Top

目  次

一○章
汽車の旅

            赤アリ村のほら吹き駅長 六十歳からの自由人
            広告のない景色 商人国と百姓国 温泉の休養所

 それは、駅というよりはむしろ、地上へ半分姿をあらわしたトーチカといったほうがよいような妙な建物でした。かなりの広さをもっているのに、高さは三メートルそこそこ、屋根はたいらで、その上に草が生えていました。窓は少なく、壁は切り出したままの大小さまざまな石をセメントで固めたもので、そのため厚さは半メートルほどもありそうでした。で、その建物はまるで大岩をくりぬいてつくられたもののようにがんじょうで無骨に見えるのでしたが、しかし、そのすそのほうは自然が手をかして緑のビロードのようなコケや寄生植物でかざりつけられていました。
 ぼくはレイに連れられてひんやりとしてうす暗い、ほら穴のような待合室にはいりましたが、そこにはひとりの乗客も見あたらず、ただ旧式の柱時計がけだるい午後をきざんでいるばかりでした。レイは時計をちらと見て「あと三十分で汽車がくる」といい、ぼくについてくるようにと身振りで知らせ、となりの事務室へ通じる分厚い木のとびらを押しました。
 ぼくらがその部屋にはいると、六十歳くらいのおじいさんと、十七、八歳の女の子が読みさしの本をとじて立ちあがりました。
-----P130-----
「やあ、レイ。それからそっちは平四だね!」と老人は太い声でいって節くれだった大きな手をさしだしました。「よくきた。待ってたよ。わしはここの駅長だ。こっちはわしの助手で副駅長だ」
「そして、それっきり」と女の子はくすくす笑いながら手をさしだしました。
 駅長だの副駅長だのとはいうものの、その駅にはこの二人っきりしかいなかったのです。そのうえ、制服・制帽などもないらしく、ただ、ふつうの半そでのシャツに、機関車と、それにかれらの村のしるしらしい赤アリの絵がえがかれた腕章をつけていただけでした。しかし、それはともかく、駅長も副駅長も陽気で親切でした。
「きみはまあ、そのやさしいからだで、よくもまあ、あの国境の石壁をこえてこられたもんだ。えらい!」と老人はぼくをつくづくながめながら、へんなほめかたをしてくれました。「あっち側はあいかわらず、鉄砲玉でもって熱烈歓迎をやってくれただろうな」
 老人はこの国の軍隊がなくなる前の若いころ、国境警備の任務についたとき、石壁によじのぼってむこう側を見ようとしたことがあるといいました。
「だがまあ、連中のケチなことといったら!」といって老人は大げさに両手をひろげました。「ほんの十秒もあちら側を見させてくれなかったよ。なにしろわしは機関銃のタマがじゅずつなぎになって三方からわしを目がけて突進してくるのを見るのがやっとだったんだからな。きみのときはどうだったかね?」
「ぼくは無我夢中で石壁から落っこちました」
「そりゃ無理もない。このわしだってやっとこさタマより一足さきに飛びおりられたんだから」
 副駅長が大きなスイカをかかえてきました。駅長はそれを四つ割りにしながらつづけました。
「ところがどうだ。先頭きって飛んできたタマのやつが、わしの頭のてっぺんの髪の毛を一つかみかじ
-----P132-----
りとってしまったのだ。おかげでわしのてっぺんはこんなふうにかがやくようになった。わしがタマよりおそかったら、まあこんな具合になっていたろうな」といって駅長は黒いタネをたくさんふくんだ赤いスイカの実をしめしました。
 ぼくらはめいめいの大きな一片にかぶりつきました。それはよく冷えていて甘く、すばらしい味でした。駅長は自分の駅に備えつけの天然冷蔵庫を自慢し、そしてスイカの味を自慢しました。
「よく覚えておいてもらいたいね、平四」と駅長はまじめくさった顔をしていいました。「これが日没国でいちばんのスイカの味なんだ。なにしろ、このわしが丹精こめてつくったものなんだから」
 副駅長とレイがくすくす笑いました。
