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氷河が来るまでに
森内俊雄

目次
 a 笑う泉
 b 痛き夢
 c 湿地の葦
 d 食虫花
 e 煙なき炎
 f 隣人
 g 優しい檻
 h 影絵
 i 宿木
 j 冷たい光
 k 七夕忌
 l 石の鳥
 m 敗荷《やれはす》
 n 間氷期
 o 水の椅子
 p 幽夏
 q 青い手紙
 r 帰郷・1
 s 帰郷・2
 t 老いの町
 u 停留所
 v 夜
 w 真夜中
 x 風景
 y 石
 z 歩く影
 z’あとがき



 a 笑う泉(:○目次↓次章


「ダダ?」
 とノエが言った。彼女はピアノを弾いていた。ダダは醒めていて、すでに何か調子が狂って、あたりは変だ。ノエが〈テネシーワルツ〉を自己流にアレンジしている。ノエの父であるダダは力の衰《な》えた膝を抱えて、ぼんやり時間を過ごし、自分をもてあましていた。
「眠れないの? 眠くならないのかしら」
「ああ、すこしもネ」
 ダダは答えて、重たく曇った秋空へ眼を向けた。彼の末娘は、またピアノに向きなおった。ノエは自分でデザインを考え、母のミータンに縫ってもらったパジャマを着ている。
「ミータン、何時に帰ると言ってた?」
「分かんない」
 窓の外を眺めていたダダは軽い暈《めま》いを覚えて、眼を閉じた。昨夜から一睡もしていない。眠れないでいる。ノエの父は時々、こうなるのだった。インクで汚れたような不安で不気味な夜を迎え、朝まで起きてまだ眠れず、午後になる。
「ノエ、風邪は大丈夫かネ」
 ダダは、眼を閉じたままで訊く。
「平気みたい」
 ノエは振り向かずに、答える。ついでに、ひとりごとを言う。
「パクは今日帰ってこないのかしら」
「と思うヨ」
 ダダは、ちょっとの間、耳を澄まして呟いた。長男のパクは勤務先の会社で寮生活をしている。最近、中古で巨きなヴァンを買った。九人乗れて、荷台はなお広々とあいている。ジーゼルエンジンで、濛々たる煙を吐いて走るから、ダダはただ首をすくめるばかりだった。公害の元凶である。
「日曜日だというのに」
 ノエはさびしそうな声を出した。彼女のパジャマは襟が立ち、両袖は手首のところで絞ってある。ツーピースになっている上着の裾は長い。戸外は一層翳ってきた。室温は外気の温度より低いはずだが、彼女は気にかけていなかった。パクのことを考えているらしかった。パクは、ダダとミータンに恵まれた最初の子供で、ノエは十四歳だから、丁度、十歳上である。彼女はパクを尊敬していた。ひきかえに、四つ歳上のミショウとは、時々険悪な仲になる。ほんの十年前ごろ、お互いに手をつなぎあって路を歩き、どちらか一方の姿が見えないとパニックにおちいったものだった。今では信じがたいことである。ミショウが高校三年で、ノエは中学二年生になっている。
 そのミショウは、今朝、一度食事に起きてきたものの、それからすぐに二階へ上がり、眠っているらしい。昼食の催促にも降りてこない。彼は去年の夏からの習慣で、冬であろうが夏であろうが、季節かまわず家の中ではブリーフ一枚で過ごしている。勿論、眠るときも同じ恰好である。ミータンはシーツと掛蒲団がすぐに汚なくなるので、繰りかえしたしなめてみるが、一向に効果はない。ダダはミショウを甘やかし過ぎた。それでわがままになった。それはミータンがいつもこぼすことだった。ダダもこのごろになって、この意見を認めざるを得なくなった。ところが叱っても、言うことを聞かない。具合の悪いことに、ミショウは空手を習っている。それも専ら喧嘩を目的としているのであって、スポーツのためではない。ミショウがあばれると、ダダの小さな木造二階建ての家は、あちらこちら簡単に壊われてしまう。
「ダダ、まだ眠くならない? ノエのピアノでも眠くならないのは、相当な病気よ」
「ああ」
 ダダは生返事をした。相変わらず眼を閉じたままである。自分をだまそうというわけだったが、そうはうまくゆかぬ。躯がだるい。しかし、神経は敏感になっている。ノエは〈荒城の月変奏曲〉を弾きはじめた。どうも変だ。
「ノエ、よしてくれヨ。落ちこんでしまうネ」
 晩秋の午後、どこかでイチョウの黄金色の葉が舞い散っている。ひらひらと脳裡に散っていた。曇ってはいたが、風は無い。それにもかかわらずイチョウの葉が舞い散るところが見えてくるのは、おかしい。ノエは〈ウィリアム・テル序曲〉に変更をした。ダダの神経は、混線しはじめた。彼の記憶には、昔覚えた詩句が甦ってきた。まだミータンに会うことなく、パクもミショウもノエも、ただの空気に過ぎなかった。いや、空気ですらなかった。想像すらも及ばずにいた。そのころの詩句の数行である。
 仮説のトンネルをくぐり抜け
 昇り坂 下り坂
 これが若さの証拠の駅
 これが若さの逆説の駅
 これが若さのアリバイの駅
 仮説のトンネルをくぐり抜け
 さいわいとみじめさの日々
 汽車は切なさで一心に走り続ける
 ダダは、汽車の時代に生まれ、大学受験のために機関車が牽く夜行列車に乗って、この大都会へやってきた。都会には親戚縁者が一人もいなかった。誰ひとりとして自分を知る者がいないという事実は、彼を興奮させるのに充分だった。ダダは、うっとりとしたものだ。同時に心細くもあった。この大都会において、何者かであるためにはどうすればよいのだろうか。そもそも何者かたらんとする己れがいぶかしい。その大都会へ着いた朝から日ならずして、ダダは、この短い詩句の詩人を知った。言うまでもなく、古書店で買った古雑誌においてである。だが、今では詩人の名前が思い出せない。手がかりとなるものが、まるでない。
 詩人は、薄命であったのかも知れない。肉体においても、才能においてもである。それでも今日、ダダの記憶に甦ってきて、生きているのはたいしたものではなかろうか。
「ね、ダダ。何考えているの?」
「別に。なんにも考えてはいないヨ。考エラレナインダ。タダ無闇ニ頭ガボンヤリシテイルネ。ソノ癖、気持ハ忙シイナ」
「困った。ミータン、早く帰ってこないかしら。パクは一体どこへ行ったの」
 ノエは額に垂れかかる髪を、うるさそうに分けた。綺麗な三日月眉が、はっきりとした。ダダは、ほんのすこし眼を開き、それからまた目蓋を閉じた。
「ダダ。お水あげようか。気分が良くならないかしら」
「要ラナイヨ。心配シナクテモイインダ」
 しかし、ノエはするりと椅子から立って、台所へ行った。コップに汲んできた水は、驚くほど冷たい。飲み干すと、かなしくなってきた。ダダという人間は、これでよく生きてこれたものだ。そして、これからも生きられることを望んでいる。祈願のようなものだった。ダダは濁った頭で考える。祈りというものは、言葉にしてはならない。言葉より以前に、自分みずからを祈りの中へと置く。それが可能なとき、いますこし生きられるに違いない。あてどはないが、今はこれを信じるしかない。とは言うものの自信がない。哀れと言うべきだろう。ダダは愚かである。母よ、あなたの胎《はら》がわたしを身籠った日よ、その日は呪われてあれ。

「ノエ」
「なあに」
「ミータンガ隠シタ薬、探シテクレナイカ」
「分かんない。とてもじゃないわ。ミータン上手だから、ノエは探せない」
 彼女は心配そうに、ダダを覗きこんだ。途方に暮れている。指はそっと鍵盤を探ってみるが、ピアノは鳴らない。ダダは黙ったままでいる。ノエは、駄目だと承知の上で言う。
「お酒飲んだらいいのに。眠れると思うけれど、違うかしら」
 ダダは、やはり首を振らなかった。ノエが溜息をついた。
「じゃ、探してみる」
 ダダの娘は、また台所のほうへ行った。暫くして、水道の蛇口が一杯に開かれ、ほとばしり出る水の音が聞こえてきた。ノエの父は愚かであったが、彼女は幸いに似てはいなかった。水音で、ノエがどの場所を探っているのか分からなくなった。このあたり、駅前通りから奥まった住宅地だったが、水圧は結構強いのである。ノエが戻ってきた。小型のジョッキには白湯がはいり、一方の手にはメタルパックの錠剤が三つ、散薬が一包ある。ノエは事情をよく知っていた。それでも訊く。
「何分くらいで効く?」
「三十分」
「そう。すぐね、訳無いのね。クッション、ここにあるよ」
 ダダは、薬を嚥んで安心すると、かえって眼を開く。しかし、彼はミータンが帰ってくるまでには昏睡しているだろう。もしかしたら、その間にパクも帰ってくるかも知れない。本当に帰ってくるだろう。今夜は家族が揃い、電灯を明るくして賑やかになるだろう。パクがヴァンに乗って、帰ってくる。ヨロ・エースというのがヴァンの名前で、命名したのはパクである。
「何しろ高速道路に乗っても八十キロ出すのが、大変なんだから、まいっちゃうね」
 また、こうも言っている。
「ヨロに乗っていたら、いずれ肺ガンになるなあ。とにかく排気ガスが上ってくるのだからね。顔が煤で真っ黒になる」
 台所では水道の蛇口がしっかりと閉められたから、もう静かである。いつの日か、ヨロ号をキャンピングカーに見立てて旅行に出かけられると思える。ダダもミータンもその気になれば、ハンドルを握れる。ミショウは口が達者で、いろいろ弁じるが、目下のところ、中型バイクに乗れる資格を持っているだけだった。ヨロに無線機を積んで、交信をしながら走ると面白いに違いない。アマチュア無線を開局したのは、パクが小学校六年生の時だった。パクは短波のSSBで宇宙人と交信出来るものと思いこんで、ダダと一緒に資格を取った。ダダのコール・サインはJJ1FOA、パクがJJ1のFOC、ミータンは一年遅れて試験を受け、JK1BBWである。それぞれ陸上、海上移動局の許可も貰っている。
 ミショウがいま自分の部屋にしているのは、もともとベランダがあったところを無線のシャックに改築したものだった。二重窓にして、交信の会話が外に洩れないように工夫されている。おかげで防音されて、ミショウはいくらでもベッドで眠れる、というわけである。
 薬を飲んだ安堵感から、束の間、覚醒が来たが、それは昏睡の前に必ず訪れてくる眼醒めである。精神は澄明になり、今や収穫が終って、空しく切株の並んだ畑が拡がっている。汝、黄金の飢え、永遠への渇きをもって、その畑をひとり歩むべし。汝、蒔かざるが故に刈らず、穀倉は空し。
 不意に後悔が激しく迫ってきた。誘惑に負けたと言っても、どうしようもない。今更、取り返しはつかない。ノエは心細い空腹に耐えられず、台所に立つと手早くサンドイッチを造った。バターとカラシを練り合わせてパンに塗り、サラシタマネギを載せ、ショルダーベーコンを妙め、レタスをはさんだ。ミルクティーもいれた。ひとりだけの昼食を好まず、ダダのところへきた。ノエは静かにサンドイッチを囓っている。彼女は父に眠りが訪れてくるのを、量るようにして待っていた。ついにダダはクッションを枕にして、横になる。ノエは、父のためにナイトガウンを取ってきて、そっとかけた。ダダは、強い薬のせいで夢なき眠りに滑りこもうとして、あらかじめの幻夢に誘いこまれていた。耳は、かすかな音楽を聴いている。よく知っている曲だと思って、探っていると分ってきた。学生時代に聴いたモーツァルトの〈レクイエム〉である。カール・ベーム指揮、ウィーン交響楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団、ダダの記憶がもつれていなければソプラノがテレサ・シュティッヒ=ランダル、アルトがイラ・マラニウク、ワルデマール・クメントのテノール、クルト・ベーメのバスのはずだった。〈レクイエム〉は丁度コンフターティス、呪われし者の箇所にきている。

