Top

目  次

一七章
ゆうゆうジャーナリズム

            なまけラジオ 放送戦争 ラジオクラブ テレビのない国のテレビクラ
            ブ 雑誌『夕日』と新聞『友愛報』 日本への復帰問題

 夕食のはじまるとき、六時。おばさんは古ぼけたラジオのスイッチをひねりました。電波にのってくる声をきくのは日没国にはいって以来はじめてのことだったので、ぼくは全身を耳にしてその声にききいりました。
「みなさん、今晩は。ニュースの時間です。カモシカ村のサタケ・ジローです」とアナウンサーが、カモシカをしゃべらせたらこんな声を出すかもしれないと思われる独特のへんてこな声で話しだしました。
 NHKのアナウンサーたちのあのスマートな美しい声にくらべたら、それはまあ、なんというやぼったい声だったでしょう!
「みなさん、夏休みはいかがですか? 快適にやってますか? さて今晩もみなさんとともによろこびたいことは、世はすべてこともなし――とくべつに変わったニュースがないということです。でもまあ、いくつかをお知らせすることができるのは、わたしにとってしあわせなことです。それは……」という具合にサタケ氏はつづけました。
 いくつかのニュース。――平等州ハタハタ村の少3生徒二十人がコンニャク村に着いたこと、サクラ
-----P252-----
ンボ町の少2生徒三十人が平和州のウニ町へ向かって出発したこと、真理州で二人の若者が三百キロのマグロをつりあげたこと、クロユリ村の家に帰って夏休みをすごしているJDIのなんとかさんが一九九五年が来たとき日本へ復帰したほうがいいかどうかについての論文を書いていること、今夜から明日にかけてマメ台風が友愛州を通るけれども心配するほどのものではないこと、などなど……。
 それは十分くらいで終わり、そのあとはカモシカ村の幼年学校生徒合唱隊が歌う『カモシカの歌』とそのほか二、三の小曲が流されました。
 サタケ氏の紹介によると、『カモシカの歌』は合唱隊の指揮者である幼年学校の若い女教員が作曲したものだということでしたが、ユーモラスでかわいらしい、いい曲でした。
 放送はぜんぶで三十分で終わってしまい、アナウンサーは「ではみなさん、またあした。おやすみ」といいました。
「今晩の放送はこれっきりでおしまいなんですか?」とぼくはあきれていいました。「放送局まで夏休みなんですか」
「いつもこんなふうだよ」とスイッチを切りながらおばさんはいいました。「そればかりか、ときには三目も休むことだってあるんだよ。なにしろジローがいったように、世はすべてこともなしって日が続いてるもんだから。まいにち、朝、昼、晩、三十分ずつのニュースを流すってことはなみたいていのことではないらしいんだよ」
「でも、ぼくの国では……」ぼくはおどろいて叫びました。「朝の五時から夜の十二時まで、いいえ、それでも足りずに深夜放送ってのまであって、一日二十時間もラジオとテレビがぶっつづけでいろいろやっているんです。それも、地方のものまでいれたら何百という放送局がですよ」
「だからわたしたちは、日本人は気が狂ってしまったんじゃないかと話し合ってるよ」といっておばさんは笑いました。「この国には、首都に一つと四つの州に一つずつの五つのラジオ放送局しかないが、それでじゅうぶん間に合ってるよ。首都のものなんぞ、このところたいした出来事がないもんだから、月に一回やらいしか放送しないしまつさ。そんなふうだからテレビはまだないんだよ。そりゃあ、わたしたちの国だって、ときには丸いちんちぶっつづけでラジオを使わなければならないことだってあろうさ。でも、国をあげての大議論とか戦争でもおっぱじまらないかぎりはそんなことにはなりそうもないだろうよ」
「といいますと、ぼくの国のラジオやテレビはまるで戦争さわぎをやってるみたいですね」
「そうとしか思えないね。戦争ニュースや戦争をまぎらすためのバカさわぎをやってるとしか思えないよ。わたしにはうまくいえないが……」
「でも、ぼくの国はいま、歴史はじまって以来いちばん平和で繁栄しているときだそうですよ」
「その戦争と平和のことなら……」おばさんはちょっと困ったらしく、おじさんに助けをもとめました。