「赤アリ村はこの国いちばんのスイカつくりばかり」と副駅長がいいました。「あっちのおじいさんも、こっちのおじいさんも、みんなおなじことをいっているよ」
「赤アリ村をホラフキ村と改名したほうがよさそうだ」とレイがいいました。
「そいつは無理だろうな」と駅長が応じました。「だいいち、目にみえないホラをどうやって旗じるしの絵にかきあらわせるのかね?」
「たやすいこと」とレイはすまして答えました。「じゅずつなぎの大口を絵にかけばいい」
 駅長はハゲ頭をなで、ぼくらは大笑いしました。
 ほら吹き駅長はお百姓なのでした。もう本業をやらなくてもよい年になったそうですが、スイカつくりにおとらず汽車が好きなので、駅長をかって出て働いているということでした。そして、副駅長も青年学校の三年生ですが、これも汽車が好きなのでおなじことをしていたのです。
 汽車がくる時間が近づいたので、ぼくはプラットフォームへ出てぶらぶらしていました。
 それは、手入れがよく行きとどいて清潔で、こぢんまりした谷あいの小駅でした。そして、夏はそこにもそれにふさわしいだけの恵みをわけあたえていました。プラットフォームのほぼ半分は花壇につくられていて、そのほかは石畳でしたが、その花壇には色とりどりの夏の草花が燃えきそい、ハチやチョウが暑さをものともせずに飛びかっていましたし、レールや石畳の上には目くるめく日ざしがふりそそぎ、とびはねていました。そこでは陽気でたくましい夏が踊っていたのです。けれども、石造りの建物を三方からとりかこむ木木の下では、無数のニイニイゼミがかなでる切れ目のない音楽のなかで夏はひと休みし、まどろんでいました。そしてその一角に、駅長が自慢した天然冷蔵庫――手がしびれるような冷たい清水が絶えず土管から流れ落ちてあふれている石造りの大きな水そうがあって、三つ四つ浮かんだスイカをゆるやかに回転させていました。
「ひゃあーあ、ひゃあーあ……」という遠くからの大きなほえ声におどろかされてぼくは水そうからはなれました。そのインディアン部隊のとき[#「とき」に傍点]の声のようなものは汽笛だったのです。赤や白の小旗をもった駅長と副駅長、それにつづいてレイも事務室から出てきました。
 年老いた黒牛のような機関車がその鼻づらを山すその曲がりかどにあらわし、黒けむりをせわしく吹きあげ、白い大息を線路にはきつけながら、あえぎあえぎやってきました。それはもう日本では鉄道博物館へでもいかなければ見られない旧式な機関車で、三つの客車と四つの貨車を重そうに引っぱってやってきました。
 静かな小駅がしばらくのあいだにぎわいました。駅長は黒牛のシューシューという吐息のあいまに機関手と大声で何やら言葉をかわし、副駅長は貨車から何やら荷物をおろし、レイはぼくをうながして二番目の客車にはいり、まばらな乗客に向かってぼくのことを手みじかに紹介して下車しました。、とはいうものの、この駅で汽車に乗ったのはぼく一人、降りたのは夫婦づれらしい老人二人だけでした。
 黒牛が「ひゃあーあ」ととき[#「とき」に傍点]の声をあげて身ぶるいし、がたごとと動き出しました。ぼくは空いてい
-----P134-----
る席の窓からからだを乗り出してレイたちに手を振りました。
「いい旅を!……」とレイが叫んで手を振りました。駅長も副駅長も小旗を振って見送ってくれました。
 まばらな乗客は年寄りばかりだったので、ぼくは老人専用車に乗せられたのではないかと思いましたが、そうではなく、どの車両もおなじようなものであることが間もなくわかりました。そして、年寄りとはいうものの、みんな元気で陽気で、くったくのない気持ちのいい人たちであることを知りました。かれらはあちこちの席で立ちあがり、「ちいさいお客さんよ!」とか「石壁のむこうから来た友よ!」とか「わしの孫のヘイシよ!」などと呼びかけ、自分たちの席へくるようにすすめるので、ぼくはどこへいったらいいのか困ってしまったほどでした。しかし、となりの席にいた銀髪のやせたおばあさんに手をとられてその席に坐らせられて、さわぎはおさまりました。その席は二人ずつ向かいあうようになっていましたが、向かいの席の窓ぎわにはユズを赤くしたような大きな団子鼻をもったおじいさんが坐っており、そのとなりには顔の半分をもじゃもじゃのゴマ塩ひげにうずめたおじいさんが坐っていました。