 呪われし者を恥じ服せしめ
 烈しき焔に渡し給わんとき
 祝されし者とともに、我をも呼び給え

 我ひれ伏して願いたてまつる
 灰のごとく砕けし心もて
 わが終末をはからい給え
 ついで、ラクリモーサ、涙の日がはじまった。ダダは耳をふさごうとしてみるが甲斐無きことだった。古いレコード盤は、頭の中でまわっているのであった。油圧式のアームのハンドルを操作するわけにはいかない。自らの生命のコンセントを抜いて、電源を断つという勇気もない。
 ダダは夢の中で、自分の家にいた。机に向っている。ところが、それはいつも使っている座卓ではなくて、腰掛け式の洋机である。彼は行儀悪く両脚を机の上にあげて、椅子の背もたれに躯をあずけている。部屋が二階にあって南に面しているのは現在と同じだが、風景はいささか異なる。向こうに女子高校の校舎が見えて、授業の休憩時間のようだった。歓声が聞こえてくる。それは光る噴水に似ていた。明るく透きとおっている。はなやいで湧き返っていた。部屋は床の間があって押入れがつき、四畳半だった。東側にも窓があって、そこからは下宿の裏庭と、塀で区切られている広く緑の濃いお屋敷の庭が見おろせた。どこからかキンモクセイの花の香りが漂ってくる。ダダは本に埋もれて暮らしていた。大学にはいって、二度目に移り住んだ下宿だった。時々、この家の座敷で飼われている日本種テリアの黒犬が階段を上ってきて、ダダの部屋の書棚の後ろにひそんでいるネズミを捕えてくれるのだった。下宿のおじさんが可愛がっていた。
 やがて女子高校のほうからチャイムが響いてくる。溢れる泉は、たちまち静まる。授業がはじまるのだった。胸の灼ける思いがする。青春はあそこにあって、自分は無縁だ。大学は休講日で、ダダはピースを吸っている。机が寄せられている窓際は、出格子――植木格子というのだが――になっていて、その下は赤いペンキが塗られたトタンぶきの庇屋根が急勾配をつくっている。
 突然、窓の外に下宿のおばさんがにこにこ笑いながら立っている。足許はさぞかし不安定であろうと思えるのだが、意に介したところはない。加えて、どうも納得がいかないとして意地になってこだわっているのは、机である。ダダはこの下宿には、大学を卒業して、就職をしてからも住み続けた。結婚する間際になってようやく下宿を引き払ったが、それまで座卓を使い、腰掛け式の洋机を使った経験がない。下宿のおばさんは、笑顔で言った。
「あなたの家の塀を壊して、あたしんちと往き来が自由に出来るようにしない?」
 ダダは、ミータンが帰ってきたら相談をしなくてはならないと思った。これは心丈夫で嬉しい話だった。随分と救われる。大学生時代へ立ち戻った気分である。そこまで考えて、はっとした。下宿のおばさんもおじさんも亡くなっていて、もうこの世にはいない。家は残っているはずだが、ここから歩いて二十分はかかる距離にある。非常に残念だった。塀を壊したところで、なんにもならない。生活への期待を、はるか昔の時点にかえしてみても、その時代との往来は不可能というものだ。若き夢はもはや遠くになった。ダダは笑止なことにシュテイルナーの『唯一者とその所有』を読んでいた。自分の力が自分の所有である。自分の力が自分の所有をあたえる。自分の力が自分自身である。そして、それを通じて自分が自分の所有となる。こんな意見を小馬鹿にしながらも、銘記せざるを得なかった。いまはもうまるで駄目であるが、ダダは記憶力に恵まれていた。
 彼はまたマルクス・アウレーリウスの『自省録』を読んでいた。曰く。自己の内を見よ、内にこそ善の泉がある。君が絶えず掘り下げさえすればその泉は絶えず湧き出るであろう。ダダは、これをも笑って信じなかった。人間を養う土壌の基盤は深いかもしれぬが、地質は脆弱なものである。ダダはこのように認識していた。彼は耐えがたく渇きながら、おごりたかぶり、冷笑をもって、ここを過ぎた。あるいはその不遜な態度が、ダダの生涯を決したのかも知れぬ。
 下宿のおじさん、おばさんに孫娘アッコの家庭教師を頼まれた。前年の秋に引越してきて年が明け、ダダが大学三年生の初夏五月のころである。アッコは小学校五年の女の子で、彼女の父はある新聞の編集局長をしていた。母は幼稚園の副園長だった。体育と児童音楽教育の専門家で、共著監修の著作が幾冊かあった。アッコの父は元ハンマー投げの選手だった。その娘である彼女は、近所の創作舞踊研究所に通っていた。色の浅黒い、やや大柄の少女であった。決して頭の悪い子供ではなかった。いや、聡明であったが、進学競争は当時からすでに始っていたのである。
 ダダは卒業論文のテーマを探しはじめていた。それでもそんなに忙しくはなかった。アルバイトは月、水、金の三日で、算数と国語を教える。報酬は部屋代、光熱費をロハにしてもらい、夕食を賄ってもらって、アッコの母からピアノのレッスンを受けることだった。非常に好条件である。ダダは喜んでその日の午後、渋谷のデパートへ出かけていった。ああ、思い出した。何もかも思い出した。薬の乱用と飲酒の習慣で脳の働きは荒廃し尽したと断念していたが、肉体はそんなにやすやすとほろびるものではないようだった。復活は信じられる。人は必ずや甦る。その日は五月五日、火曜日、端午の節句であり、デパートの画廊では高麗茶碗展が開かれていた。井戸、青井戸、蕎麦、熊川《こもがえ》、三島|半使《はんす》、雨漏堅手、刷毛目三島などをゆっくり見てまわった。
 ダダは年齢にはふさわしくない自分の趣味を恥じていた。しかし、茶碗の誘惑は強かった。更に思い浮かんできた。この日の朝、ダダは菖蒲湯に入れてもらい、おばさんが特別の好意で膳を部屋へ運んできた。赤飯、アサリのお澄し、春菊のおひたし、イカの照焼、ワカメの酢の物といったメニューだった。前夜、酒を飲んでまわり、下宿に帰ってきたのは午前三時である。朝食のとき、飲み残しのウイスキーの瓶を空っぽにした。それまで外食が条件だったから、朝食をすすめられて、有難かった。それにしても、随分、体力があったものだ。デパートから汗をかいて帰ってきたので、銭湯へ出かけた。タイルの上に菖蒲の葉が一杯にちらばっていて、いい匂いがしていた。
 その月末の薄曇った日、ダダが講義をうけて下宿へ帰ってくると、応接間にアッコとおばさんがいた。どうも様子が変である。表ではバラが花咲き、ツツジが満開だった。アッコがじっとダダの顔をみつめた。どうしたの? と訊くとしくしく泣き出し、おばさんの首に細い両腕をからませて、顔をそむけるのだった。おばさんが言う。漫画ばかり読んで勉強をしないので、娘から叱られたのよ、と言った。ダダは当惑し、自分の責任のように感じた。アッコの母は賢明なひとだ。それは間違いない。ただ、自分の子供に対して、もっと根気を持ってもらわなくては困るな、と思いながら二階の自分の部屋へ上って行った。
 ダダは、後年、自分の子供たちにもほどこしたことのない特訓をはじめた。しかし、アッコには生来の楽天主義があった。勉強を教えはじめて一カ月が過ぎ、六月にはいった。雨が降り雷鳴の夕刻、アッコは机の上でカンヅメの空缶を巣箱として鈴虫の幼虫を飼っていた。胡瓜の輪切りを竹串にさして立てかけた蔭に、一センチたらずの鈴虫がいっぱい居る。普段はガーゼをかぶせてあった。アッコはさかんに息をふうふう吹きこんでいる。ダダは算数を教えている。小数、分数の考え方を基礎のところから念入りに教えているのだが、努力は空しかった。窓の外では稲光りが走り、雷鳴がとどろいていた。
 その青ざめた夕べから歳月が過ぎ、ダダはまだ十九歳のミータンに出会い、結婚をした。時の流れは早い。アッコは高校から大学の体育学部にはいったと伝え聞いた。また何年かが過ぎ、パクが生まれていたころ、アッコはソルト&ペパーズというグループをつくって歌手になった。デビューしてドーナツ盤を一枚売り出した。だが、この後、歌手としての消息は絶たれる。再び歳月が過ぎた。その間、ダダの生活はすさみきっていた。何者かであろうとするならば、何者でもない道を歩まねばならぬことを教えられた毎日である。そして、とある日、神は悪戯をなし給うた。ノエが幼稚園の年長組になった年の秋、運動会で、ダダはアッコと彼女の初子である年少組の男の子に出会った。あっと言ったのはダダで、アッコはただほほえんで挨拶をし、冷静でいた。秋の日は輝き、ピストルが鳴り、蝶の飛翔の軌跡であるかのように競走のテープは、ゴールでひるがえっていた、と覚えている。空には、わずかにレースのごとき雲があった。あたりは明るいのに、どこかに水に似た影の気配が流れていた。アッコは解散してしまったソルト&ペパーズの仲間の青年と結婚をしていた。成熟したアッコを見て、とまどった。行き届かなかった家庭教師時代の或る日、彼女は入浴のほてりを醒まそうと、無邪気にも裸のままダダの部屋にはいってきた。清潔に痩せた躯を思い出すと、心が痛む。