「ヒロシにきいてごらん。わたしよりはずっとうまくはなしてくれるよ」
「……まえにも話したと思うんだが」おじさんは例のほほえみを浮かべて静かな調子で話しだしました。
「鉄と火が飛びかっていないからといって平和だというわけにはいかないよ。カネの奪い合いを第一の原則として組み立てられた社会では、カネと物を飛びかわせてたくさんの人を殺すことができるんだからね。うわべは平和でも一皮むいたその下は戦争というわけなんだ。ほら、きみたちだっていっているではないかね。受験戦争、交通戦争、貿易戦争、公害戦争などとね。だが、これらはまだまだほんの一部のもの。その背後には権力とカネの奪い合い戦争、商売戦争、仕事の取り合い戦争、そのほかありとあらゆる生存戦争がある。きみの国のラジオやテレビは商売戦争の先頭で広告戦争・放送戦争をやっていることになるだろうね。これらの戦争で、年寄りから子供をふくめて、おびただしい人間がまい日ま
-----P254-----
い日死んだり傷ついたりしている。生活に敗れての一家心中、先ゆきを苦にしての年寄りの自殺、受験勉強になやんでの少年少女の自殺――これらはみんなその戦争のあわれな戦死者たちなんだよ。そして、いつも刑務所をみたしている何万という囚人たちは、その戦争のあわれな捕虜なのだ。わかるかね?」
「受験戦争と交通戦争のことはよくわかりますが……」といってぼくはしばらく考えました。「……なるほど、商売戦争、そして放送戦争ですか。たしかに、ぼくの国のように一日二十時間もぶっつづけで、うるさいぼどにぎやかにやってれば、戦争さわぎといわれたってしかたがないかもしれませんね」
「そして国民の九○パーセントが放送戦争の捕虜になってしまっているというわけだよ。なんというおそろしいエネルギーのムダだろう! しあわせなことに、この国は百姓国、……商人国でも役人国でもないから商人放送も役人放送も起こりようがない。おかげでわたしたちは電波になやまされることがなく、こうして静かな時間をたっぷり持つことができるんだよ」
 おじさんがちょっと勘違いしているように思えたので、ぼくは軽く抗議しました。
「でも、ぼくの国では商人放送や役人放送ばかりではありませんよ。NHKというのがあって、あれはそのどちらでもありませんからね」
「ほほう、そうかね」といっておじさんは肩をすくめて両手をひろげました。「わたしはまた、NHKというのは一種の役人の組織だとばかり思いこんでいたよ。というのは、わたしの考えでは――百姓仕事からすっかりはなれ、月給と引きかえに法律とか規則とかにがんじがらめにしばられて、ハグルマの一つになって働くものは、その名づけようはなんであるにしても役人とおなじものとしか思えないからね」
「そんなことをいうんでしたら」とぼくはちょっとむきになって応じました。「大会社の社員もみんな役人なんですか?」
「なかみはおなじことさ。そう思えないんなら役人の兄弟と考えてもいいさ。その証拠には、かれらの親玉たちはおたがいに持ちつ持たれつで、仲よく利益や勲章を分け合っているではないかね」
「そんならなんとかわかりそうですね」
「どうやら折り合いがついたようだね」とおばさんがにこにこしていいました。「そういうわけで、わたしたちはバカさわぎの時間をひかえて、ヒロシがいったような静かな時間をえらぶことにしたのさ。で、そのバカさわぎに輪をかけないように気をつかって、この国の電波は国境線より遠くへはとどかないように工夫されているくらいだよ」
「どうりで、この国の声がぜんぜん聞けなかったんですね。……でも、それはそれでいいとしても、この国の人民は日本の声や世界の声を聞けるんですか?」
「ほとんど聞けないね。というよりはむしろ、聞きたがらないね。でも、これはというような大切なことは知ることができるんだからちっとも困らないんだよ。ラジオのほかに新聞もあれば雑誌もあるんだから」
「でも、自分で選んだものを自分の耳で直接に、いつでも自由に聞けないとすれば、知る権利がないことになりはしませんか?」