「よくもまあ、こんな小ヤギのようなきゃしゃなからだで、あの石壁がこえられたね」とおばあさんは窓から吹きこんでくる木の葉の香りのする風に乱れる銀髪をかきあげながらいいました。「石壁のむこう側はこわかったろうね? そしてこれからどこへゆくのかね?」
 ぼくは国境の石壁をこえてきたときのようすや首都でJDIたちに会ってきたこと、そしてゼンマイ村へゆくところだということなどをかいつまんで話しました。
「おお、乾杯したい!」と団子鼻のおじいさんは網だなからぶらさがっている三、四本の大きなヒョウタンを見あげながらいいました。
「平四の幸運のために! ジロベエとサンエモンのために! ゼンマイ村のために! そしてわれわれ自由人のために!」
「まっぴるまの気ちがい水はハナハダよくないね」とおばあさんはたしなめました。「その鼻が肉団子のように、トウガラシのように、カラスウリのようになってもいいのかね?」
「夜までおあずけかね」と団子鼻のおじいさんは肩をすくめました。「よしよし。野天ぶろからあがるまで我慢することにしよう。だが、そのときには根本法の節制条項のためにも乾杯せずばなるまいな」
 この老人たちは温泉へ骨休めにゆくところなのでした。
「自由人」という、ちょっと聞きなれない言葉が出たのでなんのことかときいてみると、おばあさんは「日没国では六十歳になった人たちのことをそう呼んでいるのさ」と答えました。
「ではこの国の人びとは、六十になるまでは不自由人なんですか?」とぼくは不思議に思ってききました。「日本は自由主義国ですから、だれもかれも自由ですよ。つまり、みんな自由人ってことになりますね」
 あちこちの席にいた老人たち、四、五人が近くの席に移ってきて、ぼくらの話に耳をかたむけていましたが、みんなはぼくのいったことを聞くと、顔を見あわせてほほえみました。
「それはけっこうなことだが」と団子鼻のおじいさんがいいました。「日本では六十になると、暮らしのために働かないで自分の好きなことをして生きてゆかれるのかね?」
「それはその人の財産しだいです」とぼくは答えました。「財産さえあれば一生働かずに好きなことをして暮らしてゆけますし、それがなければ七十、八十になっても自分の生活費をかせぐために働かなくてはなりません。それはあたりまえのことでしょう?」
「六十をすぎてから、自分の生活費をかせがなくても気楽にやっていける人はたくさんいるのかね?」
「さあ、それは……」ぼくは頭をひねって考えこみました。ぼくは親類や知り合いの老人たちのことや、
-----P136-----
それから新聞記事に出てくる老人たちのこと――病気や家族との折りあいを苦にして自殺するあわれな老人たちのことなどにあれこれと思いをめぐらしたのです。
「財産がたっぷりあって、すこしも暮らしに困らずに好きなことをして生きていかれる人とか、そのうえにかせいで財産をますますふやしていけるような幸せな人は非常に少ないですね」とぼくはしばらくして答えました。「ほとんどの年寄りは暮らしのために働かなくてはならないようです。そうした人たちはひょっとすると九○パーセントくらいになるかもしれませんね」
「きみの国には失業というものがあるそうだが、年をとったために働き口がなくなったり、病気になって働けなくなったらどうなるんだね?」
「そうなれば自分の子や兄弟に養ってもらうのです。それもできないときは国から生活保護を受けるほかはありませんね」
「セイカツホゴだって? 妙な言葉だね。……で、それは気持ちよく受けられるものなのかね?」
「ぼくはまっぴらごめんですね」と肩をすくめてぼくはいいました。「他人のお慈悲をうけて、ちいさくなって生きてゆくのはいやですからね。そんなことをするくらいなら自殺したほうがましですよ」