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 b 痛き夢(:○目次↑前章↓次章

 表では雨が降り出した。薬がより一層効きはじめてきたのが分かる。体温がわずかながら上昇している。眼を閉じているのに、あたりが見えていた。すべてがゆがんで揺れている。ダダはミータンのこと、パクやミショウ、ノエのことも忘れた。奈落の眠りに落ちていくまえに、薄気味の悪いものと戦っている。いましがたまで聴こえていた〈レクイエム〉は途切れた。かわりに胸をえぐるような不協和音が鳴っている。テレサ・ベルガンサが狂って、ロシア民謡の〈鶯〉を歌っていた。シュタルケルがこれに合わせてチェロを弾いている。弓が切れて、宙に鋭い糸が光っていた。トライアングルが警報を鳴らしている。ダダは外国旅行中だ。ボルフガング湖のほとりに立って、サクランボの焼酎をラッパ飲みしていた。空っぽになった瓶を湖に投げ込む。瓶はダダを閉じこめて沈み、果しなく沈んでノエがピアノに向っているところへ落ちてきた。喉が渇き、甘いものが欲しかった。ダダは白桃を剥く。液が指と顎を濡らす。縁側の障子に袴をはいたおんなのひとの影がにじんで、そのひとの涙は、薄い粥の色をしていた。どこかで滝が落ちている。苔の匂いがしてきた。灰色の河原で石を積み、塔がつくられているのは溺れた子供たちのためだ。魂は、真昼にもかかわらず蛍となって飛んでいる。いぶかって滝のほうを見ると、水はさびしい桃果からしたたっていた。無人の駅舎の時計は止まり、季節外れの紫陽花が咲いている。その群生の中に、まがまがしいオニユリが血を吐いていた。駅の近くに渓流があり、鮎が水面に閃いていて、千年が過ぎた。いつのまにか袴を穿いたおんなのひとがそばに立って、白く長い指で髪を梳いてみせると、毛がごっそりと抜けてきている。おんなのひととそこで別れ、滑りやすい道を麓へと下って行った。同行者がいるのだが、幽霊のようにかすんでよく見えない。道はどうやら先のあたりで途切れているらしい。深い霧が渦巻いていてさだかでなく、先に歩いて行った人たちは忽然と姿を消し、ふたたび帰ってくる様子がない。
 ダダは次第におかしくなっていく自分が恐ろしくなって、これがたまらない。薬は長いあいだ使ってきているのだが、服用の時間と体調次第で、変になるのは珍しくない。分っていながら、それでも怖い。絶叫しそうになって耐えるために、一心に暗誦をはじめた。なんじらはいまだ自己を求めざる時に、われに遭遇した。すべての信徒はかく為す。この故にこそ、一切の信仰はかくもみすぼらしい。いまや、われなんじらに命ずる。――われを棄て、なんじら自らを発見せよ、と。かくてなんじらすべてがわれを否定した時、われはなんじらに復帰するであろう。
 それは学生時代に覚えたニーチェのツァラトゥストラの一節である。ダダはこれを大声で唱えたが、実際にはノエは何も聞いていない。彼の躯は硬直している。いまやノエはなすすべもなく、父を見守っているのみである。電話のベルが一度鳴るが、それきりで切れた。ダダがぴくりとすると暗示が消え、硬直は解けた。彼はいまひとつの夢に滑りこんでいった。幸福な昏睡はいまだ訪れず、幻夢である事態に変わりはない。
 ダダは、いま寝ている場所とおなじところにいるが、夢は二十数年をさかのぼり、ミショウもノエも生まれていなかった。ダダはステレオを見つめた。そんな昔に購入したものを大切に使っている。スピーカーはクライスラー、プレーヤーがマイクロで、カートリッジはサテン、およびデンオンの一〇三Sを昇圧器の助けで使っていた。アンプはソニーだが年数がたち、オーバーホールが必要となってきている。CDは随分普及してノエが自分の部屋で聴いているのに、ダダはいまだに手を出していなかった。テープデッキがあり、彼は充分に満足していた。
 夢の中で時間は前後している。大切にしているステレオ装置に緑色の蝋が、あちらこちらに溶けてこびりついている。蝋は分厚く固い。それはピアノの上蓋にまでついていた。ダダは、幼いパクの仕業だと思い、腹を立てながら蝋を素手でぬぐいとろうとしている。そうすると、右手が緑色の蝋で覆われてしまった。左手を見ると、そちらも肘まで緑色の手術用手袋をつけたような状態である。彼はびりびりと剥がしはじめた。痛くてたまらない。蝋に付いて手の皮が剥げてゆく。恐怖にかられてダダは、ミータンを呼んだ。彼女に手伝ってもらいながら、更に蝋を剥いでゆく。両手の皮膚は蝋とともに剥げて、ピンク色となり、赤ん坊のように小さくなってしまった。手はわずかな風のそよぎにも疼いてならない。ダダは絶望してガーゼの手袋をして、表へ出て行った。どこで手に入れたのかライフルを持っている。デパートの屋上に上った。飛び降り自殺防止用の鉄柵の間から鋪道を見おろし、狙撃を開始した。デパートの屋上には遊園地があるのに、人影は無い。もっともガードマンらしい男が三角の切符小屋から、こちらをうかがっている。屋上のあちらこちらにつけられたスピーカーが、ヴィバルディの〈オルガン協奏曲ニ短調〉を流していた。
 薬莢がはじけ飛ぶたびに、はるか下の鋪道で人が倒れていく。おかしなことに撃たれた人は溶けて消えていくのである。ダダは鼻血を流していた。逮捕されぬ前に逃げなくてはならない。エスカレーターに乗った。貴金属売場がある階に来て、上着の右裏ポケットがふくらんでいるのに気が付いた。取り出してみると女のひとの右手首が出てきた。ラベンダー色のマニキュアをしている。手首の切り口はザクロのようにはじけて、ぬめぬめ光っていた。ダダは、ほかにも人を殺していたのだ。死刑は、もはやまぬがれない。捕まるまえに、ミータンに会って、別れを告げておこう。そう考えて、家へ帰ってくるとミータンが喪服姿で玄関前に立っている。家はダダの住んでいたところのはずだが、現実の建物とは異っていた。本当の家は別な方角にある。ミータンが優しい声で言う。
「ダダ、早く帰りましょうね。パクもミショウもノエも待っているの。会いたいでしょう?」
「アア、会イタイトモ」
 上着の右裏ポケットは、女のひとの手首がはいったままでふくらんでいる。それがむくむく動くのだが、ミータンは知らぬふりをしている。ダダとミータンは自分たちの家の前まで来た。子供たちはどこかへ行ってしまったのか、玄関には鍵がかかっていた。仕方なしに立っていると、警官が自転車で鳩麦の茶を配っている。
「こちらにやってくるみたい。ダダ、どうするつもり?」
「逃げるヨ。十五年過ぎたら帰ってくる。それまで待っててくれないカ」
「いいわよ。ノエは二十九になって、お嫁さんにいき、孫が生まれているわね」
「そういうことになるな。ソレデイイダロウ」
 警官がやってきて、自転車を停めると、茶のはいったプラスチックの容器をダダに手渡した。
「これは、いろんな病気に効くのです。心が痛んでいるときには、特によろしい。是非ともお飲みになってください」
 と警官が言う。その顔をよくよく見ると次男坊のミショウである。にこりともしない。ダダはそれを飲んだ。生ぬるく、あたりまえの茶の味がしている。これが怪しい。早くなんとかしなければならない。ダダは、いま飲んだ茶が昼食になったから、とミータンに言い残して、庭から引き出した自転車に乗り、ペダルをこぎ出した。さいわい、警官は尾いてこない。郊外の道へくると、今度はバスに乗り継いだ。
「おや、変ダ。これは大変ダ」
 ダダは苦悶しはじめた。さっき飲んだ茶には毒がはいっていたのだ。絶望の眼で運転手席に付いた時計を見ると、午後二時十分過ぎである。その時刻は、現在、ダダが寝ている部屋の時計の表示と同じだった。
 ノエは弱音ペダルを踏み込んでおいて、もう卒業した『ブルグミュラー』の25の練習曲を1から順番に弾きはじめた。1はアレグロモデラート、表題は〈素直な心〉。長男のパクも小さいとき、ブルグミュラーを勉強した。演奏会で25番のアレグロ マルチアーレ、〈貴婦人の乗馬〉を弾いた。この曲は優雅であるが、ブルグミュラーのしめくくりになっていて、難かしい。スタカートとレガート、さまざまなリズムのかたちがある。パクは弾く途中、躓いた。彼は恥ずかしくて家へ帰ると泣き、それからピアノを、頑としてやめてしまった。可哀相なパク……。彼はあまりにも早く、貴婦人の乗馬ならぬ人生の落馬を知った。
 谷氷河は自らの重みで下降し続けている。ダダはとうとう昏睡の蒼い水面下に沈んで、凍結のミイラとなり、時間を超えた。

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 c 湿地の葦(:○目次↑前章↓次章

 今日も相変わらず麻酔の風車が、ゆっくりと重くまわりはじめている。不眠の恐怖を避けて、薬を使うようになって久しいが、最近になって効果の強いものを服用しなければならなくなった。初めの頃、訪れる眠りは深くて、夢を見る余裕もなかったが、ここに来て様子が変ってきた。眠りに落ちるときと醒めるときに夢は訪れてくるようだ。ダダはよく夢の話を、ミータンに語ってきかせる。しかし、ダダは本当のところ夢の話をするのが好きなのではなかった。ミータンも聞くことにあまり興味を示さない。良い夢にしろ悪い夢にしろ、これにこだわるのは、どうもよくない。毎日の生活が曖昧なものに、侵蝕されていくような気がするからである。ミータンはあっさりした性格もあって、夢に遠慮なく真昼の光を当てる。ところがダダは、こういうことはあまり得意でない。自分をおさえるすべを知らないのである。
 どうやら昏睡から、醒めようとしているらしい。けだるい筋肉弛緩と、甘く煙る憂愁の霧の中で方向を失っている。だが、それは決して淡く薄いものではない。巨きな風車のようなものがまわっていて、夢はそれなりに現実にかかわる論理をもって迫ってきている、と思われる。五歳か六歳のときである。その頃の郷里の家で、母方の伯母と一緒にいた。季節は秋晩くか、冬であったようだ。家には、伯母のほか誰もいなかった。薄暗くなっていた時刻に確かな覚えがある。ダダは伯母に抱かれて眠っていた。すべすべした脚の感触がよかった。伯母は抱えこむようにしている。昔の女性の着衣だったから、伯母の足は容易に触れられるのだった。そんな歳頃でいて、鋭い驚きと処罰の後ろめたさが身の内を貫いた。一方、妖しい世界が開けたとも思っている。ダダは暫く伯母の顔が、薄暗がりの中で仄かに白く、うつむいているのを見つめた。タイサンボクの花のようだった。ついでに言うと、彼にはいささか奇妙で落ち着かぬ性分がある。ダダはいまだに、自分の母方の血縁関係をよく知らぬのである。彼の母は詮索を好まなかった。尤も自分でも、こういったことに好感を持たない。そして、そのうちに歳月も流れた。ダダはただ夢の中でのみそのことを残念として、幽明のうちに伯母の幻影に抱かれている。伯母は既に故人になっているが、当時、三十そこそこであったはずだ。ダダは自分が幸福であったか、不幸であったか分からない。夢の中であればこそ大胆になれて、記憶、感覚は鮮かであった。現実の回想のうちでは、断ち切られそぎ落とされるものがそのままに息づいている。
 この伯母は同じころ、おまじないを教えてくれた。右の眼に麦粒腫《ものもらい》が出来ると、これを治療するのに、上着の左裾を絹糸で縛る。左眼の場合はその逆をすると、それなりの効果はあるのである。ダダは意味を問わなかった。絹糸をしばる伯母の手を一生懸命に見つめた。呪術と脚の感触が密につながっていた。どちらも聖なる儀式だった。こうして話はつながらないのだが、現実と夢を聖なる儀式としたがっているところがある。ただし、いずれにも司祭はいなかった。混雑して翳りの多い夢をたびたび見たが、ダダの物思いから離れぬものがある。単純なことほど強い力を持っているようだった。ひとりで家の留守をしていた。昼間であったが、家の中は薄暗い。ダダには、そのときの自分が幾歳であったか見当がつかない。もう小学生であったか、幼稚園児であったのか、どうもはっきりしないのである。ダダは、居間にいた。そのころの家は明り採りの窓が屋根にあり、台所のあたりは明るかった。台所は居間と廊下でへだてられ、土間になっていて、素足では降りられない。外光が落ちて、明るくなっているが、曇りの日だった。何やら不安で、さみしい気持でいると、眼にもとまらぬ早さで台所を飛び去ったものがある。白猫のようだが、違う。イタチでもない。ダダは息をのんで、じっとしていた。幻を見たのかどうか、その事実を心配している。大きな驚きに打たれた。こういったとき、子供にときどき見受けられることだが、ダダはおびえながら眠ってしまった。眼を醒ますと母が戻っていた。ダダは自分が見た生き物の話を、出来るだけ落ち着いてした。話をしてみると、それはたちまち夢になってしまった。逆にダダの心のうちでは、幻覚かと怪しんでみたものが現実となった。それが恐ろしかった。多分、ダダの感覚の輪郭は今よりはっきりしていたのだろう。最近、記銘力、記憶力が甚だしくおとろえている事実を知らされるにつけ、このことを切実に思いかえす。
 ダダは、抗鬱剤や精神安定剤、睡眠薬を乱用してきた。加えて、深酒をする。そのせいだろうか。過去も現在も混乱してきている。時間や様々の出来事が、かつて幼時に見た「白い生き物」のように、現われ出て、飛び去る。どうせなら幻であってくれればよいのだが、そうはいかぬことが不安と恐怖のもととなっている。何ひとつ確定することが出来ないのだ。ダダは、平静でいられる人たちがうらやましくてならない。日々の流れの中で、葦の根はうずき、葉揺れを呼ぶ。どこかで落葉を焚く匂いがする。そうだ。美しい日もあったのだ。追憶と夢が一緒になって甦ってきた。いまは秋なのだから、季節に身をまかせればよい。水が溢れている。ダダの想念は、いつも水とかかわっていた。いつも考えながら手をつけずにきているが、旧約と新約聖書に現われる「水」に興味がある。繰り返し見る夢は、人工の浅い川に足首までひたっているところだった。セメントの川底には苔など生えていなかったが、滑らぬように用心して歩く。見渡す限り、水がひろがっている。水は浅くて、流れているとは思えない。しかし、眼には見えないのだが、しんしんとしたものが胸のうちに湧いてきている。うれしいような、かなしいような気持である。それが嗚咽に変わる。そして、いきなり中断し、空無があり、夢の溺死があり、風景が一転する。
 二階の窓辺にいて見おろすと、川が流れている。川辺には青白くガス灯が点いていた。路はない。ただ川が流れているだけである。川の色は二筋に分かれていて、手前の色のほうが濃い。そして、流れは互いに逆である。いつのまにか、色の濃い流れを泳ぎながら、やがて反対方向へ流れる川へ渡ると、ダダは生前の若き父と母とともに、山の上にいる。たった一人の兄も勿論いた。昔の顔をしている。他には誰もいない。ケーブルに乗って、山を降りた。大きな湖が、魂をおびやかすように拡がっている。桟橋があり、何人かの人たちが列をつくって船を待っている。冷たい風が湖面を渡ってきた。自分たちはこれからどこへ行くのだろう。陽が暮れかけてきている。家族はみんな黙っている。
 船がやってきた。桟橋も船も揺れて、なんとも言いようのない頼りなさである。しがみつくものがない。腹の底から泣きたいような気分になっている。そっと見まわすと、皆生白い顔をしていた。やがて船が動き出した。目指しているのはどこか分からぬが、かえって安心感はある。やがて、着岸した。ずんと響くものがあって、ふらふらと陸に上った。一家は、古い町を歩いていた。陽は落ちていたが空はまだ明るい。とは言うものの町の通りは、夜に沈んでいく気配である。
「お父さん、どこへ行くの?」
 父は答えず、さっさと歩いていく。母も兄も、遠い眼をしている。路の両側は、木造三階建ての商家ばかりである。人懐かしげな灯が明るく点いている。路は曲っていた。湖に近い町だという雰囲気が漂っている。やるせないことおびただしい。
「どうにも仕方がないことなのだ」
 と、不意に父が言った。
「忘れようとしても駄目だ。ここは、こういうところなんだ。いいか? しっかり覚えておけ。おまえはいつか、ここへ帰ってきて歩くだろう」
 何のことなのか、よく分からない。旨そうな匂いが流れてきた。一家は、とある店屋にはいる。スキヤキを食べた。牛肉の赤身に白い脂身が散っているのを見ると、いわれもなく胸がうずく。燗酒の匂いが、つんとした。座敷のテーブルには、それぞれ人々が席についていた。賑やかなはずなのに、静かである。父が言っていることの意味は分っていなかった。およそ辻褄の合わない話である。それにもかかわらず分っていた。「忘れようとしても駄目だ。ここは、こういうところなんだ」、と。
 ダダには、いまもなおその言葉の意味が分っていなかった。それはかつて夢の中で理解した範囲を超えていない。ただし、不条理のほどは、より濃い影を落としている。その父は亡くなった。あのときの父は、いまの自分より若かったはずである。おおよその見当でそれはすぐに分かる。では、いま生きている自分は、果してどれだけのものを子供たちの脳裡に、焼き付けているのだろうか。しかし、こんなことを問うのは愚かな話である。子供の感受力について、親というものは常に愚か者であると自覚していたほうがいい。鈍感なものだ。だからこそ、お互いにやっていける。
 ダダは夢うつつでいながら、論理と時間を超えていった。もう中学生になっていた。確信を持てるのには、理由がある。父が会社勤務から独立して、商人になっていたからだ。父と母が話をしている。盗み聴きをしていたわけではなかったのに、ただちに了解した。母は、ダダを養子に出そうかと言っている。おそらく、得意先の人から持ちかけられたのに違いない。生真面目な提案であったかどうか、それは定かでなかった。父と母はこのことについて、真剣に思案したかどうか、これもはっきりしない。そのとき母は話題として、これを選んだ。遠まわしな話し方といえど、軽率だったのではなかろうか。いや、それは断言出来ない。だが、父は即座に言った。
「この子には、向かない。先があるものか」
〈先〉というのは、受け入れる先方という意味だと、すぐに分った。それは冷たく、軽侮の響きがあった。随分と身にこたえた。父を敬愛していたから、見下されて、寒い感じがした。

