぼくもかのじょの流儀でやってやろうという気になりました。
「レイ、あなたはいくつ?」とぼくは無遠慮にききました。
「二十歳」とレイはべつに気にするふうもなく答えました。
「ぼくの姉さんも二十歳です。大学二年生なんですよ」
「何を学んでいるの?」
「法律の勉強をしているんです」
「ああ、そうだった!」とレイがさけびました。「きみの国ではその大学とやらで法律の勉強をするんだってね! いつかカンさんからきいておどろいたものだっけ」
「大学で法律の勉強をすることがどうしておどろきなんですか?」
「だって、あんなわかりきったことをどうしていい年になってから教えてもらわなきゃならないの?」
 ぼくは心のなかでレイの無知をわらいました。で、一つかのじょに大学で法律の勉強が必要なわけを教えてやろうと思い、そうしてほしいかどうかきいてみました。
「ぜひききたいね」とレイは興味をしめしていいました。「どうもそこのところがよくわからなかったんだから」
 ぼくは父や姉から仕入れた話を頭のなかで整理し、カンさんの話しかたをまねて話しだしました。
-----P118-----
「では、わかりやすくするために、ぼくの姉さんのことから話しましょう。ぼくの姉さんは小学校、中学校、高等学校をとおして優等生でした。ぼくと違って、つまり、とてもガリ勉屋だったんです。だから母はよくいってましたよ。姉とぼくがあべこべに生まれてくればよかったって。しかし、そんな人権じゅうりん的な話ってありますかね?……
 それで、姉さんは浪人など一度もやらないで、三十人に一人の受験競争にうち勝って、めでたく一流大学の法学部にはいることができたってわけです。いま、かのじょは司法試験というむずかしい国家試験をめざしてガリ勉の総仕上げにとりかかっています。日本ではまい年大学の法学部を卒業する学生が何万人もいるそうですが、このなかやその前に卒業した人などのなかから司法試験を受ける人たちの数はぎっとまい年三万人もいるそうです。ところが合格者はたったの五百人くらいだそうです。この試験を首尾よくパスした人たちがさらに二年間、国立の司法研修所というところで勉強して、さらにそこでの試験をパスしたうえで、ようやく裁判官や検察官や弁護士になれるんだそうです。ぼくはこんなことを聞かされただけでうんざりして、法律の勉強なんかやる気がなくなってしまうんです」
 レイはうなずいたり首をひねったりしながら運転をつづけていました。
「だから法律学の勉強がなまやさしいものでないことがわかるでしょう。法律というものはむずかしくて複雑で、勉強するのにたいへんな努力がいるものなんです。ぼくの父は弁護士ですが、事務所にはトラック二台分もの法律の本がありますよ、気の毒に。六法全書一冊をとってみても、厚さが十センチにもなろうという電話帳のような大型の本で、そのなかには虫めがねで見るような細かな文字がぎっしりつまっているんです。ぼくは一度それをのぞいて見たことがありましたが、何が書かれているのかさっばりわかりませんでした。それにくらべると、シェイクスピアのほうがずっとわかりやすいですね」
 レイはすこしはおどろいたのか首を横に振り、そして質問してきました。
「それで、その六法全書とかにきみの国の法律がぜんぶのってるの?」
「とんでもない!」とぼくは答えてやりました。「六法全書にのっているのはほんの一部――つね日ごろ必要で重要な法律だけだそうです。父から聞いた話ですと、そのほかに無数といっていいくらいの法律があるそうです。そればかりでなく、それらの法律にはその付属のもっと細かな規則がたくさんくっついているそうです。そこへもってきて、まい年まい年新しい法律や規則がつぎからつぎへとつくられてふえてゆくんです。ですから、六法全書は十年もすれば、たしかに二倍の厚さになるでしょうね。ところが、いまいったことは国の法律についてだけなんですよ。そのほかに、都道府県や市町村の条例とか規則とかいうものがあって、それもまあ、法律と負けずおとらずのものなんでしょう。……おどろいたでしょう?」
「ほんとに、おどろいたよ!」とレイはさけびました。そして目をまるくしてぼくの顔をみました。
「そんなにたくさんのむずかしい法律とか規則とかをだれがつくるの?」
「それは国会議員からはじまって、村の議員にいたるまでの議員先生たちですよ」
「その議員たちは、あなたのお父さんのように法律の本をたくさんもっていて、そのぜんぶをよく知っているの?」
「さあ、それは……」ぼくはちょっと困って、考えながら答えました。「議員さんたちが父と同じようにもっているかどうか知りませんが、多分そんなにはもってないでしょう。父は法律の専門家ですからね。それから、議員さんたちが法律のぜんぶを知っているということはないでしょうね。自分の専門のことや興味のあることを知っていれば間に合うでしょうから。実際のところはぼくにはよくわかりませんが……」