「なるほど、知る権利とね!」おばさんは、まっ白い歯を見せて笑っていいました。「でもそのまえに、きみのいうようにして聞いたことが、だれによって、どういう目安でえらばれて、なんのために聞き手に送られるのか考えなくてはならないね。真理が隠されたり、ゆがめられていないかどうか。大切なことがおしのけられ、どうでもよいことがさも大切なことのようにならべ立てられていないかどうか。知る権利があなどられ、知りたくない権利がきずつけられていないかどうか……。でもまあ、きみのようになんでも自分の耳や目でたしかめたかったら、ジローのようにラジオクラブにでもはいればいいんだ
-----P256-----
よ。そうすればクラブにある受信機で世界じゅうの声を聞くことができるんだからね」
「あの人は放送の仕事を第二の仕事としているんでしょうね?」
「そのとおり。この村にもラジオクラブにはいっている人が三人もいるんだよ。みんなそういう方面の仕事に情熱を燃やしている人たちでね。そのうちの一人は二、三度放送したこともあったよ。まだジローほどはうまくやれなかったがね」
「シロウトとクロウトではたいへんな違いがあるそうですが……」とぼくは頭をひねりながらいいました。「いくら好きな仕事だとしても、よくもお百姓さんたちが専門家の仕事をやれるもんですね」
「シロウトでなかったクロウトはないんだからね」とおばさんは笑っていいました。「あることに興味と情熱をもっていて、おこたりない努力をつづけていけば、だれだってひとかどの専門家になれるだろうさ。第一の仕事が百姓であることは、さしさわりにならないばかりか、むしろ有利なことだよ。というのは、すこしも生活の心配をすることがなく、ゆっくりとあせらずに、第二の仕事に打ちこめるんだからね。そのうえ、ラジオも人民のものなんだから、必要とあれば研究所の学者たちの助けや指導を受けることもできるしね。だから十六歳でラジオクラブにはいった少年は、十年もすればいっぱしの専門家になってるよ。もし、自分の方向がまちがっているのに気づいたなら、自由にほかの好きな道を選びなおすこともできるしね。こうして五十歳になると、第一の仕事についやされる時間は三時間しかないのだから、余った時間はぜんぶ第二の仕事に使うことができるんだよ。そうなれば、もうかれはだれが見ても立派な専門家になっているだろうね。六十歳になると自由人、――もしかれがさらに第二の仕事をつづけてゆくとしたら、それこそ押しも押されもせぬ専門家ということができるだろうね。わたしは専門家なんて言葉はきらいだけどね」
「わかりました。でもちょっとばかり……」とぼくはためらいながらいいました。「日本のアナウンサーにくらべると、あの人は声が良くないようですね」
 みんなは、――おじさんまでもが声をたてて笑ったので、ぼくもつりこまれて笑ってしまいました。
「ジローが聞いたら、さぞおもしろがるだろうね」としばらくしておじさんがいいました。
「だがね、平四」とおばさんがいいました。「わたしたちはジローを尊敬もし、愛してもいるんだよ。かれは書いたものをただ読むだけの声の良いロボットではなく、自分の言葉で自由にしゃべる人だからね」
「かれはラジオが何のために、だれのためにあるのかよく心得ている」とおじさん。「そしてかれは自分が何をしたらいいのかもよく知っている」
「ちかごろは特別に変わった問題がないからあんなふうだけど」とおばさん。「何かことが起こったときのジローはとてもすばらしいよ。それにかれは、いまはかぼそい声でもいつかは大きな声となるものを見分ける力をもっているし、ちいさな出来事のなかから大きな教えを取りだす力をもっているんだよ」
「となりのイネサクじいさんは聖書読みで、『黙るに時があり、語るに時があり』ってよくいうが」とおじさん。「ジローはそのことをよく知っていて、よけいなおしゃべりでわたしたちをなやませないね」
「今夜はじめてきいたけど、『カモシカの歌』はすてきだったね」とケンがいいました。「きっとそのうちに、国じゅうの子供たちの間で歌われるようになると思うよ」
 おばさんがいれてくれたクコ茶をすすっていると、西どなりのほうから風にのって笛の音が流れてきました。それは庭の木木の葉をざわめかせてすぎる風の合い間をぬって、ひょうきんな音をヒャラヒャラとひびかせてゆきました。「リンがやってるな」とケンがつぶやきました。