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 d 食虫花(:○目次↑前章↓次章

 路地を歩いていくと、垣根からキンモクセイの花が、路面にオレンジ色の扇をひろげたように散っている。あたりには、いい匂いがして、ときめいた思いになる。だが、月日がたつのは早い。その路をわずかに歩くほどにサザンカのやや紫がかった紅い花びらが落ちていて、ほぼ一カ月が過ぎたと知らされる。散歩から、失意のうちに家へ帰りつく。ダダは、自分でも恐ろしくなるほど、動きのない、ただ漠然と待つだけの生活をしている。しかも、何を待っているのか、よく理解はしていない。空疎な餓えた日々である。時間は自らが滲出する分泌液で腐蝕していく、と感じられている。それでいて、毎日をどんなふうに展いていけばよいのか分からない。考えはじめると、また空疎そのものになったような気がする。ダダの日課は、哀れなものだ。
 朝、七時には起きてくる。大体、必要を感じないので朝食は摂らず、白湯を飲む。午前中は前夜に服用した薬のせいで、ぼんやりしている。お昼になって、軽い食事のあと、歩きに出て、釣果のなかった暇人のように落胆し、すこしいらだって帰ってくる。例外はあるが、部屋にこもって、何事かをするか、あるいはしようと試みる。夜が来る。悪い習慣で酒を飲みながら食事をする。そのあとは、自分で時間を操作するということがない。しばしば、深酒になる。酒が過ぎると、不思議に覚醒が働き、強い薬を服用しなければ眠れなくなる。酒をやめるか、量を減らそうとしているが、ついぞ成功しない。
「先があるものか」
 そのひとことが甦ってくる。だが、先はあった。異った意味で、いまひとつの先方である〈生〉はダダを養ってきはした。それでも、かつての父の呟きは忘れられない。つまり、生きていく上で、この世の良い養子にはなれなかった。とかく、ダダは想像の世界へ出かけて行こうとする。いまの自分にとっては、ここにも、通路はないことが分っていた。それにしてもほかになすべきことがない。しかし、このようなことは呟いてはならないのだろう。ダダは、午後、机に向った。小さな文章を書きはじめたが、食後に嚥んだ幾種類かの薬のうちの一つの精神安定剤が効いている、と分かる。眠くはないのだが、醒めてはいない。薄暗い部屋に、どこからか光がさしこんできている。安心でもなければ、不安でもない。ただ、この感覚が続いてほしいという幼児のような願望がある。それでは困る。どこかへ抜けて出ていくか、安住するかのひとつの試みをしてみなければなるまい。ダダの考えが、一つの方向へ動きはじめる。
 ――芝田町で拾ったタクシーが瀬沼町まできた頃には、とうとう雨が降り出した。白雨だ、と思って、一度脱いだコートを車の中で着込んだ。コートに腕を通していて、根来正実の右肘が奈良坂和希の胸に強く触れた。しかし、彼は黙っていた。
「ネモさん」
 和希が車の窓の外を見ながら言った。
「なに?」
 根来は、小さい頃から呼ばれつけ、いまでも職場で使われて、もう慣れてしまった名前に、何の抵抗も感慨も覚えず答えた。手は、メーターを見て、タクシー料金を用意している。和希には、別にこれといった言葉があるわけではないようであった。ラベンダー色のマニキュア、口紅の色が車の中で一層濃くなった感じがする。根来は和希の胸の感触から、傷んだ果実を連想していた。果実は傷んだもののほうがよく匂う。もっとも、つい先程はスプーンですくいとられ、皮だけになってしまったグレープフルーツのような果実を思っていた。食べ荒らしたという感覚に嫌悪の念を覚えていた。
 ふたりは瀬沼町の地下鉄近くにある庄屋風の作りになっている酒場へはいった。会社帰りの人たち相手に開かれた店で、ひどく混む時間帯があるが、いまはまだ少し早い。女気がなくて、客の回転が早い。かといって長居がむつかしい店でもない。根来と和希は、カウンターではなく壁際のテーブルへ向い合わせに着いた。奥まっている。天井には剥き出しの電線が走り、配線のための碍子がこれを受けて、アルミニウムの傘と裸電球がある。これが店の主な照明ではない。こんなものが黒く煤けた梁とともに風情として使われている店であった。贅沢な酒と肴もあれば、きわめて庶民的なものまで出す。
 根来は早く酔いたいと思って、麦焼酎を頼み、和希は生ビールを註文した。本当はふたりとも、熱い燃えるようなものを望んでいた。だが、そこにいたるまでには手順がある。階段を一つずつ上って行かねばならない。そして、そのあとに訪れるもののことは、あまり考えないほうがよいのである。根来は盛り沢山のメニューを仔細に眺める性分ではない。取りあえずのところを性急に頼んでおいて、次へと移っていく。これが自然であると考えている。コンニャクの刺身とポテトのバター焼きに眼がとまったのは、気まぐれに過ぎない。ホタテ貝は根来自身のための追加註文であった。
「ああ、そうだ。アワビのワイン蒸し、食べるかい?」
「千恵子さん、元気?」
 脈絡もなく、不意討ちに和希が尋ねてきた。
「まあね」
「なんだか曖昧だわ。ネモさん、遠慮しなくてもいいのよ。奥様のことうかがいたいだけよ」
「この話、よそう。分ったかい」
「じゃ、なにか話をしてよ。子供ってオモチャを買ってもらうまで雄弁で、そのあとは黙んまりになる、というのは本当のようね」
「突っかかるみたいだな。楽しくやろう」
「賛成よ」
「こんなやりとり、うんざりするほどあるんだろうな。この店のメニューみたいなもんだ」
「あら、よくご存じだこと」
 根来正実は麦焼酎のおかわりをした。アルコール度は二十五度ある。彼は酒に強いほうだった。この店の焼酎は室温よりすこし冷たくしてある。喉ごしがよい。それで用心はしていた。悪酔いの経験は豊かだった。生活の悪酔いも知っていれば、自分たちのようなかかわりに、しばしば襲ってくる嘔吐感も心得ている。こうしているたったいまのふたりは、勤務先への時間をお互いにうまくつくろっている。和希はビールをゆっくり飲んでいた。ジョッキを傾けるとき、まともに根来を覗きこみにきた。彼はたじろいだ。〈おれは、こんなことを幾万回やっても飽きないのだ、畜生め〉
 表では雨が強くなりだしていた。もうすこしすれば、店が混み出すだろう。酔いと混雑の中に埋もれていってしまいたい気持が多分にある。
「ネモさん、酔ってきた?」
「さあ、どうだか。すこし気持が良くなってきたようだ」
「旅行に行けたらいいわね」
 根来は返事をしなかった。なにもかもあたりまえである。この世に新しいものは何もない。緊迫感などどこにもありはしない。我々は支払い能力がありさえすれば、何を註文してもよい〈人生〉という店にいる。限度はあるにしても、それがどうした? それでは支払い能力のほどはどうか。勿論、それにも限度がある。それにしても程々でやっていける世界にいる。そこそこの程度で充分に酔い、腹は充ちる。ただ、それだけだ。
「哲夫君に、一度会ってみたいわ。こだわっているのよ」
 根来はいやな顔を隠さなかった。中学三年生の長男である。その下は中学二年生の寿美子だった。年子の兄妹はいとしく、他人からいたずらに口出しをしてもらいたくなかった。それでいて根来には子煩悩なところがあって、しばしば子供たちの話をした。和希が根来の妻の千恵子ほどではないにしても、哲夫や寿美子の消息を知っていても、おかしいことではない。
 和希は、突然、大きな声を出した。
「ネモ、百年生きろ」
 それは長男の哲夫が、まだ五つくらいのとき、何かで覚えた言葉を、並んで坐っている根来と千恵子に向って叫んだときの挿話を思い出して、口にしているのだった。
「ありがとう、百年生きるよ」
 それを呟いてみると、実にやるせない感じが押し寄せてきた。根来正実は、奈良坂和希の長い髪と息づいている胸に眼を向けた。剪定され、粘液を溜めたすこし妖しくうとましい花に見える。一方、千恵子は髪を短くカットしているし、学生時代、スポーツクラブで活動していたことが手伝っているのか、胸は硬かった。
 まだ、時間はあった。その気になれば今日一日の汗ばんだ熱帯温室の午後を繰り返すことも可能である。だが、根来はもう望んでいなかった。家へ帰りたがっている。和希の気持はどうだろう? 推測はつかなかった。あえて考えまいとしている。酔えば生まれ変わることが出来るように思っていた。一部の慢性アルコール中毒者がそうであるようにである。いまこのひとときの酒は句読点である、とも言える。〈生存〉の意味に、釘を打ちこむ。ここから、おのずと立ち上ってくるものがあるに違いない。自浄作用といったものがあろう。根来は酔いはじめている。信仰の根本は祈りに尽きるが、酔いの忘我の中心に、何か光るものがある。そんなことを考えている。
 和希は煙草に火をつけた。根来は禁煙して三年になる。紫煙への誘惑は、もうなくなっていて、かえって迷惑である。
「ね、何か話をしてくださらない?」
 表は雨にもかかわらず、店はいつものように混みはじめた。根来たちのテーブルは、相席になった。その時点で店を出てもよかったのだが、根来には出来なかった。相席になったのは自分より若い男二人連れであった。奇妙な気配になった。神経がわずかに尖るのは、男たちが和希と同じ大きさのジョッキで生ビールを飲みだしたことである。二人は揃って地味なスーツを着て、目立たぬネクタイをしている。何を話題としているのか分からない。
 根来は、そっと溜息をついた。話をせがむというのは、どんな気持だろう。考えてみると、自分は多くを語ってきているのに、和希についてはほとんど知らない。話を聞いて相手を知ることで、人はより多く何かを所有するだろうか。
「ひどい雨降りだから思い出した」
「なに?」
「つまらないことだよ」
「いいわ。話して」
「おれのおやじ、その日はね、昼間からビール飲んでいたんだ……」
 根来の父が昼から酒を飲んだからといって、どうのこうのと言うことはなかった。記憶する限り、酒で乱れた父を見たことがない。ただ、ビールを飲んでいる父の後ろ姿がきわめて印象的だったから、彼はこの記憶を愛しているのだった。根来正実が幾歳のときだっただろうか。夏の終わり、秋の初めに台風がきた。風は昼に最も強くなった。最初、雨は波しぶきのようだったが、風が強くなると同時に、雨そのものはおさまった。それまでの経験では、台風というものは夜に来て、朝には去るものと思っていた。それが昼前から強い風は南にまわりはじめて、すさまじい状態になっていた。テレビが無い時代だった。停電で、ラジオのニュースも聞けない。家は町なかにあった。しかし、隣り近所との連絡は絶たれている。電話線は保善の状態にあったか、どうか。もっともこれで、どこかへ助けを求めるわけにもいかない。そのうちにますます、風は吹きつのってきた。父は道路に面した部屋にいて、ひとり坐ってビールを飲んでいる。母は父が酒を飲んでも、一切苦情を言わぬひとだった。絶対の信頼をおいていたのだろう。父は旨そうにビールを飲んでいた。根来が恐れのうちにあっても面白がって二階へ上って表を見ていたら、屋根瓦が紙のように舞いあがり飛んでいく。どこかの家の二階にある押入れの壁が壊れたのだろう。蒲団が飛んだ。
 ひるんで、また父のもとへ引き返した。母がおろおろしている。当時、ゴミ箱は大人ひとりが蹲ってはいれるほどの巨きな木箱だった。これがずるずると路面を滑っていく。剥がれたトタンがひらひらと飛んでいった。父は黙々として、ビールを飲んでいた。面白がっているわけでもなかった。こんなに風が強く家が揺れるからには、わが家にも被害は出ているだろう。根来と母はニュースを聞こうとして、何度もラジオのスイッチを入れたり切ったりした。今日があると知っていたら、工作で作った鉱石ラジオを置いておくべきだった。どこからか不気味な音がした。風や雨の音ではない。わが家が壊れようとしているのだ。それでも父は動かなかった。
「皆、さわぐんじゃない。もうこれ以上のことはない」
 盆の上のビール瓶は、三本になっている。根来はコップの中に注がれたビールの泡を見ていた。父の沈黙を見ていた。沈黙が宝のように思えた。その沈黙が守られている限り、自分たちは大丈夫だと考えた。
「つまり父親らしい姿について言いたいわけ?」
「いや、そうじゃないんだ。どうもうまく喋れないな」
「何が言いたいのかしら。無口で居たいための弁護?」
 と和希が言った。根来は黙って一口飲んだ。それからもうひと口飲んだ。谺がかえってくるのを待つようにして言った。
「何もないさ。話をしろと言ったから、こんなことを言っただけだよ。他意はない」
「帰ろうかしら」
「うん、いいよ」
 奈良坂和希は、席を立った。根来正実がレジで勘定を払い、ビニール傘をコインで買うのを和希は待っていた。表は相変わらず雨である。瀬沼町の地下鉄の入口へ急いで、階段を降りていった。こんな夜、どういうわけか地下鉄のプラットフォームの灯は明るく、あたりは乾いて気持が良い。
「まだ早いわね、ネモさん」
「そうだな。夜は長いよ。明日のことを考えなければ、もう一日が生きられる」
 和希は笑った。電車がはいってきて、あたりの気圧が変った気配である。根来はちょっとよろめいたが、酔いのせいではない。考えがもつれている。花瓶に活けた花がかしいで、揺れたかと思われる。父の後ろ姿が影となってかぶさってきた。だが、それはあくまで錯覚であるに過ぎなかった。根来正実はすくなくともそう思って、電車に乗りこんだ。一切を断ち切るように電車は動き出した……。