 老人たちはぼくの話をきいてざわめきだしました。
「けっこうな自由主義国だ!」と一人がいうと、「かわいそうな年寄りたち!」とべつの人がいい、またある人が「日本の年寄りたちの自殺率は世界で二番目とか三番目とかきいたことがあるが、それだけ生きてゆく苦しみから自由になりたい人が多いわけだ」というと、またべつの人が「自由があっても、その分け前が平等でなければなんにもならないな」というのでした。
「ちいさな友よ、よくきいてくれ」と団子鼻のおじいさんは胸を張っていいました。「わしら自由人はひとり残らず堂堂と生きている! わしらは自分の好きなように生きていける。働きたければ働き、遊びたければ遊び、休みたければ休む。自分を養うために働く必要はないからだ。だからわしらは自由人といわれるのだ」
「そうだ、わしらは六十になるまでまじめに働いてきた。自分やその家族のためだけでなく、みんなのために。見も知らぬ子供たちや年寄りたちのためにも」とだれかがいいました。「その働きが自由人としてむくいられるのだ」
「そうだとも、わしらはいままでに自分がついやしてきたものはもちろんのこと、このさき百年生きようとも自分を養っていけるだけのコメやムギをつくり出してきた」とべつの人がいいました。「だからわしらは堂堂と生きてゆけるのだ。おなさけで生きているのではない。だからわしらは自由人なのだ」
「そうだ、お慈悲で生かしてもらっているんじゃない」、「あわれみで生かしてもらっているんじゃない」、「自分の財産をたよりに生きているんじゃない」、「人の財産をくいかじって生きているんじゃない」と年寄りたちは口口にいいました。
「平四よ、つまりこういうことだ……」とそれまで黙っていたもじゃもじゃひげのおじいさんがひげをなでなでいいました。「わしらは万人を養うために六十まで働いてきた。だからこんどは万人がわしらを養う番だというわけなんだよ。で、一日二十四時間はわしらのものなのだ。だが平四、よくきいてくれ。……わしらは自由人とはいっても、自由というものをそんなに買いかぶってはいないんだよ。わしの国に平和州や平等州はあっても自由州というのがないのはそのためさ。歯と胃袋と生殖器という重りをそなえつけてつくり出された人間はもともと不自由を背負っている生きもので、重りがへらないと自由がふえないというあんばいになっている。たとえばこのわしだが、歯の半分がぬけてなくなり、最後にのこったものがまったく用なしになったら、それだけ自由がふえたと感じている。これがほんとの自由というものだとわしは思うのだ。きみはさっき、わしらが自由人なら六十まえの人びとは不自由人か
-----P138-----
ときいたね。その答えはもうわかったろう。しかり、しかりじゃ」
 みんなががやがやはじめましたが、どうもほとんどの人がひげのおじいさんの説に賛成のようではありませんでした。しかし、かれは「えっへん」と大きなせきばらいをしてみんなを黙らせ、話をつづけました。
「まあ、もうちょっときいてくれ、お若い衆。およそ人間ほど不自由な生きものはこの世に存在しないとわしは悟った。だから、いつも自由が口にされている。赤んぼうを見てごらん。あの人生の出発点は不自由のかたまりだ。成長するが早いか、わずかばかり持ちあわせていた自由の半分ずつをたがいに投げすててまでも結婚したがる。それから、万人の万人に対する自由の奪いあいに明け暮れる。それがどうだ。年をとって連れあいをなくし、歯をなくし、足腰がきかなくなるとこんどは不自由をなげくのだ。もともと、どれほどの自由をもっていたと思ってるんだね? そしてその自由とはいったい何だったのだろう? 自由などというものは不自由の大木のこずえに咲いてすぐ散る花のようなものなのだ。だから、幸福と同様に自由はまぼろしのようなものさ」
「咲いたらおしまいのタケの花でなくてよかった」と団子鼻のおじいさんがいいました。「ともかく年年花が咲く」
 みんなはくすくすと笑いました。