(いまごろ、ヨコハマのぼくのうちではみんなでテレビを見てることだろうな)ぼくはふとそう思いました。(そして、日本じゅうのどこの家でも……。でも、こうしてゆっくり話し合う時間をたっぷり持
-----P258-----
てるのもすばらしいことだなあ……)で、ぼくは日没国の人びとがテレビを見たがらないのかどうかたずねてみました。
「いまそのことが問題になっているのだよ」とおじさんがいいました。「つまり、テレビをもってみて、はたして失うものと得るものとどちらが多いかということなんだがね」
「テレビがないのに、もうずっとまえからテレビクラブというものがあるんだよ」とおばさんがおもしろそうにいいました。「そして、クラブ員たちは研究所へいって、そこの学者たちといっしょになって日本のテレビを見ながら、いろいろと研究、思案ちゅうというわけなのさ」
「クラブにはいらないとテレビを見ることができないんですか?」
「いいえ。もし見たければ、クラブ員に研究所へつれていってもらえばいいのさ。この村にもそうやって見てきた物好きな人がなんにんかいるよ」
「へーえ、ずいぶんとのんびりした話ですね。ぼくの国では、いまではもう、どんな家庭でもテレビの一台や二台はもっているんですよ」
「そうらしいね。いつだったかテレビクラブ員からそんな話をきいたっけ」とおばさんは目を丸くしていいました。「なんでもきみの国は、カラーテレビというのが三千万台もゆきわたっていて、世界でも指折りのテレビ国なんだってね。で、女や子供は一日平均四時間もテレビの前で時間をつぶしているんだってね!」
「それで、おじさんたちもテレビ見物にいったことがあるんですか?」
「いいや、まだだよ」とおじさんがいいました。「見てきた人の話を聞いてみると、そう急いで見なければならないほどの価値のあるものではないようだからね。ちょっとお待ち……」そういいのこして、おじさんは部屋を出てゆきました。
「ずいぶん前から議論されてきたことだけど」とおばさんがいいました。「ほとんどの人たちはヒロシがいったようなことしかいわないよ。あれはなにからなにまで小さくって、映画をオモチャにしたようなものだってね」
「まあ、そういえばそんなものかもしれませんね」ぼくは苦笑しました。
 そこへおじさんがうすっぺらな雑誌と新聞をもってもどってきていすにおさまり、メガネをかけて雑誌のページをくりはじめました。
 おじさんは、その雑誌――『ユウヒ(夕日)』、一九七四年春号――にのっている日本のテレビを見てきた人たちの意見やら感想やらのいくつかを読みきかせてくれました。
「ある自由人、六十一歳。――あれだけのことなら、いまわしらがもっているラジオや映画や新聞、書物でじゅうぶん間にあうね。そのうえにとほうもない浪費をつけくわえる必要は見つけだせなかったよ。あれはわしの見たところ、カネ食い虫の時間つぶし機械というだけのものだ。おまけに中身ときたら、バカバカしくて話す気にもならんよ。あんなものに電力、建物、設備、機械、その他もろもろのばく大な物資ととうとい労働力をムダ使いするのは愚の骨頂だ。わしらはこれからりっぱな首都をつくらなくちゃならないというのに、あんなオモチャ機械にうつつを抜かしておれるかね。まあ、あんなものは少なくとも二十年はほうっておくがいいさ。そのあと、どうしてもあれを見たいんだったら、まあ学校か学習館といったところにでも取りつけることだね。ただし、そのときには中身をよくして、映画のスクリーンよりもでっかいやつをな。わしは自分の家を映画館にしたいとは思わんよ」
「ある女性、四十五歳。――日本人のほとんどは借金に追いまくられて息も絶え絶えに働きつづけていると思っていたけど、どうしてどうして、そんなことくらいへ[#「へ」に傍点]とも思わないらしいよ。でなきゃ頭がおかしくなっちまったんだ。なにしろひる寝や休み時間はおろか、働く時間や夜寝る時間までものべつ幕
-----P260-----
なしぶっとおしであれをやっているんだからね」