 ダダは手を止めた。これまで書いてきたところを読みなおしていて、首を傾げた。自分でも思いもかけぬことを書いている。信仰の本質は祈りである、と。これは間違ってはいない。だが、祈りという言葉にかえて〈愛〉という言葉が出てくるべきではないだろうか。ダダは考えはじめたが、判断停止となった。ダダの場合、祈りが先行する。祈りの言葉が問題ではなくて、自らを祈りの中へ置こうとつとめる。このとき〈愛〉も祈りもひとしくなる。ただし、これが願うとおりにかなえられたる日は、いまだこない。ダダは郷里の中学校、高校をカトリックのミッションスクールで過ごした。カトリシズムが、まだ柔軟な頭脳に大きな影響を与えたという事実は、もう何をもってしても打ち消せない。では、ダダは根本のところでは救われているのだろうか。彼はそれに対して、「はい」と言うだろう。同じく「いいえ」という言葉も出てくる。これは矛盾のようでいて、そうではない。ここのところが他人には分ってもらえない。説明がむつかしい。ダダの混乱の根源である。周囲の人たちの判断にも亀裂が生じてくる。いわれのない罪責感が強かった。
 ダダは階下に降りていった。昨夜は薬が効いてよく眠れた。正座で仕事をするので疲れる。ミータンとノエが編み物の相談をしている。コーヒーが飲みたい、と言った。時計を見ると六時まで一時間少々ある。お酒を飲むのは、時間がきて祭壇に灯をあげてからであった。ノエがつくったフルーツケーキを一切れもらって、書いたばかりの小さな文章を考えている。良いとか悪いはあまり気にならなくて、自分が作りだした人物と呼吸を交わしている。この気分が抜けない。いじらしく、その後を続けてみようと思うが、それは出来そうにない。
 二階の部屋に戻って、エルサレム版英訳の聖書を読みにかかる。集中力がない。不眠症と合わせて、医師から軽鬱状態の特徴だと言われている。ぽつんとしていて、中学生のときに飼っていた小型雑種犬コロのことを、思い出していた。敗戦間もないころにラクダを飼おうなどといった不思議なことを真剣に願い、これに絶望した。ラクダが犬になった。黄色い体色で足が白かった。捨て犬を拾ってきた。このコロがジステンパーになって鼻から膿を出し、口の中も汚れていた。その頃、貴重だった生卵を飲ませてやったりしたが、回復へは向かわない。冬の早朝だった。母に呼び起こされて行ってみると、コロはダダの顔を見て力なく尾を振り、玄関から表へ出たがる。その通りにしてやると、コロは走り出て、家の中へ引き返す。二、三度これを繰り返して息が絶えた。ダダにはコロの行動の意味が分からなかった。それでも考えた。家で死にたかったのだろう。捨てられたところを拾われた。だが、死ぬ。それでも、いまひとたび拾い上げてくれる暖かな手があると信じている。そんな死に方だった。コロの確信を信じて、ダダは涙をこぼした。むつかしいことは考えなかった。コロの信頼にみちた眼は、一切の理屈抜きだった。コロのような信頼の眼差しを真実神に対して持つならば、栄光の日がある。しかし、いまのダダの混線した精神には、いささか無理だと思われる。
 秋の陽暮れは早い。スタンドを点けて、ミータンが呼んでくれるのを待っている。重い不安の心が兆してきた。力が抜けていく。酒を早く飲みたいと思っている。奈良坂和希の若い躯が眼に浮かんできた。何ものかが、肩のあたりから手許を覗きこんでいる錯覚に捉われている。階下で次男のミショウが帰ってきたらしい様子が伝わってきた。想像の和希は花を閉じ、ダダは捉われて今日一日終ったか、と思う。ミショウは、どうやら道場のきつい稽古を避けたいらしく、組手にはいれる時間をわざと遅らせて帰ってきたようだ。しようがないな、とダダは思う。自分自身を含めて、あれこれ立てなおさなければならない事態が、あまりにもたくさんある。