「日本の家庭ではその六法全書とやらを一冊ずつもっているのかい?」
-----P120-----
「ほとんどもってないでしょうね。父のところへ相談にくるくらいですから。それに六法全書は一冊三千円もする高い本ですからね」
「もっている人は相談にこないの?」
「そういうわけにはいかないと思います。さっきいったように法律はむずかしくて複雑で、ふつうの人にはわかりにくいものですから」
「そうすると、人民の大多数のふつうの人は六法全書をもってないし、もっていてもその中身をよく理解できないってわけね」
「まあ、そういうことになるでしょうね。父でさえも解説書を読んでもわけのわからない法律がたくさんあるってなげいているくらいですから。でも、知りたいことは自分でうんと勉強するなり、弁護士に相談すればすむことです」
「法律はだれのためにつくられるの?」
「それはもちろん国民のためにです。国の主権は国民にあるのですから」
「どうもよくわからないね、平四……」とレイほほほえみながらいいました。「きみの国では、人民から選ばれた議員たちが人民の幸福のために法律をつくるんだろう? もし法律が議員たちや一部の人たちに都合がよくて、大多数の人びとに都合が悪いものだとしたら、議員たちは大多数の人民のためにその義務を果していないことになるね?」
「それはそうでしょうね」
「むずかしくて複雑で、無数といわれるほどの法律や規則。一部分の人にしかわからなくて、人民の大多数には理解できないどころか、それがあることさえもわからないような法律や規則。そうしたものならたしかに大多数の人民に都合が悪い。それがあることすらわからないものや、わかっていても理解できないものは守ることができないからないも同然だね。たしかにこれは不都合だ。そう思わないかい? 平四……」
「そういわれてみると、そういうことになりそうですね」
「法律はやさしくて、簡単で、数少ないにこしたことはないとわたしは思うよ」とレイは自信に満ちた調子でいいました。「そうすれば、だれでも知ることができ、理解することができ、守ることができるからね」
「それはそうでしょうが」とぼくは抗議しました。「文明国になればなるほど法律は数が多くなり、複雑になり、むずかしくなるのがあたりまえではありませんか?」
「文明国になればなるほど、その反対にならなければおかしいんじゃないかな。文明ってのは、ものごとを簡単にすることだって、いつかカンさんがいってたよ」
「………」
 カンさんがそういっていたと聞いて、ぼくは考えこまないわけにはいきませんでした。
「だからやっぱりわたしには」とレイはつづけました。「日本の大学で法律を教えているということがおどろきだ。あんなわかりきった、やさしいものをね」
「では、あなたの国では……」といって、ぼくは思わず「ああ!」とさけんでしまいました。そして、カンさんがくれた『日没国法典』のはいっているリュックサックをおさえました。
「このちっぽけな本に日没国の法律がすっかりおさまっているというんですか?」
「そうだよ。雨ふりの日にでも読んでみるがいいね。きみくらいの年になれば読んでわからないことはないはずだよ。わたしの国では十六歳になれば理解できるような法律をつくることになっているからね。二、三日もかければぜんぶ読むことができるだろうよ」
-----P122-----
「落ちついたら読んでみましょう」とぼくは答えました。「やさしそうに見えたって、どうせ法律なんてものは退屈でむずかしいもんでしょうよ」
「わからないことがあったら、ゼンマイ村の友達に聞けば教えてもらえるよ」
「ゼンマイ村というと?」
「きみがこれからゆく村のことさ。ほんとうの名はヤスオカ(安岡)村というんだがね」
「ああ、村の旗じるしがゼンマイなんですね!」ぼくはその妙な旗じるしを思いうかべてほほえまずにはいられませんでした。
「そうだよ。そしてきみを迎えてくれる友達はケンというのさ。ヒルタ・ケン」かのじょは運転台のフロントガラスに漢字で「蛭田謙」と指で書きました。「少年学校の五年生の男の子で、きみとおない年のはずだよ」
「少年学校というと?」
 ぼくらはたがいに自分の国の学校の話をしました。両方の話をくらべてみると、だいぶ違っていました。日本では義務教育は満六歳になってからの四月からはじまり、小学校六年間とそれにつづく中学校三年間のあわせて九年間ですが、日没国のそれは満三歳になる年の七月からはじまり、幼年学校八年間とそれにつづく少年学校五年間のあわせて十三年間なのです。そして自由教育は日本では小学校にはいる前に幼稚園が二年あり、中学校を終えてからは高等学校が三年、大学が二年から四年、そのほかいろいろな学校があるのですが、日没国では少年学校を終えてからは五年制の青年学校というのがただ一つあるだけということでした。しかも、この青年学校というのが変わっていて、はいりたくないものははいらなくてもすこしも損にはならないし、はいりたいと思う者は満二十歳になるまでなら、だれでもいつでも自由にはいれるというのです。ただ、日没国では十六歳になるとみんな働かなくてはなりませんから、青年学校にはいっても働きながら学ばねばならないそうです。とはいっても、二十歳になるまでの一日の労働時間は三時間しかなく、それも軽い労働なので、勉強する時間は十分にあるというのです。