「ある男性、五十二歳。――なるほど、ちょっと見はおもしろい。だが中身ときたら真空管のようにからっぽだ。いちんち二十時間も放送しつづけているってのに、感心できる時間は半時間もあるかなし。あとは歌と踊りとサル芝居、愚にもつかないおしゃべりと悪ふざけ、カネ取りスポーツと牛にたかるハエのようにうるさい広告宣伝といったようなものばかり。つまりはたわいのないお祭りさわぎだ。だから出るやつ出るやつ、どれもこれも派手な衣装を身にまとっているが、ああいうのが正真正銘のゴクツブシ衣装の見本だとわしは思ったものだ。なかでも傑作なのは歌うたい連中や悪ふざけ連中のキンキラキンのピカピカ衣装で、あれじゃあ坊主の親分連中だって顔まけだろう。あんなもので静かな空気をかきみしだし、美しい光をだいなしにすることはないね」
「真理州のFJDIをしている女性、二十六歳。――ソクラテスは店さきにならべられたぜいたく品を見て、『わたしに用のないものがずいぶんあるんだなあ』といったそうだけど、そういう目から見てみると、あの怪物は形あるものと形のないものであるとを問わず、およそ人間のつくり出したおびただしいムダの代表品の陳列場といえるだろう。あの偉大な人にあのしろものを見せたら、かれは二千四百年もたったというのに、人間が道徳上ほとんど進歩していないことをなげくだろう」
「ある若い女性教員、二十歳。――あれには、むごたらしく、いやらしい悪事がみちみちている。戦争、人殺し、強盗、火つけ、婦女暴行、ゆすり、詐欺、きたならしいカネもうけ……数えあげたらきりがない。あれで平和国家だっていってるんだから、ただもうおどろくばかりだ。戦争国家と名を変えたほうがよさそうだね。ああいうものを日本人民がほんとうに求めているのかどうかは疑問だ。なぜかれらは自分たちをバカにし、堕落させ、大切な時間を盗みとるものを追放しないのだろう。なぜかれらはわれわれがラジオでやっているように、自分たち自身の手で放送をやらないんだろう?」
「第二の仕事として詩人志望のある男性、十九歳。――
[#ここから3字下げ]
   おお 光と音をはなつ小箱よ
   おまえは 半日ぼくをなやませた
   ぼくの頭を みだし 狂わせた
   帰りみち ぼくは 泉で目と耳を洗った
   おお 光と音の小箱よ
   さらば 永遠にさらば」
[#ここで字下げ終わり]
「まあ、ざっとこんなふうだね」とおじさんはメガネをはずしながらいいました。「だから急いで見なければならないほどのものではなさそうだよ。それより先にやらなければならないことがうんとあるからね」
「てきびしい批評でしたね。でもおおかたそんなものかもしれませんね」とぼくは笑って答えました。というのは、ぼくは受験勉強のおかげで、ろくすっぽテレビを見せてもらえなかったので、その腹いせの気持ちがあったからです。
「ついでだから、これをちょっと見てもらおうかね」といっておじさんはうすっぺらな新聞をぼくのほうに差しだしました。「ことわっておくが、これがいちばん新しい新聞だよ。となりのイネサクじいさんがひる休みにもってきてくれたばかりだ。わたしたちは何軒かずつでまわし読みをしているんでね」
 それは――『ユウアイホウ(友愛報)』と名づけられた三日前の日付の、八ページしかない新聞でした。
「へーえ、これでは新聞というよりも旧聞ですね!」とぼくはあきれていいました。「夏休みや冬休みちゅうはこんなふうにやってるんですか?」
-----P262-----
「いや、休みちゅうだからどうってことはない。いつもこんな具合にやってるのさ」とおじさんはこともなげにいいました。「ときとしては一週間おきということもあるよ。しかし何かことが起これば毎日つづけて発行されることになろうさ」
「ラジオがあんなふうなんだから、新聞もこんなふうなのさ」とおばさんが口をはさみました。
「では、夕刊はないんでしょうね?」
「もちろんだよ」
「日本では夕刊でさえ十二ページあるんですよ。しかもこの新聞より大型です」とぼくはますますあきれていいました。「そして朝刊となると二十四ページもあるんですよ」
「ほとんど輸入した材木で紙をつくり、あってもなくてもどうでもいいようなことをいっぱいのせてね」といっておじさんは肩をすくめました。「すさまじい材木、活字、労働力の浪費だね。何十年、何百年もたった木を切り倒してつくった紙をよごさなければならないほど価値のあるウワサ話はそんなにたくさんあるものではないのに」
