Top

目  次

一三章
区の食堂での歓迎晩さん会

            ケンの四区案内 家のつくりかた 区の幼年学校 スポーツの話
            教員になる資格 主食はタダ 区の中心地のようす すてきな晩さん会

 午後おそく、ぼくはケンに連れられて四区を散歩し、その足で晩さん会に出るために家をあとにしました。道みちでのケンの話によりますと、四区はその中心にある広場から東西と南北に走りでる通りで四つのブロックに分けられ、各ブロックは七、八十戸の家をもっていて、ケンの家は南西のブロックのはしのほうにあるということでした。晩さん会までにはたっぷり時間があったので、ぼくらは四区の住宅地のなかを大きくひとまわりしてから、広場のそばにある食堂に向かうことにしました。
「ここがお百姓さんたちの住んでいる部落だなんてとても信じられないね」とぼくは落ちついて静かな屋敷町といった風景を見まわして感心しながらケンにいいました。「どこの村でもこんなふうなのかい?」
「どこの村でも……町でも市でも、おなじようなものだよ。ただ町や市だと区の数が人口につれて多くなるだけさ。村だと区は四つか五つしかないけどね」
「町や市の区になると、ここよりずっと人や家の数が多くなるんだろうね?」
「そんなことはないね。区というものはどこでも千人以下の人が住むところだから……。そして区の中
-----P176-----
心まで歩いて十五分以内に住むことが適当だとされているからね。村の中心へだって歩いて一時間以内でゆけるようになっているんだ」
 ぼくらは、いくつもの広い通りやわき道のせまい通りをぶらぶら歩きしてゆきましたが、どの道も歩くのに楽しい道ばかりでした。広い通りはリンゴ並木やサクランボ並木をかかえ、通りに面した庭の一部は色とりどりの草花が咲き乱れる花畑になっていて、道ゆく人の目を楽しませてくれるようになっていましたし、せまい通りは進むにつれておもむきが変わってゆく両側の庭や畑のもようがつぎつぎに目を楽しませてくれたのです。
 家家の多くはケンの家と同じくらいのかなりの古さで、年月にみがかれた落ちついた美しさをもっていましたが、新しく建てられた家もあちこちに見られました。そして、ところどころに屋敷一つ分の広さの草地になった空地があって、ヤギが草をはんでいたり、ニワトリの群れが遊んでいたりしました。空地は区の中心地から遠くはなれて住んでいる人たちが引っ越しを希望したときのために用意してあるということでした。家家の広さはどれもだいたい同じようなものでしたが、造りはまちまちで、玄関が北側や西側についている家もありました。しかし、ケンの家のような造りがかなり数多く見うけられました。家の設計はだれがしたのかとケンにたずねてみたところ、それはその家に最初に住む人がきめたのだということでした。
「ぼくの家の造りはヒロシとイネが相談してきめたそうだよ」とケンはいいました。「ヒロシの家とおなじようにつくってくれという人がつぎつぎに出てきてね。それがヒロシたちのちょっとした自慢なんだよ」
「いま、あそこに家を建てたいという人があったとしたら……」とぼくは草地をさしてたずねました。「どういう手順でつくられるんだろう?」
-----P178------
「かんたんなことだよ。村の建設委員会に、こんなふうな家をつくってほしいといって絵図面でもかいて申し出ればいいのさ。あとは委員会が計画をたてて一切やってくれる。百姓仕事がひまな適当なときに、半月もかからないうちにつくりあげてくれるよ。なにしろ、村じゅうからつくり手があつまってきて仕事をしてくれるんだからね」
「建築工事の代金はなんにも出さなくていいんだね?」
「もちろんさ。自分たちの家をつくるのにカネをとるはずがないよ」
「ここに見える家の二倍の大きさの家をつくってほしいという人がいたら?」
「きみはへんなことを考えるんだね!」とケンは目をハトのようにまるくして肩をすぼめました。「村じゅうの人に、人の二倍もめいわくをかけようっていうのかい? そんなことをいい出す人はいないよ。めいわくかけるは悪いひと、……だからね」
 ときどき庭に出ている人や通りがかりの人を見かけると、ケンは「こんにちはおばさん……」「こんにちはおじさん……」と気軽にあいさつを送りました。すると相手は「やあ、ケン。まだ海へいかないのかね」とか「やあ、こんにちは、ケン。タケノコのようにのびてるね。どこまでのびるつもりなんだい?」などとのんびりした調子で応じるのでした。