「その花にもいろいろある」とひげのおじいさんはすました顔をしてつづけました。「ケヤキの花のようにだれにも気づかれずに小さくひっそりと咲いて散ってしまうのもあれば、サクラの花のようにはなやかに咲いて人の目をうばうものもあり、ホウの花のように大きくゆたかに咲いても人にもてはやされないものもある。だが、どれにしてもその生命は、はかなく、もろく、短いもの。その花ですらサトイモのように咲かせないでおわることがある。まあ、自由とはそんなものだね」
「だが、年じゅう咲いている花だってあるよ」とだれかがまぜっかえしました。
「太陽と水がたっぶりある暖かい土地ではね」とひげのおじいさんは応じました。「同様に人間の自由の花にはたっぷりとした時間と平静が必要だ。だから人間はひとりでいるときがいちばん自由だといった哲学者がいる。こういう点ではこの国はまあ、かつて地球上に存在したどんな国よりも自由の花をよくひらかせることができる国といえるだろうね」
「じゃあ、おまえさんは」とまただれかがまぜっかえしました。「どうしてひとりでいて、そのいちばんの自由を楽しまないのだね?」
「だからわしはいったじゃないかね」とひげのおじいさんはひげをしごきながらゆう然と応じました。
「自由の花ははかなくてもろいものだと。わしはこの一年というもの、ひとりきりの自由をたっぷり味わいながら自由とは何かということを考えてきたものだ。そして悟りを開いたらちょっと退屈を感じたので、湯につかりたくなったというわけじゃ」
 みんなはどっと笑いだしました。だれかが「わしの自由はおまえさんのとはちょっと違う」というと、べつの人が「わしの自由はまるっきり反対のものだ」といいました。めいめいの顔つきほどに違った自由がとび出しそうになったとき、「ひゃあーあ……」という黒牛のひょうきんなほえ声がみんなの自由を吹っ飛ばしてしまいました。
 汽車は山あいの小駅で一息いれました。それは石造りではありましたが、前の駅とはまるっきりおもむきが変わっていて、しゃれた山小屋ふうのものでした。そしてこの山小屋に似つかわしく、プラットホームぞいにイチイの木――これはおばあさんから教わったのですが――が一列に植えられていて、涼しい木かげをつくっていました。ここもまた、静かなのんびりした駅で、乗り降りした人は一人か二人だけでした。
-----P140-----
 窓から身を乗り出して機関車のほうを見ていた団子鼻のおじいさんが手を振って大声をあげました。
「おーい駅長!」とかれは叫びました。「おーい、戦友! わしだ! ゴンベエだ!」
 いっぱいの笑いでひげづらをひろげた老いた熊のような大男がゆう然と窓のむこうに姿をあらわしました。かれは「おう、おう、おう!」とうなりながら大手をひろげ、ゴンベエじいさんを汽車からもぎとろうとでもするかのようにがっしりとだきかかえました。
「久しぶりだったなあ、わしもこのとおり元気だ。まだまだ働けるぞ」と老駅長はゴンベエさんの足を床にもどしてからいいました。「骨休めか? うん。温泉か? うん。半月だったかな? うん。帰りに寄ってくれるだろうな? うん。ゆっくりむかし話でもやろうや。待ってるぜ。うん」
 二人は年のころ、十七、八歳の男の駅員がそばへ来て、ササの葉のつまった竹かごをさし出すまで、汽車のことを忘れてしまったかのように話しつづけました。駅長は竹かごを見て自分の仕事を思い出したらしく、ズボンのポケットからホットケーキのように大きな懐中時計をひっぱり出し、それを見て「おう」とうなりました。
「これはわしがとったイワナだ。こんばんのおかずにしてくれ」と駅長は急いで竹かごをゴンベエさんにわたしながらいいました。そして若い駅員をかえりみて「これはわしのあとつぎ、わしの孫だ」といいました。駅長は戦友のために、どうやら五分くらい発車を遅らせたのち汽車を解放しましたが、だれひとり文句をいうものはいませんでした。
「戦友ってのは、あの『人間戦争』のときにいっしょに戦った仲間のことですか?」とぼくはゴンベエじいさんが席に落ちついてからききました。