 そのうえ青年学校では、科学でも文学でも絵画でも音楽でも、あるいは大工仕事でも機械作りでも、なんでも自分のいちばん好きなことを自由に学ぶことができるというのです。
「そうすると、入学試験というものはないんですね?」とぼくはうらやましく思いながらたずねました。
「もちろん、ぜんぜん」とレイは答えました。「だが、それはどんな具合のものなんだい? おもしろそうだね」
「とんでもない!」ぼくはカンさんに話した受験戦争のことをもう一度レイに話してやらなければなりませんでした。話すうちにぼくはだんだんゆううつになってしまい、髪の毛に指をつっこんでかきまわしました。
「かわいそうに」とレイは同情してくれました。「そんなに苦しんで高等学校やら大学やらへいかなければならないなんて! いっそ、そんな学校なんかつぶしてしまえばいいのに」
「文明国でそんなことができるはずがないですよ」
「文明ってのは、ものごとを簡単にすることだってカンさんがいってたよ」
「でもやっぱり、文明社会となると、どうしてもものごとが複雑になるものだと思いますね」また話が堂堂めぐりになってしまいました。
 レイは「さてもさても、文明とはムダの多いもんだね」といって憤慨しはじめました。かのじょの言いぶんですと、人間は十六歳にもなれば親をしのぐほどのからだに成長しているのだから、すくなくとも一日三時間は働くのが当然のことで、そうしても余った時間は好きなことを学んだんり楽しんだりするのに十分すぎるほどあるというのです。そして二十歳になれば大人と同じように働かなけれはならない

-----P124-----
ことは当然すぎるほど当然のことで、鳥やけだものだって一人前に動きまわれるようになるが早いか自分で自分を養っているではないかというのです。で、レイは、ぼくがらい年から高校へいって働かずに、ただ大学へはいるための勉強ばかりやり、そのあと、まあともかく大学にはいれたとしても、またまた就職するための勉強ばかりやっていて、へたをすると三十歳ちかくになってようやく働き始めることになるということを知って、ただあきれるばかりでした。
「なんてまあ恥しらずな!」としばらくしてかのじょは吐きだすようにいいました。「屈強な若者たちがはたちまでならまだしも、三十ちかくまで親に養ってもらうなんて!」
「それは違います」とぼくは抗議しました。「ほとんどのばあい、親のほうがそうすることを望んでいるんです。日本では大学を出ていないといい仕事にありつけないし、一生のあいだにうんと損をするようになっているんですから」
 レイは言葉もでないほどあきれたらしく、ハンドルから手をはなして肩をすくめ、大げさに両手をひろげました。
「ケンはいいなあ! 受験戦争なんて知らないんだから……」とぼくはうらやましげにいいました。
「かれはらい年、青年学校にはいるんでしょう?」
「たぶんね。楽しい学校だから」
「ぼくだってほんとうは高校や大学へなんかいきたかないんですよ。青年学校のようなのがあればそこにはいって、三時間働いて……五時間だっていい……あとは小説を読んだり、絵をかいたり、音楽を習ってすごしたいんです」
「そのほうがほんとうの生きかたのようだね」
「でもやっぱり……大学がないと……」とぼくは首をかしげながらいいました。「科学や学問や芸術の研究ができなくて困るでしょうね」
「いいや、ちっとも」とレイは答えました。「そのために研究所というものがべつにもうけられてあるんだから」
 レイの話ですと、この研究所というのは現在四つの州に一つずつありますが、日没市が完成すればそこにもう一つもうけられることになるということです。そして、ここにはいっている人は各州二十人から三十人くらいのものなので、ぜんぶあわせても百人くらいの少数だそうです。というのは、ここにはいれるのは、人類の幸福のために役立つ能力をもっている天才か、あるいはこれに近い特別にすぐれた能力をもっていることを万人から認められて選び出された人たちだからです。かれらは研究員と呼ばれ、めいめいの専門の研究にしたがっていますが、設備や資料が不足したり、人数が少ないために研究にこと欠くということはまったくないそうです。国や州や一般の人たちがあらゆる援助をおしまないからです。研究員の年齢はまちまちで、はたちにならないものもいれば、三十をすぎてからはいってくるものもいるそうです。そして研究所でほとんど一生をすごすように運命づけられた人もいれば、何年かでその仕事を終えて自分の村や町へもどり、ふつうの仕事につく人もいるということです。なぜなら、かれらの精神のエキスが出つくしてしまったのちにもそこにいなければならないということになれば、それは本人にとっても社会にとっても苦痛だし、ムダだからというわけなのです。おどろいたことには、研究員たちはこの国の人びとから非常に尊敬されているというのに、ふつうの人たちと同じ待遇しか受けていないのでした。