 四区を大きくひとまわりしたと思われるころ、長い帯状の林につきあたりました。林のむこうはゴルフ場の芝生のように手入れのよくゆきとどいた美しい草地で、野球場ほども広さがありました。そしてその草地を林が四角にふちどっているのでした。
「これは四区の幼年学校だよ」とケンは林にはいりながら草地のむこうの林を指さしていいました。
「ぼくは幼4までここで遊んだのさ」
 ケンの指さすほう――刈りとられたあとに短く生え出たあざやかな緑の燃えひろがる草地のさきの林のなかに、木立になかば身をかくすようにした低く長い灰色の建物が見えました。
「幼1から幼4まで――つまり三つから六つまでの子供は、自分の住む区のなかにある幼年学校へゆくことになっているんだよ。だって、かれらはまだちいさいからね」とケンははなしてくれました。「幼5からは村の中心区にある幼年学校へゆくことになっているのさ」
「少年学校や青年学校は?」
「それはもちろん村の中心区にあるんだよ」
「ここには何人くらいの子供たちがきているの?」
「五十人から六十人くらい」
「ふうーん!」とぼくはうなって広びろとした緑のじゅうたんをながめまわしました。草地のむこうで、マメつぶほどに見える五、六人の子供がウサギのようにとびはねて進んでいました。
「すごーいぜいたくだね」しばらくしてぼくはいいました。「たったの五、六十人の子供のためにこんなに広い運動場がつくられているなんて……」
「そうでもないさ。子供たちが遊ばないときは大人も使うんだから」
「それにしても、ぼくの中学の運動場はこの十分の一もないってのに、生徒は一、二○○人もいるんだぜ。だから休み時間はイモを洗うようなさわぎで、三メートルもまっすぐ走ることができないんだよ」
「でも、どこかほかに遂び場があるんだろう?」
「ああ、遊園地かい? そりゃ、ないことはないさ。バスに乗ったり電車に乗ったりして遠くへいけばね。でもタダで遊べるわけじゃないんだ。おカネと時間をかけなければ逆ぶこともできないんだよ」
「でも、きみの国にはぼくの国にない大きな競技場とか野球場とかがずいぶんとあるそうだね。……なんていうんだろうな……ほら、いろんなスポーツや競技をやるところさ、……馬だの自転車だの自動車
-----P180-----
だのを走らせたり、……玉ころがしをする広い芝生まであるそうだね」
「うん。そういったものはなんでもあるよ。年がら年じゅう大勢の人をあつめてはでにやってるね」
 ぼくらは涼しい林のなかをぶらぶら歩いてゆきました。ぼくは新聞やテレビで見たあれこれのスポーツや競技の一つ一つを思い出しながら、ケンにその話をしてやりました。……東京でひらかれたオリンピックのことから始めて、まい年おこなわれる国民体育大会のことや野球やすもうや、バレーボールやゴルフのこと……はては競馬、競輪、オートレース、モーターボートレースなどなどのことまで……。
 話しているうちにぼくは「スポーツも発展して商業となる」といった汽車のなかの年寄りの自由人の言葉を思い出しました。そして、おカネをとって見せるためのスポーツが断然多いことに気づきました。(おカネさえもうかるものなら)とぼくは考えました。(カブトムシのレースはおろか、ナンキンムシのレースだってされるにちがいない)
「だけどね……」とぼくはひととおりはなし終わってから肩をすくめていいました。「ぼくら子供たちにはさっぱり用がないものばかりなんだ。ぼくはいままでに高校野球の地方予選をたったの一度見にいったことがあるだけだよ。……どれもこれも大人用のものばかりだね」
「うん。そんなふうだね」とケンは小首をかたむけながらいいました。「子供たちの遊び場を大人たちが取っちまったみたいだね。ひどい大人たちだ。大人だって子供だったときがあったのに……」
「取っちまったってわけじゃないだろうけど……」
「いちばん運動場がいらないのは老人と赤んぼう。そのつぎが大人。いちばんそれが必要なのは子供たちだっていつかヒロシがいってたよ。だからばくの国の学校の運動場は、どこでもここと同じようにたっぷりとってあるんだってさ。これでも子供たちにとっては広すぎることはないんだそうだよ」
「そりゃあ、たしかにそうだね」