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 e 煙なき炎(:○目次↑前章↓次章

 秋が渓流魚のように敏捷な日を連ね、寒波がきて躯と心が乾燥した。何よりも心の萎縮を恐れていると、寒さがいっときゆるんだ。それで気持がなごむかと思っていたが、そうはならず、季節の短い一日の深夜の二時になって、ダダはそっと起き出した。睡眠薬を自力で絶つ試みはあきらめていた。専ら量を減らすことにつとめようとしている。それでもその夜は自信がなくて、医師に決められた限度一杯の薬を嚥んだ。ところが眠れず追加の薬を取りに階下へ降りると、次男坊のミショウが夜食の最中だった。いま一度床についたが、どうもよくない。あせりが出てきて、また階下へ降りると、ミショウがまだ居る。
「深夜の勉強は、実際のところ能率が上がらないよ、寝たほうがいいぞ」
 と言った。彼はおとなしく「うん」と答え、自分の部屋へ戻って行った。そこでダダは錠剤をもう一度服用した。睡眠薬は嚥みすぎると、かえって覚醒が来ると言われていたのは本当だったようである。ダダは起きている決心をせざるを得なくなった。階下の灯を明るくして、温風ヒーターのスイッチを入れた。躯がだるい。眠れず冴えた気分でいるが、頭はめぐるような状態にはなかった。その癖、空腹感がある。テーブルの上に、昨日の午後にノエが焼いたケーキが載っていた。覚悟を決めるとコーヒーをいれた。一方通行の家の前を車が通って行く。そのあとは静かになった。深夜のラジオを聴くつもりもないし、テレビも観たくない。普段、不眠の夜のために用心をして、ビデオのための録画フィルムは沢山ある。夜明けを待つなど、すこしも恐ろしくはないはずだ。読むべき本もある。だが、困ったことに、気持はそちらへ傾かない。ここらあたりに不眠症の罠がある。彼もまた永遠の夜明けを、待つ者の一人であろう。しかし、平静に待てないのだ。不眠を訴える人間の、眠りへの憧れは他人にはとても分からぬものである。よく眠れば、良き朝がある。これを信じる者を、どのようにして、その考えを崩すことができようか。
 電話が鳴った。熱いコーヒーに唇を焼き、ダダは慌てて受話器を取った。「もしもし」と言ったが、電話は一方的に切れた。あまり腹も立たなければ、気味悪くもない。だが、ひところ、この沈黙の電話にひどく悩まされ、おびえた日々があった。ミショウもノエも生まれていなかった。事情があって、ミータンはまだ小さなパクを連れて実家へ帰っていた。パクは幼稚園にもはいれぬ三歳になるか、ならないかの頃だった。ベルが鳴って受話器を取る。しんとしている。大抵は無言だったが、一度だけ、かすかにオルゴール・メリーが聴こえたことがあった。幻聴ではない。おそらく企んだ効果音のようなものだったのだろう。ダダは毎日酒浸りだった。昼間ウォッカを飲んだ。本当のところは、よく分っていなかったが、酒酔いの体臭を防ぐにはウォッカがよいと思われたのだった。ダダは、ウォッカの別称が〈アダムの涙〉であると知っていた。酒浸りとは言っても、酔いどれているわけではない。眼醒めている限り、軽い酔いが続くようにしているのであって、酩酊してはいない。とにかく電話が恐ろしかった。恐れから逃れるために、何でもした。心の状態が常でない人に、幻聴や幻視といった現象がある。それは恐怖から逃走する肉体の自衛本能の現われだろう。ダダは常時酒浸りでいることで、どうやら心の平衡を保っていた。奇怪な夢と孤独に悩まされはしたが、幻覚症状は起きなかった。入院治療が必要なほどに、アルコール中毒にもならなかった。
 眠られぬままに起きていて、その頃が思い出されてきた。だが、傷の深いところからの疼きは無い。人は巧みに自らをいつわり、あざむくものだ。いつか、その償いをしなければならぬと知りつつ、これをする。恐れを抱いている電話の掛け手は、女だった。これは確かだった。もう二十年以上も昔のことである。厄介な電話は、そのすこしあとにもあった。ダダには自己告白癖があり、事情を心得た或る人間が、これを真似た。話は混錐するが、いま一人、同じ手を使った。しかし、たったいまの電話は、過去から掛ってきたものではない。確信が持てる。かりに過去から電話がつながってきても、今更、恐れはしない。軽鬱の自分と不眠のほうが、恐い。二十年もの昔も、ダダは不眠症を恐れていた。その頃、彼はよく呟いたものだった。アルコールを絶えず摂取して、脱水状態にあった躯から出て来た呟きだろう。〈ああ、わが肉は粘土のごとく乾けり〉ダダは、すでにこうも自分自身に言い聞かせていた。〈よく眼醒めるために、よく眠れ。よく眠るために、よく眼醒めよ〉
 ひとり暮らしを始めて、気付いたことがあった。学生時代から結婚をするまで、何もかも自分でやり、一人でいる日々に慣れてきたつもりだった。しかし、パクとミータンが居なくなって、意外にも孤独に弱い自分を知った。がらんとした家の中を見まわすと、どうも具合が悪い。パクが残していったオモチャ、小さな靴、ミータンの使っていたミシン、台所道具類、風呂場を見るだけで、心が痛んだ。それで引越しを考えたが、これを実行する気力はなかった。当時、会社勤めをしていたから、手続きもある。家の内情を知られたくなかった。
 突然、夏の日々の光景が甦ってきた。会社の帰り、駅近くのスーパーマーケットに寄り、夕食のために、ニラを四束、ニンニク玉を二つ、卵を十個、牛小間切二百グラムを買い、スタミナドリンクを一瓶、立ち飲みをした。家へ帰ったものの、炊事をする気になれず、即席タンメンをつくり、ウイスキーを飲んだ。恐れていた電話は鳴らなかったが、酔い過ぎて吐いた。若かったのだろう、その後ビールを一瓶飲んでから寝た。休暇をとっていたから、どこかに心のゆとりがあったに違いない。よく眠れた。すべて放棄した思いが訪れたのは、この夜が最初であったような気がする。翌朝、九時近くになって眼が醒めた。風呂に水を入れ、ガスの火を点け、牛乳瓶と朝刊を取りに表へ出た。下痢をしている。強い酒は下痢をとめる、という迷信に取り付かれていて、ウォッカを飲んだ。不思議なことに、その一方、緑茶が欲しい。ミータンとパクが家を去った翌日、ダダは蛍手の茶碗を買った。これに茶を注ぐと、茶碗には本当に蛍火が透くのだった。ウォッカが効いたのか、緑茶が効果をもたらしたのか、下痢は止まった。安心したところで、入浴をやめて、再び寝入った。眼が醒めたのは、正午である。近所の薬局へ総合ビタミン剤と、鎮痛剤を買いに出た。その頃、精神安定剤や睡眠薬が町の薬局で自由に買えたが、これに手を出す気がなかった。では、どうして鎮痛剤を買ったのか、よく分からない。ただ、何故か安心のために買った。家へ帰ったが、食事の用意が面倒である。前夜に続いて、またもや即席タンメンを作った。このあと、ようやく入浴をして、下着類を洗濯し干した。まだ梅雨は明けていなかった。曇った日であった、と覚えている。はるか昔の平凡な日が、鮮明であるのは、一体、どういうわけだろう。
 休暇をとっているので、遠慮なくビールを飲みはじめた。ずんずんと曇っていく。それでも雨は降り出すまいと、勝手に決めている。スズメの鳴き声がうるさい。病的に響いてくる。庭に出てみると、まだ充分には飛べないスズメの子がいる。二階の屋根のどこかに造られた巣から落ちてきたのだ。ダダは困った。ミータンが居なくては、育てられない。といって、そのままには出来ない。親スズメらしいのが飛びまわって、騒がしい。ダダは隣りの家ヘスズメの子を持って行った。この時代、隣りに住んでいたのは、ダダ夫婦と歳恰好が変わらぬひとたちで、子供はいなかった。訪ねていくと奥さんが出てきたので、事情を話して、世話を頼んだ。
 家へ戻る。どうもビールが苦い。台所では冷蔵庫のモーターの音がしている。ネジを巻き忘れた置時計は止っていた。テレビの上にバラ銭がある。金魚は水槽の中で、苦しそうだった。何もかもいやになってきた。この家をこれから維持していく努力に自信がない。畳にはところどころ薄っすらとカビが生えている。朝、起き出すときに息苦しく、咳込むのはそのせいか、と思えた。いまにしてみれば幼児の頃の喘息が再発していたのだが、そのことには思い到らなかった。それより高校二年生の夏まえに発病した結核が、舞い戻ってきたのではあるまいかと心配をした。ダダが二度目に移った職場では、定期の健康診断もなかったのである。厭世的気分でいると、おかしなことが考えられる。熱帯魚としてよく知られているソード・テールは性転換をする。セラネルスというアメリカ特産の魚は、一つの個体に両性がそなわっている。クシフォルスも性転換をする。ミジンコもカキもそうである。ダダは倒錯したわけではない。〈人はひとりでいるのは良くない〉という旧約聖書の創世記のことばを想起しているに過ぎない。
 ぼんやりしていると、隣りの奥さんが訪ねてきた。子スズメを持ってきていた。エサをやってみても食べないし、鳥籠もない。元の巣に返してやれば、どうかしらと言う。出来ない、と答えると子スズメを両手に包んで帰っていった。ダダは運動神経に恵まれていない上に、高所恐怖症である。ほっとしていると、隣りの奥さんが、再び訪ねてきた。子スズメが逃げた、と報告する。表へ出ると、どのようにして飛び上ったか、廂の上でよたよたしている。見上げているうちに、転げ落ちてきた。途方に暮れていると、隣りの奥さんは、菓子箱にでも入れて軒下に置く、と言った。そうしておけば、親スズメが餌を運んでやれるかも知れない。成程、それではお願いします、とダダは頼んだ。猫にねらわれれば、ひとたまりもない。監視役が必要である。ダダはビールのところへ戻った。あたりは、ますます暗くなってきた。高校を卒業して、何者かであろうと志し、上京した結果がいまの状態である。このようにして日を迎えるとは夢にも思っていなかった。ビールに飽きてきた。ウイスキーか、ウォッカにしようと考えていると、裏の家が騒がしい。
 耳を澄ます。どうやら隣りの奥さんに預けたスズメの子が逃げ出して、裏の家の池に落ちたらしい。ダダは、知らぬ顔をしていることに決めた。隣りの奥さんも静かにしている。そのうちに騒ぎはおさまった。ダダはウイスキーの水割りをこしらえ、すこし良い気持になったところで洗濯物を取り込んだ。
 ダダは夜を迎える頃になって、自分には目下、実情を打ち明け、電話をかけるべき友人もいない身辺に気が付いた。今更と思わぬでもなかったが、心細かった。近所から赤ん坊の甘い泣き声が聞こえてくる。責められているようでたまらない。今夜あたり、あの電話はかかってくるだろう。酔いつぶれて寝てしまう手があったが、もしかしたらミータンが長距離電話をかけてくるかも知れない。郷里の母から電話という場合もある。ミータンとパクが居なくなってから、階下で寝る習慣になっている。水割りのグラスを片手にして台所へ行く。何を夕食にしようかと思案した。下痢は止まっていたが、胃腸をいたわってやらなければなるまい。酒を飲む一方で、滑稽な気遣いであった。こんなことも考えた。沈黙の電話の女も、どこかで夕食の仕度をしているだろうか。その女にはパクと同じ歳の子がいると分っている。ダダは水割りを飲み干した。食欲がないにしても、体力は保っておきたかった。昨日買ったニラをフライパンでいため、塩、コショウを振り、牛乳を入れた。卵一個をときほぐし、牛乳が煮えたぎらないまえに、よくまぜながら流しこむ。これでスープは出来あがりである。食パンを一枚焼いた。簡単な夕食のあと、いま一杯の水割りでビタミン剤を嚥んだ。
 ダダは二十年以上もの過去を克明に辿ることが出来るのを驚きもし、こうして眠れぬ夜に、アルコールへ手を出さぬ自分の用心深さをいぶかしんだ。何もかもすんでしまったような気でいるが、実はこれから何かがはじまるのではあるまいか。随分、長い間自分を偽ってきた。すべてに決着をつけるべきではないか。だが、どこかで誰かが笑っている。そんな簡単に片付くことではない。崩しはじめるならば徹底するまでやるしかないだろう。果して自分は、それに耐えることが出来るだろうか。甚だ疑わしかった。自らをいましめる気持は強かった。解体は易しい。問題は、その後である。ダダの肩の荷は重い。パクは一人立ちが出来るようになったが、ミータン、ミショウ、ノエを捨てるわけにはいかない。頼られていて、これを捨て、己れのみに向かい合うことは、まず不可能だった。常識の領域に踏みとどまることを余儀なくされて、狂気の淵はより深まり、幻影はますます、色濃く徘徊すると思われる。自分を手放したくなる誘惑は強かった。ダダは危いところで綱渡りをしていた。平衡感覚がいつ崩れるか、自分でもよく分からなかった。しかし、崩すこともないし、崩れもしないだろうと思っている。見通しは甘い。そして、始末に終えぬことは、それを自分で心得ていて、なおかつ、何事かをはかなくあやぶみ望んでいる。
 夜が明けてきた。午前七時、ミータンとノエが慌ただしく降りてくる。ミータンは、ダダを見て、「どうしたの?」と言う。ダダは忙しく弁解をする。言葉で物を考えているより、実際に言葉を費しているほうが心は寛いでいる。活気に充ちた朝が来た。これはすべて自分ではないものによっているのだと思いながら、疲労感が出てきた。最後に薬を嚥んだ時間を考えに入れておきながら、ごく少量の精神安定剤を服用し、就寝の覚悟を決めた。横になって、訪れてきたものがある。はっきりとしているが、解釈を拒む夢であった。夢に対して抗議をするのは愚かである。では、素直でいられるかといえば、そのようにならぬ一種の威力がある。
 狂言の「蚊相撲」を観ている。笑ってはいられない。女がいる。よく知りもし、知られもした仲だ。しきりに手を引く。会いに行ってほしい人が居るという。ひどく恐れていて、ためらっているが、やすやすと許してもらえそうにはない。また、裏切りたくはない。女は和希に似ていたし、子スズメを預けに行った隣りの奥さんにも似ていた。いや、誰とも似てはいない。それでいて、ひどくなれなれしい仲なのだ。石畳の道を下ってゆく。霰が降ってきた。女が紹介したのは、僧侶だった。ダダは夢を見ながら、意外だった。司祭なら話は分かる。ところが違う。青い頭だ。カミソリがあてられて、時間が過ぎていない。ひょっとこの面のようなものをかぶっている。無言のままなので居心地が悪かった。引き合わせた女は、いつのまにか姿を消していた。何故、面をつけているのか、いぶかしい。じっと見ていると、面の下は空虚であると思えた。暗黒がある。吸いこまれそうだ。争ってみたが、罪責感の強さに敗けた。ダダは、とうとう深い眠りに落ちこんでいく。
 しかし、昼前に眼が醒めた。短い時間ではあっても熟睡しているはずだった。それにもかかわらず躯が重いのは、薬が残っているせいだろう。表はよく晴れていた。コーヒーを飲むと、ミータンと一緒に駅前通りへ出て行った。駅前通りのイチョウが落葉して、陽の光に眩しいほどだ。駅まで行った。傍目から見れば、のんびりとした夫婦と映るだろう。とにかく二十六年間暮らしてきたのだ。だが、ダダの気持は、早や傾きかけた陽差しのようだった。急がなければならない。だが、どこへ?「先があるものか」という声が聞こえてくる。ミータンは、すべてをダダに預けてきていた。薬と酒がなければやっていけない人間に、一切を託するには勇気がいるはずだった。一方、ダダは家族に慰めを求め、あやうい思いで息をつめるようにして暮らしていた。辿っている路は必ずどこかへ抜けていると信じている。いやこれを信じることにつとめ、祈っていた。しかし、祈りは心を研ぐ。敏感であるとき、どこかで巨大なものが崩壊しながら、すべてを氷結のうちに包んでしまいそうな予感がある。打ちひしがれ、おびえ、狂い出しそうだった。もっともダダはそんな内心を口に出さない。舗道を歩きながら、若い女性の服装について話をする。
「ダダ、相変わらず下手ね。もっと上手に見なさいよ。気付かれるわ」
「ソウカ。気を遣っているのは、ミータンの気持であって、自分のほうは平気だナ」
「だから困るのよ、ダダが変な人だと思われるのは」
 そこらあたりでミータンは話題を変える。ダダも調子を合わせる。年末から年始にかけ、一家揃ってミータンの実家へ帰ることが出来るかどうか。希望をつないでいるが、ダダの体調、気分が大いにかかわっている。
「引き返そう」
 ダダとミータンは方向を変える。わずかな時間の経過で、翳ってきていた。二人は家の裏手にある繁華街へ歩いて行った。近年、家の界隈は変化を遂げつつある。新しく家が建つと同時に、共同住宅が増えた。繁華街も様子が変ってきた。困ったことは、そういった現実に対して、素直に順応出来ない性質である。変化を望んでいない。これは、ダダもミータンもともに或る年齢に達した事実を意味しないか。だが、二人ともこのことを認めずにいる。ダダは軽鬱状態にある。それでも精神の焔が絶えたわけではない。大輪の菊花のように火は燃えている。ただ目下、この火は、物を焦がす力を持っていない。水を沸騰させない。だから、浄化作用も持っていなかった。自衛の力が欠けている。変化を望まないのは、ここに原因がある。ミータンは朗らかな性格だが、ダダの様子を気にしている。その限りにおいては、彼女も軽鬱状態を抱えこんでいるわけだった。ダダはここ五年間、軽鬱と平常の間を揺れ動いてきた。いつも考えるのは、鬱が精神の病いではなく、肉体の病気だという実感についてだ。
 ヘリコプターが独特の爆音を立てて、飛んで行く。ダダはミータンとともに本屋へ行く。コミックの単行本、雑誌の専門店であるが、この店を教えてくれたのはノエである。雑誌を一冊買った。就寝前に薬を服用して、眠りが訪れるまでの約三十分間、コミックを読む。ささやかな買物をして、二人は帰途についた。家のほうへ辿る方角に、派出所と踏切りがある。遮断機が降りていた。あたりを見まわしているダダに、訪れてきたものがある。外界とのつながりが断ち切られた。醒めていながら、夢の父の言葉が囁きかけている。
「どうにも仕方がないことなのだ」
 と父が言った。
「忘れようとしても駄目だ。ここは、こういうところなんだ。いいか? しっかり覚えておけ。おまえはいつか、ここへ帰ってきて歩くだろう」
 ダダは身震いをした。寒さが漂う季節の午後、耐えがたい郷愁と無力感がある。この感覚について、ダダは未知ではなかった。何かが訪れようとしている。それがはっきりしている。それからのダダは、ミータンと肩を並べ、黙って歩いた。二人とも今日の午後にあって、自分たちの影が長く傾いている後ろの路上を知っている。
「コウ言ウ話ナンダ。早クカラ分ッテイタノニ、何ヲシテイタ?」
 ダダはひとり呟いた。