「おお、そうだ。きみは『人間戦争』のことを知っていたのかね」とゴンベエさんは答えました。「わしらの年のものはみんな戦った。あの駅長はじつにりっぱな勇士だったよ」
「あの駅長さんは自由人のようなのに、まだ働いているんですね」
「あの男は大の汽車ずきでね。まいにちあの駅へ出て汽車の世話をしないことには夜寝られないそうだ。かれは駅員を楽しんでやっているのだ」
「みんなそんなふうに思い思いの仕事を楽しんでやっているのさ」と銀髪のおばあさんがいいました。
「ぴんぴんしたからだをもっているのに、なんにもしないでのらくらしていることができるものかね。そんなことをしていたら退屈の虫にくい殺されてしまうだろうよ」
「そうだ、退屈は自由の敵なんだ」とひげもじゃのおじいさんがいいました。「ショウペンハウエルといったか――えらい哲学者がいってるではないかね。人生は飢えと退屈のあいだを往復する時計の振り子のようなものだってな。わしら自由人はその退屈をうまく征伐するのに苦労しているのさ。退屈にやっつけられてふぬけになった自由人なんて見られたものじゃないからな。それはもう自由人ではなくて退屈のドレイというものだ」
 この、くったくのない朗らかな老人たちと、まわりに集まっていた老人たちは、温泉に近いというつぎの小駅で、口口に「いい旅であるように」とぼくにいって、めいめい大きなリュックサックを背負って降りてゆきました。で、ぼくは四人がけの座席にひとりきりになってくつろぎ、移り変わるそとの景色に見いりました。
 すばらしい景色でした。自然のままの山や森がせまってきたり、遠のいたりしながら絶えることなくつづいていました。そして、そのなかに奇妙な形をした岩山が婆をあらわしたり、走って白いあわをとばし、よどんであい色をたたえる谷川が見えかくれするのでした。人工的なものは非常にわずかしか見られず、それも植林された森、山すその田畑、谷川にかかるツタにおおわれた石橋といったようなものばかりでした。ここでは大自然が主人公で、人間の手になったものはつつしみ深い客のようなものでし
-----P142-----
た。ときどき、切れ切れに道路が見られましたが、山奥のせいか、夏休みちゅうのためか、人や車な見ることはほとんどなく、ただ谷川の河原で三角旗を立てて水遊びをしている子供の群れを二、三度見かけただけでした。ちいさなカッパの群れ! それは何と気持ちのよいながめだったことでしょう! かれらは自分では気がつかないで自然にとけこみ、そのおもむきをとりわけ引き立たせていたのです。こうした風景のなかを、汽車は山かげの涼しい風で客車のなかを洗いながら勢いよくくだったり、草いきれとともに虫の声を客車に送りこみながらあえぎあえぎのぼったりして進んでゆきました。
 いくつかの小駅をすぎたとき、ばくは自然の美しさだけでなく、駅でも――それは一つ一つおもむきが変わっていましたが――線路ぞいの何くれでも、目にはいるものすべてが清らかでさっぱりしていることに気づかないわけにはいきませんでした。それもそのはず、駅や汽車のなかはもちろんのこと、線路ぞいのどこにも、日本でなら大都会からへんぴな山奥にいたるまで、いやしくも人間のゆける所ならどんなところまでもうるさくまつわりつく、あのケバケバしく目ざわりな看板、広告のたぐいがここではまったく見られなかったからです。ぼくは一つの発見をしたのでした。そういえば、いままで気がつかなかったのですが、この国へはいって以来、あのハエのようにうるさい広告類はひとかけらも見た覚えがなかったのです。そればかりでなく、駅駅での売店や物売りもまったく見られなかったのです。で、ぼくは、それはたぶん根本法第三原則の欲望の節制のためだろう、いや、それよりも貿易というもののないこの国はアフリカやアマゾンの奥地のようなもので、まったく商業がふるわないためだろうなどと考えてみたのです。