 ケンはぼくがならべたてた日本のスポーツや競技にはほとんど興味をしめしませんでした。かれには、みんなが平等に参加してやれるものならともかくとして、高いおカネを払わなければできないようなものや、ひとにぎりの選手や競技者のやることを大多数の人びとが――しかもおカネを払ったり、かけたりした上で――大さわぎして見るといった見せものスポーツなど理解できないようでした。日没国の人びとのスポーツや競技についての考えかたは、日本のそれとはまるっきりちがっていたのです。ケンの話ですと、日没国でもいろいろのスポーツや競技がさかんにおこなわれていますが、その目的はただひとつ一年じゅう薬と医者の世話になって、どうにかもたせているといった弱い健康ではなく、みんなの強い健康をつくること、つまりはみんなのための幸福のみなもとをつくることにあるというのです。で、みんながよく歩き、よく走り、よくとびはね、よくかつぎ、よく泳ぐといった根本的なことがもっとも重んじられており、だれがどんな新記録を出したとか、だれがホームランを何本うったかなどということはいちばん最後の問題なのでした。そんなわけですから、おカネを払って観る見せものスポーツや競技、おカネをかけて観るばくちレースなどをはじめとして、すこしでもおカネに結びつくようなものがぜんぜんないのはもちろんのこと、金メダルだとか優勝旗だとかを奪いあうということすらないということでした。
「なるほど」とぼくは感心していいました。「商人国ではスポーツは発展して商業となるんだね。そして百姓国ではスポーツは発展して道徳となるんだ」
「えっ、なんのこと?」とケンはふしぎそうな顔をしてぼくを見ました。
「ある自由人の老人からきいたことさ。やっといまその意味がのみこめたんだよ」
 ぼくらがあゆんでいった林は自然のものではなく、いろいろな種類の木をたくみに配置し、植えてつくられたもので、一本一本の木に名札がつけられ、カタカナで木の名前が書きこまれてありました。モ
-----P182-----
ミ、ヒバ、イチイ、ブナ、ハルニレ、トチノキ、シナノキ、ドロノキ、、カツラ、カシワ、ミズナラ、ライラックなどなど……何十種類もの名が読みとれましたが、なさけないことに、ぼくの知っている木は三つか四つしかありませんでした。
「ケン。きみはここにある木の名前をぜんぶ知っているの?」とぼくはたずねてみました。
「知ってるさ」ケンはあたり前だという顔つきでいいました。「四年もここへきていて、毎日のように見ていたんだからね。芽の出るときも、花の咲くときも、実のなるときも、葉の落ちるときもね。だからここの木はみんなぼくの友だちのようなもんさ」そしてつけくわえました。「村の中心区にある幼年学校や少年学校、青年学校でもここと同じようなぐあいになっているんだよ。ただ、上級にすすむにつれて木の種類が多くなるし、草やコケや岩石が加わるし、説明がくわしくなるけどね」
「じゃあ、きみはずいぶん知ってるんだね! すごいんだなあ!」
「だれだっておなじようなもんさ。百姓を第一の仕事にするには必要なことだからね」
「木や草の名札はだれがつけたの?」
「村の人たちと学校の教員たち……それに青年学校の学生など」
 教員という言葉をきいたとき、ぼくは日没国ではいったいどういう資格をもった人が教員になるんだろうという疑問をいだきました。
「日本では大学を卒業してその資格をとらないと教員になれないんだけど……」とぼくはたずねました。
「この国には大学がないね。とすると、どういう資格をもった人が教員になるの?」
「資格なんて話はきいたことがないね」とケンは笑っていいました。「村の人たちが教員にふさわしい人を見つけたらJDIに知らせ、JDIたちが相談しあってから、その人にたのんで承知してもらえばそれでいいのさ。どこの村でも町でもそんなふうにやってるよ」
「じゃあ、採用試験というようなものはないんだね」
「そんなものはないよ」
「どんな人が教員にふさわしい人なの?」
「まず正直で賢い人。そしてそれにおとらず真理を愛し、平等と平和を重んじ、友愛の心にあつい人……そんなことをヒロシがいってたね」
「じゃあ、教員になれるのはいちばん優秀な人、すばらしい人なんだね」
「うん。だから村の人たちから非常に愛され尊敬されているよ。ゆくゆくは指導者になる素質をもった人たちだといわれているね。おお、そういえば、あのカンさんはFJDIになるまえは平和州の山奥の村で教員をしていたんだよ」