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 f 隣人(:○目次↑前章↓次章

 晩い秋の日曜日、ダダ一家は揃って教会へ行った。晴れた日だった。本来なら悦ばしい朝のはずだったが、ダダの足はもつれている。夜なかの二時頃になって眼が醒めたので、睡眠薬の強い散薬を嚥んだ。薬が躯に残っている。どうかすると足許があやしい。ミータンはダダがこっそりと薬を探し出して服用したことを知らないでいる。
 息が苦しいな、と思いながら歩いた。躯の調子が気になっている。そして、それより恐れているのは、自分を忘れている状態である。我を失っていた。ミサにあずかっていて、半ば眠っている。
 マックメイド神父の説教を聞いていながら、何も理解していなかった。それにその朝、神父は唐突な言葉で話を結んだ。
「誰も自分の人生を他人に生きてもらうことは出来ません」
 ダダはこの言葉のみを聞き留めた。特に驚く言葉ではないのに、胸を刺されたような気になった。ミサが終わり、聖堂の前庭で賑やかな立ち話の輪が出来た。ダダの一家は信者会館のほうへ行った。ダダはマックメイド神父に挨拶をして、耳に残っている言葉を確かめようとした。甲斐なき会話になると知りながら、話をしようとした。考えは混乱して、ダダが言った。
「このごろ考えるのです。自分の過去に死ねる人が、真実に生きられると思うのですが……」
 マックメイド神父はダダとあまり年齢が変わらない。ヘビー級のボクサーのような躯をしている。神父は即座に答えた。
「それは違います。過去を忘れるのは無理です。しかし、赦しはあるのですよ」
 神父は司祭館のほうへ足早やに立ち去った。愚かな考えを口にしたと思い、あたりを見まわすと人は散っていた。ふと、足許を見ると女のひとの人差指とおぼしき爪が落ちている。屈んで手にすると、それは季節外れの桜の花びらになった。花びらは掌のうちで増え、視野のかぎり花吹雪となった。
 花吹雪が消えると、瞬時、立ち戻ってきた記憶がある。人の記憶はどんなふうな仕組みになっているのだろうか。脈絡もなく鮮明に戻ってくる。ダダは夢うつつで信者会館へ行った。ミータンがサンドイッチを食べ、コーヒーを飲んでいる。
「何考えてる?」
 ノエが尋ねた。
「うん、いろいろだ」
 ダダは十二年も前の五月の日曜日を思い出していた。年数や季節、曜日が正確であるのがおかしい。マックメイド神父が暗示をかけたわけでもあるまい。パクがコーヒーを運んできた。家族はダダの放心癖に慣れているので特にあやぶみもしない。ただ、ダダ自身は何故五月なのか訳が分からない。もっとも考えてみると、輝かしい季節であり、ダダは薬とは無縁の生活をしていた。期待もあった。気持のゆとりもあった。
 ダダは記憶をたぐりはじめた。オオムラサキの花の色が拡がっている。ノエはまだ二歳だった。女の子にしては言葉を覚えるのが非常に遅かった。このころ喋れる言葉には限りがあった。ミータン、ダダ、ブーブ、ニャンニャン、マンマ、チレイ――これは綺麗という意味。電車はゴンゴンだった。呼ばれての返事はアアイだった。パクはボーイスカウトの隊員で、教会では侍者の役をつとめていた。
 日曜日、朝起きるとパクはもう教会へ行っている。ミータンとノエが風邪を引いていた。それでダダもミサには出かけないつもりでいた。空腹だったのでひとり起き出し、インスタントラーメンを作って食べた。そこへノエがよちよち二階から降りてきた。
「何か食べるかい?」
 ノエはいらないと首を振った。ダダはノエを抱きあげると、ミータンのところへ連れて行った。
「風邪の具合はどう?」
「喉が痛いのよ」
「じゃ、もうすこし寝ていろよ。ダダは散歩してくる」
 表へ出ると、すこし薄曇っていた。時計を見ていなかったので時間は分からなかったが、夜は明けきっている。用心のために玄関の鍵をかけた。路地を抜けて児童公園へ出る細道があるが、家の塀に自転車が立てかけてある。新聞配達の自転車である。夜は明けていたが、門灯や街灯はまだ点いたままになっている。灯が尊いものに見えた。
 こんな日が来るとは思ってもいなかった。ダダは呟いたが、これは朝ごとの口癖である。何事の日でもないのに、そんなふうに思うのが習慣になっている。歩いていて何気なく振り向くと白いセーターの青年が尾いてきている。
 細道を出て方向を決めあぐねたが、踏切りのほうへ歩き出した。垣根のうちで配達されたばかりの朝刊を読んでいる一家の主がいる。インクの匂いが漂ってくるようで、とてもこのましい。自転車に乗った老人がゆっくりとペダルをこいで通り過ぎてゆく。ダダを見ても無表情でいた。それはそれであたりまえなのだが、あの老人はもうそんなに遠くへは行けまい、などといった失礼な考えを自分でも反省しながら思っている。命を考えていた。
 踏切りを渡ると商店街になる。父親と三歳くらいの男の子がやってくる。ついで、スピッツを連れた前掛け姿のおばさんがきた。商店街はまだ眠っている。生活は眠っていた。何気なく振り向くと、白いセーターの青年がまだ尾《つ》いてくる。眼が合うと顔をそむけた。
 彼も散歩をしているのだろう。しかし、青年とダダの散歩には大きなひらきがある。事実は認めなければならない。ダダは十二年前にも感じていた。冷徹な事実。青年は皮肉のように尾いて歩き、ダダはこれを受け容れた思いで歩いた。
 コインランドリーで主婦らしい人が雑誌を読んでいる。その隣りの豆腐屋はもう店を開いていた。ゴムの前掛けをしたおかみさんが、鉄の大鍋の前にいる。煮えたぎる油の匂いがした。ガンモかそれとも油揚げをつくっているのだろうか。おかみさんの動きには、ためらいがない。それが良い。
 そこのところで後ろを見ると、青年の姿がない。どこへ消えたのだろう。といって、いぶかることもない。かつてのダダも歩き、不意に道を折れ今朝にやってきたのだ。
 左手先の新聞配達店では自転車がきちんと並べられ、店の中からは朗らかな話し声が聞こえてくる。彼らは一仕事を終えたのである。話が声高かになってもいいわけだ。次の角の魚屋から炭火の匂いが流れてくる。覗いてみるとレンガを四角に組んで作った炉の前で主人が、火の様子を見ている。かたわらの大きな俎板の上には鯛が五尾並んでいた。早朝の商店街で動き出しているのは、こんなところだが、ダダはもっと耳を傾けるべきだった。もっとよく見るべきだった。そのようにしていたなら、もっと違った日を過ごしていただろう。
 商店街は材木屋のところで終っていた。広い通りに出ると消防署がある。五、六人私服の男たちが消防車を見ている。ただ見ているだけである。奇妙な感じがした。
 信号を渡ると金網で囲まれた芝生の広場がある。芝草の良い匂いがする。金網の一角でタクシーが待っていた。中で運転手が眠っている。時間を考えると、すこし変だった。エンジンはかかったままになっている。通り過ぎて行くと大きなラヴ・ホテルがある。いつだったか、このホテルから二人の男が出てくるのを見かけた。いやな気持がしたものだった。
 ホテルを過ぎたところに小さな公園がある。ただし、公園と呼んでいいかどうか分からない。コンクリートが敷きつめられ、石のベンチと汚い公衆便所があるだけだった。
 その朝、カブ・スカウトが円陣を組んでいた。他に隊員らしい人と付き添いのお母さん方が輪をつくっている。
 この人たちとは別に、正体不明の酔いどれが、二、三人うろうろしていた。すぐそばに三百六十五日、二十四時間営業の酒場がある。ダダが店の入口まで行って中を見ると、満員だった。どの客もしんとおとなしく酒を飲んでいる。ダダは酒飲みだが、余程のことがないかぎり朝から酒は飲まない。道徳観の問題ではない。酒を飲むという行為は、肉体労働である。体力、気力がないと酒に敗ける。
 店を覗いていたら、ひとりの男が出てきた。足許があぶない。五十くらいで頭は五分刈り、ネズミ色のセーター、土色のズボンにゴム草履といった姿である。ポケットの小銭が鳴っていた。甲羅干しというか、酔いざましというべきか、この手の男は時々店を出て、暫くしてまた飲みに戻る。酔わんがために人生を捨てた男たちの一人だが、恐ろしそうに見えて、実は無力な男である。酔うことに一心だから、人と戦えない。たとえ争ってみたところで、子供の喧嘩にひとしい。
 あぶないな、と思ってよろよろしている男を見捨てかねて尾いていくと、公園には正体不明の男が二人増えている。背広にネクタイをしていて、あたりをうかがっている。ヤクザめかしているが違う。
 それでもからまれては面倒なので、ダダは酔いどれを見捨てておいて、駅ビルのほうへ行った。地下への降り口で、ゴルフバッグを壁に立てかけ、仲間を待っている男がいる。昇降口をエンジ色のトレパン、ジャケットをはおってバッグを提げた女子中学生の一団が上ってきた。ヒマワリの花のような輝きがある。
 地下の柱のところで、四十くらいの男が酔っていて、駅員とからんでいる。上着をどこへ置いてきたのか分からないが、清潔なワイシャツにネクタイをきちんと結んでいた。実際のところ厄介なのは、このタイプの酔いどれである。
 駅ビルには地下鉄の乗り場がある。ここに四人、男がたむろしてワンカップの酒を飲んでご機嫌だった。だが、その仲間と思えるのだが、ひとり離れて坐りこんでいる男がいた。ワンカップを手にしているが、飲んではいない。男の顔は紫色にはれあがっていた。右の頬には血が流れている。投げ出した脚先を見ているのだが、何も見えていないのだろう。彼にとっては、すべてが不可解のようだった。世の中はこうあってはならないと思っているように見えた。誰も彼を助けない。声もかけない。無残な姿だった。多分、いま暫くすれば疲労の昏睡が彼を助けにやってくるだろう。ダダは公園のほうに引き返して行った。
 すこし疲れを覚えている。ダダは公園のベンチに腰をかけた。空は明るくなっていた。今日は降ることなく晴れる。何故かウメの実が眼に浮かんできた。生毛の生えた感触までが伝わってくる。先程の男のことを考えた。何もしなかった。出来なかった。やましい気持でいる。その一方では、あのみじめさまで堕ちられるのだから、気楽ではないかと思っていた。
 想像はついていたが、ダダは良くない場所へ一人で坐っていた。こんなところで休まずに、家へ帰るべきだった。酒場から出てきた男がダダに眼を留めて、やってきた。長身で五、六歳上に見えた。アズキ色のジャンパー、同色のズボン、ズック靴をはいている。案外に知的な顔立ちだった。
 彼はベンチのところへくると頭をダダのほうへ向けて寝転がった。片手に何がはいっているのか紙袋を持っている。
「あんちゃんよう」
 と彼が溜息まじりに言った。酒の臭いがする。
「あんちゃん、こんな時間に何しているんだ?」
「散歩に来ているんだよ」
「散歩? 良いご身分だな」
 ダダは黙っていた。
「なあ、マッチかライター無いか?」
 彼は胸ポケットからホープの箱を出した。
「悪いね。持っていない」
「煙草吸わないのか?」
「いや、吸うよ。でも今は持っていないんだ」
 彼はまた溜息をついた。
「火がいるんだ。なのに、どうして火がない?」
「借りてきてあげようか?」
 真向いのベンチに二人の男がいて、煙草を吸っている。
「ああ、頼むよ」
 ダダは先程の、人を見捨てた償いのつもりもあって、火を借りにべンチを立った。二人の男は酔っていて、一人のほうが「ほら、やるよ、持っていけ」とマッチ箱を地面に投げた。ダダは身を屈めてマッチ箱を拾い上げた。ためらいがあったが、それを見せてはならない。
 彼はベンチで起き上がって待っていた。
「すまないね。吸うかい?」
 彼は一本すすめたが、ダダは断った。
「今は吸いたくないんだ」
「汚いと思っているんだろう?」
「いや、そんなことはない」
「無理にすすめはしないよ」
 彼の顔は黒ずんでいた。
「あんちゃんはどこの生まれだね」
「西のほう」
「そうか。おれは北だ。随分あちらこちら行ったがね」
 彼は地名を並べた。ダダはそのどの場所へも行っている。彼が言った。
「どんな商売やってるのかね、詳しいのは旅行代理店にでも勤めているからかな?」
「まあ、そんなところだ」
 ダダは嘘をついた。
「じゃ、おれは何に見える?」
 彼の手を見ると太い指をしている。手は大きい。
「分からないな」
「あんまり、あっさりと言うなよ。いろいろ尋ねてみたほうが良いよ」
「鈍いんだよ。あれこれ尋ねないほうが良い時もあるからね」
「うん。ところが尋ねられたほうが嬉しい時もあるね」
 彼は吸い終ったタバコを踏みにじった。
「おれはテレビ局で裏方をやっている」
 ダダはあらためて彼を見直したが、よく分からなかった。服は垢じみている。指の爪は汚れていた。髪は長く伸ばしているが、白いものがまじっている。鼻の付け根にホクロとも肉腫とも見えるものがある。不精ヒゲが眼についた。
「まったく」
 と彼は言った。
「二日酔いを直すのに、迎え酒以外の方法あるかね?」
「病院へ行って点滴を打ってもらえば良いんですよ。アルコールを洗い出せばすむわけですからね」
「おや、医者みたいなこと言う人だな」
 彼は顔をしかめた。二日酔いでも煙草が吸えるのだから大したことはなさそうである。それより、彼はあせっていた。もどかしがっていた。人を求めているようだった。
「ゆうべはオールナイトの映画を観た」
「ほう。どんな映画でした?」
「それが覚えていないんだ。酔っ払って眠っちまったからね」
「それは残念でしたね」
 ダダは考えた。彼には家がなくて、日々の夜をそんなふうにして過ごしているように思えた。仕事のほうも、どうも怪しい。
「ゆうべ、ちょっと考えた。おれの隣りの席に十七、八くらいの女の子がいるんだ。ひとりきりだよ。家出でもしたのかな」
「それでどうしました?」
「声をかけるわけにはいかないしさ、また眠って眼が醒めたら、隣りの席は空っぽなんだ。真夜中にどこへ行ったのだろう?」
「気になりますか?」
「そりゃそうだろ。心配だよ」
 彼はまた煙草をくわえた。彼には今があっても、今日一日が存在していなかった。あてどないのが分かる。
「あんちゃん、酒飲まないか」
 彼は腰を浮かした。ダダは断った。朝酒がうとましかったし、第一にお金を持って家を出ていない。彼から酒をふるまわれるのは、論外だった。つらいお金のはずだった。うなずけない。
「気にしないで欲しいな。飲もうよ、話がしたいんだ」
「話なら、ここで出来ますよ。付き合って良いんです、暇ですから」
 彼はちょっと遠い眼をした。カブ・スカウトがようやく整列して歩き出した。
「ああ、良いなあ。若いのは」
 彼はひとりごとを言った。少年達が去ってしまうと、後に残っているのは怪し気な人間ばかりである。ダダも例外でなくなっていた。ダダは考えた。彼と向き合って自分は何者であり得るだろうか。非常に単純な問いでいて、答えるのはむつかしい。彼は手にした紙袋を開いた。
 中から出てきたのはワンカップの酒が三つである。
「飲むかい?」
「いや、朝酒は苦手なので遠慮します」
「じゃ、ひとりでやる」
 彼は、こくこくと酒を飲んだ。三つ全部飲んでしまった。十分とかからない。五分くらいである。
「ああ、ちょっと気分が良くなってきた」
 彼は笑って見せた。
「もうすこし生きていても良い感じになってきた」
「そうですか。その感じは分かりますよ」
「分かるかね?」
「ええ、分かりますよ」
 彼の眼が真面目になった。
「嘘だな。分っちゃいないね」
「別に嘘を言う必要はないでしょう? 分かるのですよ」
 彼は両手で顔を洗う仕草をした。
「おれと話をしていて嫌じゃないかね」
「ええ、別に」
「もうすこし話をしよう」
「ええ、いいですとも」
「しかし、何の話をするかな」
 彼は考えこんだ。それから顔をあげて、言った。
「おれの小学校時代の同級生で、学校の先生をやっているのがいる」
 ダダは、ただ、うなずくしかない。
「その学校というのが私立の女子高校なんだ。で、おれは女子高校の運動会が見たくなった。変だと思わないか?」
「変ではないでしょう。不思議には思えませんよ。それでどうしました?」
「おれは友だちに見学を頼んだ。去年の秋のことだな」
「面白かったですか?」
「何と言ったら良いのかなあ、妙な心地だった。どうしてだろう?」
 彼は友人から運動会のプログラムをもらった。それには友人のサインと印がある。運動会場は郊外にあった。朝七時半に起きて出かけた。教えられた駅で降りると、タクシーを拾った。グラウンドは交通の不便なところにあった。タクシーは国道を五、六分走った。運動会場の受付けは制服の女生徒二人と、メガネをかけた女の先生だった。
 彼は受付けでプログラムを出した。女生徒の一人が、
「何年何組ですか?」
 と訊く。彼はここで因ってしまった。女生徒のほうは何年何組の父兄ですか、といった意味合いで尋ねたのである。そこのところが分からなかった。もそもそ呟いていると、友人が見付けてやってきた。一万坪はありそうな広いグラウンドである。彼はテント張りの本部席へ案内された。思っていたほど父兄の参観がない。
 校長先生の開会の挨拶が始っていた。彼はシラフでいて、自分がひどく目立っているように思えてならない。椅子に腰をかけると、陶芸部が制作した茶碗でお茶が運ばれてきた。
 震える手で茶を飲んだ。飲みほすと待ちかまえていたように、また茶がつがれた。彼は三杯まで頑張ったが四杯目は断った。学園が振付け作曲をした式舞が始った。舞っているのはどうやら三年生で、セーラー服姿である。その両脇に運動着の下級生がいる。
 風がすこし冷たい。酒が飲みたくてならない。グラウンドの外れに高電圧の送電塔がある。松林が拡がっている。式舞を見ているうちに悲しくなってきた。式舞が終わると、競走が始った。彼が坐っている右手前方に救護班がある。口紅の濃い女の先生が脱脂綿をほぐしていた。走る脚、脚、脚。彼は少女達の肌が意外に汚いのを知った。自然の肌とは、本来そうしたものであることを彼は知らなかった。考えていた脚など無い。
 すぐにお昼になった。白いショートパンツに、赤い帽子をかぶった女の先生が弁当を運んできた。ここで、またもや茶が出る。彼は友人を探したが見あたらない。
 午後から創作舞踊が始った。ロックの曲である。手許のプログラムを見ると、宇宙空洞説となっている。彼は困惑した。舞踊が終わると、また競走である。脚、脚、脚。寒くなってきた。四十歳になっても独身の彼には、ひどくこたえる。転んで怪我をした生徒が救護班のところへくる。どうして、こんなに数多く転んで怪我をするのか。何故、脚はこんなにもチンキを塗られなくてはならないのか。球技が始った。あちらこちらに別れての大会である。歩きまわってみたが、一向に面白くない。彼は友人には断わらず、国道へ出た。だが、バスの停留所が見付からないし、タクシーも来ない。
 彼は駅までてくてく歩いた。遠かった。ようやくの思いで駅へ辿りつくと食堂を見付け、一杯飲んだ。酒を五合くらい飲んで生きかえった。彼はこれまでにいろんな目に遭ってきた。しかし、今日ほど狂った日は初めてだった。もう二度と女子校の運動会へは行くまいと思った。日本酒とおでんが実においしい。
「女子高校というのは、変だよ、まったくおかしなところだよ」
 と彼が言った。ダダは分ったようなふりをして、うなずいた。
「お困りだったでしょうね」
「うん、まったくだ」
 彼はポケットからもそもそ紙切れを出した。それは体育祭のプログラムだった。というより、プログラムであったものだった。ぼろぼろになっている。そんなところへ近寄ってきた男がいた。背広、ノーネクタイ、頭は剃っている。この男が、彼に言った。
「ゆうべは、うちの若いのがごちそうになって」
 男は、じろりとダダを見た。
「ちょいと礼をしたい。飲みに行こう」
 彼はダダとまだ話をしたい様子でいたが、誘われてベンチから立ち上った。
「また会おうぜ。いいかい?」
「いいとも」
 ダダは返事をしておいて歩き出した。振り向くと彼もこちらを見ていて、手を振った。