「JDIでさえそうなんだから、それは当然のことだ」とレイはいいました。「それに、研究員たちは、人びとのためになる仕事をすること自体が最高のむくいと考えているんだよ」
 土手の並木のあちこちに牛やヤギがつながれて草をはんでいるところへさしかかりました。レイは車
-----P126-----
をとめて身軽に運転席から飛びおり、土手にのぼりました。そこには、木のまわりをやるぐるまわっているうち、つなぎひもをまきつけて身動きできなくなった一頭の小ヤギがいて、かなしげに鳴いていました。
「おお、よしよし」といってレイはその頭を軽くたたきながら、小ヤギを自由にしてやりました。小ヤギはピョンピョンはねてよろこびの声をあげ、ぼくらを見送っていました。
 そのあたり一帯は広びろとひらけた高原の農村地帯で、道路のむこうにはトウモロコシ畑だのサツマイモ畑だの、そのほかぼくの知らない作物の畑がつづき、ところどころに水田が見られました。真夏の太陽のしろしめすもとで、大空の青さは大地一面の緑とその色をきそいあっていました。田畑のはるかむこうの右に左に、木木に埋もれた部落が見えましたが、それらは申しあわせて昼寝をしているかのように人影もなく静まりかえっていました。
 丘をこえたり、山すそをまわったり、岩山のトンネルをくぐったりしながらも、道は低みへ低みへとくだってゆきました。ずいぶん長いこと走りましたが、そのあいだにトラック二台と徒歩旅行の子供たちの一隊に出あっただけで、セミの鳴く緑のトンネルはぼくらだけのものでした。で、ぼくらはとりとめのない話をのんびりかわしあいましたが、その話のなかでぼくはレイが青年学校の五年生であることや世界歴史と政治学を学んでいるということを知りました。そんなわけでかのじょは政治の勉強のためにカンさんの話をきいたり、そのこまごました仕事のお手伝いをしているということでした。
 山すそをまわったガケふちで車をとめ、ぼくらはちょっと休みました。そこからさきの道は左側に深い谷をしたがえてまがりくねる急な下り坂になっていました。ぼくらは車からおりて、アカマツが一列に植わっているガケ側の土手にのぼって腰をおろしました。土手の下は谷にそう歩道になっていました。で、車は土手と並木に守られて安全に行き来できるように、人は車に気をつかうことなく、谷の景色をながめながら安全に歩けるようになっていたのです。
 レイは、はるかかなたの谷あいの一点――平べったいマッチ箱のような建物を指さしていいました。
「きみはあそこで汽車に乗るんだよ。そして安岡駅でおりる。あとはケンにまかせはいい」
 急な坂道がなだらかになり、駅に近づいたと思われるころ、ぼくは思い切ってそれまで遠慮していた質問の矢をはなちました。
「レイ、あなたは男の子と同じような話しかたをしますが」とぼくはきいたものです。「この国の女のひとはみんなそうなんですか?」
「男の子のような?……」とレイは不思議そうに聞きかえしました。「きみの国では、女はべつの言葉を使わなくちゃならないのかい?」
「そうしてますね」
「なぜ?」
「だって、むかしからそうすることにきまってますからね。そうしないと損をするんですよ。たとえば男の子に好かれません。お嫁のもらい手がなくなります」
「わたしの国では男も女もそんなことに気をつかわないよ」とレイはつまらなそうにいいました。「女が特別の言葉を使わなくちゃならないなんて不平等だね」
 レイは「ヤマトナデシコ」のことをなんにも知らないようだったので、ぼくはそのことを――女性はしとやかで、やさしくて、上品で、優雅で、そしてチャーミングでなければならないと日本では考えられているということを説明してやらなければなりませんでした。するとレイは大口をあけてハッハッハッと笑いました。
「そんなふうだったら、ろくろく仕事もできないよ」としばらく笑ってからレイはいいました。「わた
-----P128-----
しらはそんなのはごめんだね。そんなふうにやるのは夏の日盛りの田の草とりよりもくたびれそうだ」
 そしてこうしめくくりました。「そんなのは女ドレイの見栄やへつらいというもんだ。へつらうひとは悪いひと」
 ぼくはしゃくにさわり、大いに反論してやろうと身構えましたが、残念なことにめざす駅が目の前にあらわれてしまいました。

次  章