「ふうーん!」
「もうずっとまえ、カンさんが生徒たちを連れてこの村へきたとき、ぼくのうちに泊まったことがあるのさ。そのときカンさんははたちだったそうだよ」
「そういえば若い人がずいぶんいるようだね……」ぼくは若い教員をなんにんも見かけたことを思いだしていいました。
「ああ、たくさんいるよ。はたちで教員になる人はめずらしくないんだから。たとえばノボリなんか――ノボリというのはぼくの同級生なんだよ――かれははたちになったら教員に選ばれるだろうね。ぼくは、そうなればいいとのぞんでいるんだよ」
「ノボリに会いたいな。紹介してくれる?」
「よろこんで。だけどいまはこの村にいないよ。同級生といっしょに平等州のニシン村に自転車旅行でいってるからね」
-----P184-----
「ふうーん?」とぼくは首をひねりました。「というと、……ケン、きみもいっしょにゆくことになっていたんじゃないの?」
「ああ、そうだよ。だけど……」
「すまなかったね。ぼくのためにのこって……」
「ちっとも気にすることはないんだよ。もうほうぼうへ旅行してきたし、青年学校にはいってからもいけるんだから」
 幼年学校は夏休みちゅうなので、とびらはとざされてひっそりとしていました。運動場の反対側に玄関があり、その前には花壇と噴水のあがっている池がありました。池には色とりどりのコイが泳いでいました。
(日本でいうなら、ここはさしずめ保育園と幼稚園みたいなものだっていうのに……)とぼくは幼年学校から通りへ出ながら思いました。(ここはぼくのかよった幼稚園の百倍も広くて、百倍も楽しそうだ!)
 ぼくらは、かたむいた日が長い影を落としているリンゴ並木を北のほう――区の中心に向かってすすんでゆきました。
 通りの両側に石造りの大きながんじょうな建物が向かいあって立っていました。どちらもとびらがしまっていましたが、二階建ての窓の少ないほうは区の食糧倉庫で、一階建ての平べったいほうは区の工場だとケンが教えてくれました。ぼくは立ちどまって、それらのどっしりとして立派な建物をかわるがわるながめました。
「ここには四区の人たちの二年分の食糧がたくわえられてあるんだよ」とケンは倉庫を指さしながらいいました。「そして区の人たちは、ここから三月《みつき》か四月《よつき》分の食糧を受けとってゆくことになっているのさ。だけど倉庫はここにあるだけじゃないんだよ」ケンはほこらしげにつけくわえました。「いざというときのために、村の中心区にももっと大きな倉庫がいくつもあるんだ」
「そんなにどっさりあるんなら、食糧の値段はうんと安いんだろうね」
「タダだよ」とケンはいいました。「健康をたもつのに必要なかぎりのものはね。それは空気や水と同じようなものだからね」
 タダときいてぼくはおどろきましたが、土地や建物までもが人民のものとなっているこの国のことだから、それも当然だろうとなっとくできました。
「だけど……」とケンはつけくわえました。「必要でないばかりでなく、ないほうがましなようなもの――たとえば砂糖菓子や酒やタバコのようなものは高いカネを出さなければ手にはいらないよ。そういうものはからだに悪いものだからね」
 それからケンは工場を指さしていいました。
「農機具や自動車や自転車や、そのほかの機械類のかんたんな修理はここでやるんだよ。むずかしいものは村の中心区にある工場であつかわれるんだ」
「村の人たちが自分たちで工員の仕事もするのかい?」
「もちろんさ。自分たちのことは自分たちでやるのがあたりまえだからね」
「その技術はどこで習うの?」
「かんたんなことなら村のなかで習えるよ。むずかしいことなら百姓仕事がひまなときを利用して町や市の工場へいって習ってくればいいのさ。第二の仕事を習いにゆくんだから、どこへいってもよろこんで教えてくれるよ」
「それもタダでかい?」
-----P186-----
「もちろん。町や市の人たちだって村へ百姓仕事を習いにくるんだからね。おたがいさまさ」
「じゃあ、村から都会へでかせぎにゆくんではないんだね」