「そういえば、となりのイネサクじいさんはよくいってるよ。『日の下には新しいものはない』ってね」とおばさんがいいました。
 そんなふうにいわれて新聞をよく見ると、――なるほど、日本の新聞ならその三分の一からひょっとすると半分をしめている広告がまったくありませんでした。スポーツ記事もなければ株式記事もなく、小説、碁、将棋欄もなければ、テレビは当然のこととしてもラジオ欄さえありませんでした。そして記事ののせかたといえば、――日本のそれとはむしろ反対に、最初の一ページから順順に人民記事、州内記事、国内記事、世界記事というふうにならべられており、それぞれが二ページずつを占めていて、人民記事がいちばん重んじられているように見えました。なかでも風変わりだったのは人民記事で、それは日本の新聞でいうなら、さしずめ読者の投書欄とでもいうようなものでしょうが、それとは比較にならないほど充実していて、論文もあれば詩もあり、だれそれの追悼文もあれば、よその村や町での生活報告もあり、どこそこの村でブタが十五匹の子を産んだ知らせもあるという具合で、人びとの生活報告や意見や感想などが自由に生き生きと繰り広げられているのでした。
 ぼくは拾い読みしながら、ざっと新聞に目をとおしました。そして、さっき専門家がどうのこうのといったことを恥じて顔を赤くしました。これと思われる記事は、――ひとりの人が書いたとしか思われないようなおなじ調子の日本の新聞の文章とちがって――書く人めいめいのスタイルで自由に率直に書かれていて、みなサインがはいっていました。
「これも新聞クラブの人たちによってつくられたんですね?」とぼくは感心してききました。
「そうだよ。より正しくいうなら、人民自身の手によってね」とおじさんは答えました。「人民はみずからどしどし投書するだけでなく、これはと思うような出来事があれば、それをすすんでクラブ員に提供したりして協力をおしまないからね」
「日本への復帰問題が記事のあちこちで取りあげられていますが……」とぼくはその問題に興味を感じてききました。「これからその大議論がはじまるんですか?」
「いや、もうその問題はほとんどかたがついたと見てもいいだろうね。いまJDIたちがそのことについて、まとめの論文を書きはじめているから、近いうちにかれらの考えかたが示されるだろうが、結論の見当はついているよ。なにしろ、わたしの見たところでは人民の九○パーセント以上は復帰に反対のようだからね」
「サトル先生は猛烈な反対者だよ」とケンがいいました。「キムじいさんもゴロイチじいさんも……」
「このつぎの大会議のときには、まちがいなく日本への復帰はごめんだということに決まるだろうね」
-----P264-----
とおばさんがいいました。
「では、おじさんもおばさんも反対なんですね?」とぼくはがっかりしてたずねました。
 おじさんもおばさんも反対だときっぱりいいました。
「かわいそうなニッポン!」といってぼくは肩をすくめました。「ぼくらの憲法とこの国の根本法のちがいからいって、そうなるだろうと思われるのですが……、でもこの国の人びとが日本への復帰問題についてどういうふうに考えているのか、ぜひ知りたいものですね」
 おじさんはうなずいて、またメガネをかけ、『ユウヒ』誌を取ってひろげました。
「反対の先頭部隊、若くてぴちぴちしている連中の代表的な考えを紹介しょうかね」といいながらおじさんは節くれだった指でページをめくりました。
「まずこれだ。十九歳の青年学校女学生。かのじょはこういっている。――