 そんなことに考えをめぐらせていたとき、はなれた席にいたおぱあさんから、こちらへ来て話をしないかと呼ばれたので、その席へうつりました。そのおばあさんはその連れあいらしいおじいさんとともにぼくを迎えてくれましたが、この二人は八十近いと思われる年のせいか、ものやわらかな態度で、もの静かに話をする人たちでした。おばあさんは自分でつくったというお菓子やお茶をぼくにすすめながら、おじいさんと二人でずっと山奥の温泉へゆくところだといいました。で、話は自然に温泉や、それをめぐる観光地や乗りもののことに発展してゆきました。
「日本では、音のようにはやい電車や、家のように大きいバスや、めいめいが自分だけのものとして持っている自動車で温泉や観光地とかへ押しよせるそうだね?」とおばあさんはたずねました。「そして温泉にはリュウグウ城のように大きくてきれいなホテルとか旅館が立ちならんで夜も昼のようにひかりかがやいてにぎわい、観光地とか遊び場はオトギの国のようにきらびやかで豪勢だというはなしだが、ほんとにそんなものかね?」
「ちょっと大げさですが、まあ、そういってもいいでしょうね」とぼくは答えました。そして時速二○○キロでひっきりなしに走る東海道新幹線の列車のことや、全国いたるところを走りまわる観光バスのことや、十階建てで千人も泊めることのできる大ホテルをはじめとする大小のホテルや旅館がぎっしりと立ちならぶ温泉街のことや、これと手を組んでおびただしい人を引きよせている観光地や造園地や遊び場のことや、それらをつなぐために網の目のように張りめぐらされた立派な道路のことなどをぼくの知っているかぎり話してやりました。けれども、ぼくにはもう、こうしたものを自慢たらしく話すことはできませんでした。
「なるほど、日本はすっかり商人国になったね」とぼくの話にじっと耳をかたむけていたおじいさんがいいました。「自然の景色や名所や遊びや、時間や場所や、それに温泉までもが切り売りされるようになってしまったのだね」
「そういういいかたができるかもしれませんね」とぼくはすなおに答えました。どうもそんなふうにいわれそうな予感があったのです。
-----P144-----
「日の光や空気までもが売られているのではないかね?」といっておじいさんは肩をすくめました。
「そういえるかもしれませんね」と答えて、ぼくは大きなビルや自動車道路ができたために日当たりや風通しが悪くなったたくさんの家家のことを思い浮かべました。
「わしらの国はきみの国と反対のほうへ進んできたのだよ。商人国へではなく、百姓国へとね」とおじいさんはつづけました。「エンゲルスというえらい人がいったそうだね。『商業は発展して詐欺となった』と。商人国では農業でさえも発展して商業になる。おなじように宗教も政治も教育も、医療も芸術もスポーツも発展して商業となるものだ。とすれば、それらはさらに発展して詐欺となるというわけだ。ところが、百姓国では農業は発展して徳となる。商業も宗教も、政治も教育も、医療も芸術も発展して農業となり、さらに発展して徳となるというわけだよ」
「商業が発展して農業に?……」ぼくは頭をひねって考えこみました。
「まあ、おじいさん。そんなむずかしい理屈なこねまわさなくても……」とおばあさんがほほえみながら口をはさみました。「ありのままの話をしたほうがいいんじゃないかね」それからおばあさんはぼくに向かっていいました。
「わたしの国の鉄道は国じゅうどこへいっても、これこのとおり……。わたしら同様の年寄り汽車がこうして走っている。石炭が掘りつくされて電気機関車と交替するときがくるまで、わたしらはこの古い友だちを修理しいしい大切に使うのさ。この古い友だちは気むずかし屋だが、わたしらにとっては気楽な友だちでね。息せききって走りつづけることがきらいなので、きみがさっき話してくれたような特急もなければ急行もない。夜走ることが大きらいなので、夜行列車なんてものもない。わけへだてすることが大きらいなので、きみがさっき話してくれたようなグリーン車だとか座席指定車なんてへんなものもない。