「でかせぎ?」といってケンはちょっと沈黙し、そしていいました。「ああ、あのことだね。第二次世界大戦まえ何百年ものあいだ、この国の百姓たちが都会へ働きにでかけていったという……。歴史で習ったことがあるよ」とケンは笑っていいました。「まったくちがうよ。あんなことは昔ばなしさ。いまぼくの国ではどんな村へいっても、暮らしに困ってよそへ働きに出なければならないようなものはただの一人もいないからね。いまでは村の人たちは、めいめいの第二の仕事の技術を習ったり、友達をつくったり、旅行を楽しんだりするために都会やよその村へゆくだけなんだよ」
「じゃあ、でかせぎは楽しい旅行にかわってしまったんだねー……」
 ケンの話をきいているうちに、ふとぼくほ国境の石壁から落ちたときこわれたままでリュックサックにしまってある腕時計のことを思い出しました。で、その修理がこの村でできるかどうかケンにきいてみました。
「ああ、できるとも」とケンはむぞうさに答えました。「腕時計の修理を習ってきた人は村になんにんもいるよ。となりのおじさんもやれるんだ。明日にでも頼むがいいよ」
 区の中心にさしかかったらしく、前のほうに広場が見えました。
 広場に足をふみいれてみて、ぼくはその立派なことにおどろきの声をあげました。広場のまんなかには、ほぼ半円形の石造りの野外劇場があり、ステージのわきの柱には赤地に白丸の国旗とゼンマイがえがかれた三角旗がかかげられてありました。ステージは太い石の柱でささえられた屋根をもち、百人がおどれるほど広く、木立をめぐらせた見物席は、四区の人びとぜんぶをらくに収容できるほどの広さをもっていました。木かげの石の座席に腰をおろして休んでいる人もちらほらと見られました。
 ケンについてぼくはステージにあがり、広場をながめまわしました。広場からは東西南北に四すじの広い通りが走り出ており、広場のまわりにはがっしりしていてしかも美しい、一階建てまたは二階建ての石造りの建物がそのまわりの樹木とよく調和をたもちながら、ほどよいへだたりをおいてならんでいました。
 あれが区の公会堂――小公会堂ともいわれている、あれが区の図書館――おなじように小図書館ともいわれている、というふうにケンは教えてくれました。食堂、学習館――演劇や映画や講演などがおこなわれるところ、物資集散所――マーケットのようなもので、略してBS(ビーエス)といわれているところ、診療所などなどがありました。それらの建物は、この国にはいってはじめて見た堂堂としたものだったばかりでなく、ちょっと古風ではありましたが、それぞれの目的にふさわしく、じつに上品にたくみに親しみやすくつくられていたので、ぼくは感嘆のあまりピューと口笛を吹きならしました。
「これもみんな村の人びとがつくったんだね! こんな山奥の村にこんな立派な広場や建物があるなんて思ってもみなかった!」
「このくらいなんでもないことさ」とケン。「自分たちのものを自分たちでつくるんだから一生懸命にやるからね。それよりもきみの国には、この村の人たちがぜんぶはいって働けるほどの小山のような建物がたくさんあるそうだね?」
「ああ、大都会のビルのことだね……」ぼくは東京の大きなビルのことを思いうかべながらいいました。
「たくさんあるし、まだどしどしつくられているよ。大きなのは地上地下あわせて五十階建て、高さが二百メートルをこえるものもあるんだよ。しかし、ここの広場のようなところは東京にも横浜にもないんだよ。まして山のなかの村へいったらなおさらのことさ。おまけに働き手や若い人たちはみんな大都会へかせぎに出てしまって村はカラッポ。おじいさん、おばあさんたちばかりがのこって、ほそぼそと
-----P188------
暮らしているってことだから、ここのようなものはつくりようがないし、その必要もないってわけだね」
 ぼくらはステージをおりて木かげの石の座席に腰をおろし、はなしをつづけました。
「そうすると、まだ昔からのでかせぎがつづいているんだね」
「もっと多くなったようだよ」
「その大きなビルってのは、でかせぎの人たちや、そのほかの働く人たちがつくったものだそうだね?」
「そりゃもちろんさ。つまりはでかせぎの人たちをはじめとする労働者がつくったものさ」
「それでいて、できあがったものは、つくった人たちのものではなく、その人たちが使うこともできないんだそうだね」
「まあ、そうだね。この国のように、つくる人たちが自分たちで使うためにつくったものではないんだから」
「できあがったものを自分のものとして持ったり、使わせたりしているのは商人なんだってね」