『もし日本へ復帰したとしたら、――おお、われらの正しく美しい国にわざわいあれ! 日の光を消しておそってくるイナゴの大群は、われらの緑の野山をたちまち食いつくしてしまうだろう。それは背広を着てネクタイをつけ、メガネをかけたイナゴの大群だ。太った腹、弱い手足、節のない白い指をもったあの強欲なカネの虫――またの名、政治家、官吏、銀行家、実業家、その他もろもろのもったいぶった名をつけたあの寄生虫どもだ。カネの虫どもは足が弱いから機械に乗って群がり押しよせてくる。われらの海や空や陸はたちまち船や飛行機や自動車のこうずいで荒らしまくられる。それといっしょに、テレビ、電気洗たく機、電気冷蔵庫、カメラ……そのほか星の数ほどもある商品の津波が押しよせる。法律が網の目のように張りめぐらされて息もつけなくなり、カネが秋の落葉のようにまき散らされて、森は切りひらかれ、田畑はつぶされ、町はふくれあがって大都会となり、人間はカネのドレイとなる。人びとはカネにこき使われ、骨身をけずり神経をすりへらし、一生をただいそがしくさわがしくはねまわらなければならなくなり、夜もおちおち眠れなくなるのだ』
 つぎは二十歳の女性、幼年学校の教員だよ。――
『かれらは東に進み、われらは西に進んだ。かれらは日に背を向けて土をはなれ、われらは日におもてむ向けて土にとどまった。かれらはあくことなく富をもとめ、われらはつつましく貧しさをもとめた。かれらはいつわりとむさぼりに生き、われらはまこととつつしみに生きた。日は東から西に歩む。しかし西から東へ歩むことをしない』
 もう一つ。これは二十二歳の男性、少年学校の教員。――
『一億の舌がたくみにあやつられてどんなにやさしくささやき、なだめすかし、あるいはまた、きびしくおびやかし、むり押ししようとも、まどわされるな。かげでその舌をあやつるものは、目的もなく働く、無慈悲なめくらの意志――一億の胃袋と三十億の歯にすぎない。それはわれわれがひとたびひざを屈したが最後、あのオキナワのようにたちまちわれらをひとのみにしてしまうものなのだ。かれらは、かつて一度も人口抑制を取りあげたことのないおろかな指導者たちに従ってきたために、かれらの国の安全と威厳を失ってしまっている。その食糧の七○パーセントを輸入でまかなっても足りず、七つの海にのり出して魚を取りまくっているではないか。かれらの国はアメリカ合衆国ジャパン州と化している。そこへわれらは帰ろうというのか!』
 ざっとまあ、こんな調子だね」
「ずいぶん猛烈なんですね!」とぼくはおどろいていいました。
「若い人たちだからね」といっておじさんは片ほおで微笑しました。「気にさわったらゆるしてくれたまえ。だが運転はらんぼうだが、ゆき着くところへ着いている。ついでにわたしのことをいうなら、わたしはいまのままで十分に満足している。この静かな生活をかきみだしてもらいたくないとねがってい
-----P266-----
るよ」
 それからぼくらは雑誌や書物を話題にしていくらかの時間をすごしましたが、その結果ぼくは、この国の雑誌や書物が日本にくらべるとケタ違いに少ないことを知りました。おじさんは――書物クラブの人から聞いたそうですが――日本で、売れないために返品されてムダになる本が一年間に十億冊もこうずいのように出版されているということを知っていて、あきれていました。
「この国で出版される本が少ないわけは」とおじさんはいいました。「なによりもまず、生活の必要上カネをかせぐために書かれ、出版される本が一冊もないからだよ。つぎには広告宣伝のためとか、自分自身の満足を得るだけの目的で書かれ、出版される本がないことだ。こんなふうにやったとしたら、きみの国で出版されている本の九〇パーセントはなくなってしまうのではないかね。そして、自分のためだけでなく、他の多くの人びとのためになると信じ、損をしたり迫害を受けることを覚悟してまでも書かずにはいられないというような本ともなれば、おそらく一パーセントにもなるまいと思われるよ」
「わたしも書物クラブの人から聞いたんだけど」とおばさんがいいました。「紙と活字と読む人がついやす時間がムダにならないような本でなければ出版できないということだよ」
 柱時計が八時を打ったとき、ケンとぼくはめいめいの部屋に引きあげました。いつの間にかリンの笛の音はやんでいて、風だけがさわいでいました。
 その日のことをノートにとってから、九時に電燈を消したとき、ポツン、ポツンと庭木の葉をたたく雨の音を聞きました。久しぶりで聞くその音のこころよかったこと。……そして、夢うつつのなかで、なんどもザアーッ、ザアーッという雨の音を聞きました。

次  章