だからJDIもわたしらとおなじ料金を払い、わたしらと同じ席にすわり、わたしらとしゃべりあって旅をするのさ。馬のようにじょうぶな足をもっている若者を遊びやつまらぬ用事のために乗せることが大きらいなので、若い連中は病気ややむをえない用事でもないかぎり、徒歩旅行をしたり自転車旅行をすることになっている。だから客車のなかはいつもこんなふうにすいていて、きみがさっき話してくれたように、屈強な若者たちが車内に充満して座席を占領し、年寄りが悲鳴をあげるというようなこともないのさ。おまけに、わたしら自由人をただ同然の安い料金で乗せてくれる。この古い友だちは生活に必要な物資を輸送することをおもな役目としていて、人間を運ぶことは二のつぎなのさ。
 さて、それから、わたしらはこの汽車をおりると、あとは自分の足で歩いて山奥の温泉へゆく。とちゅうにも、そのさきにも、どこまでいっても観光地もなければ遊園地もなく、遊び場もなければゴルフ場もない。大自然はそのままで観光地であり遊園地なんだから、これをこわしてよけいなみにくいものをつくり出すことはしないのだよ。温泉についても、もうホテルも旅館もない。そうしたものは、いまでは休養所と名が変わってしまったからね。むかしあったそれらの建物でしっかりしたものはいまでもその姿をとどめていて、これも修理しいしい大切に使われており、腐って役に立たなくなったものは取りこわされて、そのかわりに石造りの建物が建てられているが、それらはみんな休養所になってしまったのさ。ここでわたしたちは湯につかって、のんびりと静かに、そして気楽に休むというわけさ」
「そうだ、なによりも気楽にな」とおじいさんがあとを引きとっていいました。「この休養所で切り売りされるものは一つもない。料金はタダなんだからね。そのかわり一つのきまりがあって、自分の世話は自分でしなければならないことになっている。自分たちで自分たちの料理をつくって食べ、部屋の掃除をし、自分の着物の洗たくをしなければならないのだよ。JDIや研究所の老学者だってわしらとおなじで、いっしょに湯につかり、いっしょにつくったものを食べ、いっしょになって話し合うのさ。これが何より楽しいことでね……」
-----P146-----
「食料品は自分でもってゆくのですか?」とぼくはゴンベエさんたちが大きなリュックサックを背負って汽車を降りていったことを思い出してききました。
「し好品のたぐいだけはね」とおばあさんが答えました。「食料は休養所の倉庫にたっぷりたくわえられていて、自由に使えるようになっているのだよ。それに、休養所には養魚場や菜園や果樹園がついているので、新鮮な魚や野菜や果物にこと欠くことはない」
「それはすてきですね!」とぼくはおどろいていいました。「だったら若い人たちがわんさと押しよせてくるでしょうね」
「おお、ちいさな友よ」というておばあきんは肩をすくめました。「休養所は自由人と病気の人の保養のためにあるのだよ。若い元気な人は病人の付きそいででもないかぎり休養所へゆくのは遠慮することになっているのさ」
「でなかったら、きみの国のように温泉場は若者に占領されてしまい、年寄りはすみっこで小さくなっていなければならないだろうよ」とおじいさんがいいました。「わしの国の若者たちは思いやりが深くてね。人生の最後の時期にあるわしら自由人の平和を尊重してくれているのさ。かれらは、いずれ自分たちも自由人になるということをよくわきまえており、それを楽しみにさえしているのだからね」
「この国は老人天国なんですね」とぼくは感心していいました。
「それはつまり、若者天国ということにならないかね」とおじいさんはいいました。「だれでも安心して平和な老後を迎えられるから」
 こんなことを話しあっているうちにいくつかの駅をすぎました。……老人たちは、とある小駅で降りて温泉へ向かいました。いよいよ目ざす安岡駅はつぎということになって、その駅が近づいてくるにつれ、なぜかぼくの心臓はときめきだしました。

次  章