「ほとんどそうだろうね。日本は商人国だそうだから」
「へんな国だね」
「どんな村へいっても、ここと同じような広場があるのかい?」とこんどはぼくがたずねました。「そして町にも市にも?」
「ああ、どこにもあるよ」とケンは答えました。「ただ、その部落の人たちの好き好きで、思い思いのつくりかたがされているけどね。……でも、町や市だからといって、ここより大きく立派だというものでもないよ」
「じゃあ、高いビルのような建物はないっていうのかい?」ぼくはふしぎに思ってたずねました。
「ぼくの国では三階までの建物しかつくらないことになっているんだよ」
 ぼくはおどろいてそのわけをききました。
「そんな必要がちっともないからさ」とケンは笑いながら答えました。「第一に四階以上の建物が必要なほどの人間がいないんだよ。これからさきもずっとそうだろうね。第二に高い建物はつくるのによけいな手間と費用がかかるし、上り下りがめんどうだし、危険がふえるからね。そして第三には日かげをたくさんつくって木や草に悪いからね。高いところにのぼりたければ山がいくらもあるんだからそこへいけばいいのさ」
「なるほどね」とぼくは感心していいました。「火事や地震のときに危険が少ないし、はしご車もエレベーターもエスカレーターもいらないということにもなるね」
 そんなことを話しあっているうちに、二人、三人と連れだった村びとたちが広場にあらわれ、食堂のほうへ向かうのが見られました。
「あと五分で六時だよ」といってケンは立ちあがりました。「さあ、ぼくらもいこう」
「どうして時間がわかるんだい?」とぼくはケンが腕時計をもっていないのでふしぎに思ってききました。
「ヒロシがあそこをゆくからさ」
 食堂のほうに向かって、広場をおじさんとおばさんがゆっくり歩いていました。ぼくらはそのあとを追いました。あちこちから大勢の人びとが食堂にあつまりはじめていました。
 食堂の入り口に近づくと、おいしそうなにおいがプンプンしてきました。入り口の両わきは料理場になっていたのでした。村びとたちは入り口を通るとふた手にわかれ、料理場の窓口から大きな木製のお盆にのせられた食べものを受けとって自分の席へ運んでゆきました。ぼくもケンにならってお盆を受けとり、食堂の奥にあるステージのほうにすすみ、その近くのおじさん夫婦が坐っていたテーブルにつき
------P190-----
ました。
 大きな広い食堂でした。ぼくの中学校の体育館の二倍もありそうでした。席について見ていると、ちいさな子供たちも自分でちいさなお盆を運んでいました。そして窓口に手のとどかないちいさな子供やからだの不自由な年寄りたちのためには、幼年学校の上級生や少年学校の生徒がお盆を運んでやっているのが目につきました。
 テーブルはケンの家のそれを二倍にしたような大きさで、十人はらくに食事できるようになっていました。そしてそれが食堂のまんなかの広い通路の両わきに、将棋盤の目のように整然と百個ばかりもならべられていたのでした。いすには低い背もたれがついていましたが、一つのテーブルに一つから三つくらいは高い背もたれとひじかけのついた立派なものがおかれてありました。それは老人用――つまりは自由人用のものなのでした。
 ぼくをふくめて十人がぼくのテーブルにつきました。ぼくのとなりに坐ったおばさんが、小声でごくかんたんにぼくを同席の見知らぬ人たちに紹介してくれました。
 高い背もたれとひじかけのついた立派ないすは三つあり、その二つをいかにも根っからのお百姓らしい、人の好さそうな老夫婦――イネサクじいさんとナツばあさんがしめていました。もう一つのいすには、ツルのようにやせ、うすくなった銀髪をいただき、深いくぼみの奥に緑色がかった茶色の目を光らせた、気むずかしそうないちばん年長の老人が坐っていました。その人がヒロシおじさんの話にでてきた、あのゴロイチじいさんその人でした。そしてのこりの三人は西どなりの一家で、くったくのない明るい顔をした、いかにも働きものらしい中年の夫婦――ムギゾウおじさんとハルおばさん、そしてその子のリンという少女でした。リンは幼8――日本でいうと小学校四年生ですから、九歳か十歳――のオカッパ頭をした小柄ですばしこそうな子でしたが、ときどき細い横目をつかって、見くらべるようにぼくとケンをじっと見つめるのでした。
 色どり豊かではありましたが、質素でさっぱりした服装をした村びとたちが静かなざわめきをたてながら潮がよせてくるようにぞくぞくとつめかけてきて、ステージの前のいくつかをのこし、そのほかのテーブルをみたしました。この国にはいって以来、こんなに大勢の人を一度に見るのははじめてだったので、ぼくはただおどろいてまわりを見まわしていました。すると入り口のほうで拍手が起こり、それが大波のようにゆるやかにうねりながら奥のほうへ移ってきました。ホタテ村の少年少女たちがこの拍手の波に乗ってあらわれ、ステージの前のあいたテーブルをみたしました。拍手が鳴りやんだと思ったとき、白いヤギひげを生やした老人がステージの前に進みでて片手をあげました。かれがその手をゆっくりとおろすと漸がひくようにざわめきはピタリととまりました。
「あの人がぼくらの区から出ている村のJDIだよ」と、となりに坐っていたケンがぼくにささやきました。
 ホタテ村の少年少女たちと二人の若い教員はいっせいに立ちあがって村びとたちのほうに向かいました。
「きみもだ、平四」とおじさんがいいました。「かれらとおなじようにやるんだね」
 ぼくも立ちあがって村びとのほうに向かいました。やお屋の店さきにつまれた赤いリンゴのようにぎっしりならんだたくさんの顔が目にはいると同時に、ぼくはドギマギして目がかすんでしまいました。なさけないことに、こういうときになるとぼくはいつものぼせあがってしまうのです。
「みなさん、遠くから友だちがやってきてくれました……」というJDIの老人のあいさつの言葉がしーんと静まりかえっている食堂のなかを楽しそうにころがってゆきました。
「北のほうから大勢できてくれたのは真理州ホタテ村の少4の友だちです。南のほうからただひとりき
-----P192-----
てくれたのは――もうほとんどのみなさんが知っていると思うが――日本の少年、モリ・ヘイシくん。われわれの国の第一号のお客さん。ケンとおない年でケンの家に泊まっています。さあ、われわれの友愛の心をこめて、われらの友をようこそと迎えましょう」
 あちこちから、ちいさな子供たちの歌うような叫び声があがりました。
「ようこそ!」
「ヨーコソ!」
「よーこーそー!」
 そして盛大な拍手がわきおこりました。
 ホタテ村の連中はにこにこ笑いながら手な振ったり頭をさげたりしましたので、ぼくもそれにならってピョコンと頭をさげました。
 JDIは手をゆっくり振って拍手をおさえ、かれの短いあいさつをこうしめくくりました。
 「さあて、みなさん。ではこんどはみんなでごちそうの歓迎することにしましょう」
 笑いのさざなみのうちに、みんなはごちそうの歓迎にとりかかりました。すると、シューベルトのセレナーデ(?)のような澄んだ静かな曲が流れ出し、しばらくつづきました。
 すばらしいごちそうでした。肉や魚や野菜や、果物までもたっぷりあったばかりでなく、その味がとびきりすばらしかったのです。おどろいたことに、それはぼくが父や母に連れられていった東京や横浜のどこの料理店、レストラン、食堂の食べものの味にも、まさるともおとらないものだったのです。
「こんな山奥で、こんなにおいしいごちそうを食べられるなんて、夢にも思わなかった!」とぼくは舌つづみを打ちながらいいました。「これもみんなここの人たちがつくったのかしら?」
「自分たちの食べものを自分たちがつくらないで、だれにつくらせるのかね」といっておばさんは笑いました。「この国にはきみの国のように料理屋とか食堂とかいうような食べもの屋はなんにもないんだからね。だから、すばらしい食事ができるようにみんなで一生懸命工夫するのさ」
「それにしても……専門の料理人がいないってのに……ふしぎだなあ……」
「料理つくりを第二の仕事にしている人もいるよ」とケンがいいました。「そういう人がさきに立ってつくってくれるのさ」
「なるほどね……」ぼくは半分くらいなっとくできました。
「もちろん、専門の料理人というようなものはこの国にはいないさ」とおばさんが引きとってつづけました。「しかし、むかしは日本と同じように都会にはたくさんいたものだよ。いまではもう、そういう人たちはほとんど自由人になってしまったがね。そういう人たちが自分の住んでいる町や村や、そして求められればどんな山奥にでもでかけていって料理のつくりかたを教えてくれるんだよ。むかしは商売上の大事な秘密にしていて人に知られるのをおそれていた料理つくりのコツも何もかもね」
「それももちろん、タダで教えてくれるんでしょうね?」
 おばさんは声を押しころしてくっくっと笑い、みんなはほほえんだりくすくす笑ったりしました。気むずかしそうな顔をしたゴロイチじいさんさえも片方の唇のはしをゆがめてほほえんだのです。
「まるっきりタダとはいえまいね」とこんどはおじさんがいいました。「国じゅうどこででもかれらをよろこんで迎えてくれるから、かれらは楽しい旅行ができるよろこびを得られるからね。そして、死んでしまえば自分といっしょに消えうせてしまうものをたくさんの人たちに伝えるよろこびをもっている。無数の人たちによろこんでもらえるというよろこびももっている。じっさい、この村へ料理を教えにやってきてくれたいくにんもの自由人たちは、みんなによろこんでもらえることが何よりのお礼だといっていたよ」
-----P194-----
「そういうことだね」とゴロイチじいさんがしわがれた声でいいました。「もし、むかしそうだったように、かれらがお礼にカネを求め、わしらがそれを当然のことと思うようになったとしたら、いまヒロシがいったようなよろこびは消えうせてしまうだろうよ」
「まあ、そういったわけで……」とイネサクじいさんがにこにこしながらいいました。「わしらはこんな山奥に住んでいても、おいしい中国料理やフランス料理を味わうこともできるというもんさ。しかも、むかしはひとにぎりの金持ちの口にしかはいらなかったものが、いまではどんなところに住んでいるどんな人の口にもはいるようになったんだよ。ただ、毎日というわけにはいかないがね」
 ゆっくりした楽しい食事が一時間あまりもつづきました。ぼくは自分の皿に盛られたものを平らげるだけで十二分に満足しましたが、ケンはゴロイチじいさんの皿の半分くらいまで侵略しました。よく見ると、若い人たちのそれと違って、自由人の皿にはやわらかでおいしそうな特別の食べものが盛られてありました。かれらはそれを自分のテーブルにいる食いしんぼうの子供たちに分けあたえてやっていました。
 たくさんの人びとがはいっているにしては、食堂は静かで清潔な空気につつまれていました。というのは、聞いてみると日没国では、他の公共の場所と同じように食堂では酒とタバコが禁じられていたばかりでなく、他のテーブルの人たちの話のじゃまになるような大声を出すこともつつしむことになっていたからです。この国でも酒やタバコはつくられているそうですが、それをたしなむ人は年寄りに多くて若者に非常に少なく、したがって年年その数がへってゆくばかりだということでした。
 拍手がわき起こったので見ると、若者たち十人あまりがキラキラ光る楽器を手にしてあつまっていました。それは四区の青年学校の男女によるブラスバンドでした。かれらは軽いイギリス民謡とアメリカ民謡をいくつかたくみに吹奏しました。するとそのお返しということで、ホタテ村の男女の生徒たち十人ばかりがステージにあがってハーモニカをとり出し、若い女の教員の指揮でロシア民謡を二つと、その教員が作曲したという『ホタテ貝の歌』という愉快な小曲をやり、大かっさいをうけました。
 こうして楽しい晩さん会は八時近くに終わりました。人びとはからになった食器をのせたお盆を食堂の窓口に返し、めいめいの家へと散ってゆきました。
 そとにでると、冷え冷えとした夜気がほてったほおを気持ちよくつつんでくれました。ふりあおぐと、夜空いっぱいに金の砂をふりまいたように無数の星がまたたいていました。そんなにたくさんの星を見るのは、ぼくがずっとちいさかったころ以来なんどめのことだったでしょう! 大都会の横浜では、晴れわたった夜でももう星は数えるほどしか見られなくなっていたのです。
 星のことをなんにも知らないぼくのために、ケンが指さしていろいろ教えてくれました。
「ほら、あれが北極星。……あのヒシャクのかたちをしたのが北斗七星。……あのWのかたちをしたのがカシオペア。……それからあれがリュウ……」
 ゴロイチじいさんの手を引いて、うしろを歩いてくるリンが歌いだしました。

[#ここから3字下げ]
   トウィンクル トウィンクル
   リッルスター
   …………
[#ここで字下げ終わり]

 鈴をふるような、かわいらしい、いい声でした。

次  章