 これが十二年前の五月の日曜日朝の話である。きっちりと十二年前と覚えているのが奇妙だった。彼とはそれから会ってはいない。どこかで生きているだろう。何をしているのかは確かめるすべがない。信者会館の中でコーヒーを飲みながらマックメイド神父の言葉を思い返してみた。「過去には赦しがある」ダダは、彼が赦されてあることを願った。自分自身は屈折していながら、他人の身の上を考えていた。ダダは彼を思い出すことで、逃げているようだった。それでなければ、どうして思い出したりするだろう。
 ミータンが言った。
「帰りましょう」

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 g 優しい檻(:○目次↑前章↓次章

 バイクに乗って、田舎町を走っていた。どこの町であるか分からない。家の出窓には花が咲いていた。祭りの最中らしく、万国旗がひるがえり、風船がはなやかに浮かんでいる。オートバイは一二五ccで、二十五キロくらいのスピードで走っていた。バイクにはメーカーの名前が付いていたが、寄せ集めの部品で作られている。チェンジ・レバーを握りしめ、セカンドからトップへ切り換え、グリップを一杯にまわしてみても、速度は上がらない。
 つい、いましがた自分でプラグを抜き、煤を取り除いたばかりだが、どうも調子が良くない。ガソリンもオイルも充分なはずだった。ここは、どこだろう。幸い、陽はまだ高い。クラッチをニュートラルにしておいて、ブレーキをかける。
「修理屋さんが、どこにあるか知りませんか?」と尋ねてみたが、相手は薄い瞳孔の眼を据えて、
「もう少し先の左手」
 と答えた。確認するつもりで、相手の言葉を反芻してみた。白い鳩が舞っている。爆竹が鳴っていた。赤い屋根の家がある。屋根の斜面が急である。
 質問に答えてくれた男の顔も忘れ、礼をも言わず、再び走り出すと、修理屋はすぐに見付かった。
「一時間あとに来て欲しい」
 と店の主人が言った。靴先でポンポンとタイヤを蹴っている。パスポートはおろか、運転免許証も持っていないから、やましい気持がある。
 店をあとにして、また古い型のオートバイに乗って、町の裏へ出た。
 コンクリートで固められた灌漑用水路があって、澄んだ水が、かなりの勢いで流れている。花束が色鮮かに流れてきた。見廻してみても、誰もいない。枯れた畑が拡がり、灰色の空のかなたに山がある。
 道はアスファルトになっている。それはいいのだが、バイクは今にもエンストを起こしそうだ。自分がどこへ来ているのか、いずこへ行こうとしているのか分からないでいるが、とにかくバイクを修理しなくてはならない。
 右折をして町の本通りへ出た。その時になって、この町には車が走っていない、と知った。
 何故だろう、と考えながら走った。車両通行止の標識は、見ていなかった。
 どうでもよい、と考えながら、教えられた修理屋を探しながら走った。ところが、どこで見落してしまったのか、修理屋が見付からない。つい、さきほど在ったはずなのに。
 警官が二人、パトロールカーを停めると、揃って歩きはじめた。二人とも若く、血色が良い。眼が合うと誰何される恐れがあるので、前方を見たまま、速度を早めようとしている。あたりまえなら五、六十キロくらいのスピードで楽に走れるはずなのに、メーターの針は動かない。
 爆竹が鳴っている。糸の切れた風船が空へ上がり、鳩が舞い、万国旗がひるがえって、どこまで走っても町の外へ出られない。
 広場では噴水が上がり、楽隊が聴いたこともない曲を演奏している。広場の敷石は、空と同じような灰色だった。一人の男が手品をしている。蚕玉のようなものを、拡げた手から手へと渡し、胸から頭、背中を這わせている。仕掛けは分っている。細いテグスを使っているのだが、巧みだから見物人に分からない。
 初めて来た町であるにもかかわらず、広場から路地へ入るとビヤホールがあると、知っている。磨きこまれた床、客のざわめき。空腹でもないのに、分厚いステーキと、火傷をしそうなフライドポテトが喰べたい。その癖、一刻も早く町から出て行きたい、と思っている。郊外で、滞在の場所を探していた。
 眼が醒めると、二階の部屋は薄暗くなっていて、冷たい掌のような不安がみぞおちのあたりを探りにきた。
 ガソリンの臭いが漂っている。それがあまりにもはっきりしているので、両掌もオイルで汚れていないか、と調べてみた。特別に変ったところはない。左手が右手より強く抗鬱剤のせいで震えているのを見出すばかりである。
 日曜日の午後、教会から帰ってきて、朝食兼昼食を摂った。長男のパクとミータンとノエは、買物に出かけ、次男のミショウとダダが家に残った。ミショウが階下にいるらしい。
 夢を思い返してみて、何か意味を見出そうとしたが、これはまったく無益な試みであると気が付いた。階下のミショウはテレビを観ている、と見当がついた。それで、かえって家の静かさが身にしみた。
 枕許に、筋肉弛緩作用がきわめて弱いトランキライザーがある。手を伸ばしかけて、やめた。教会からの帰りに、ノエが言った。
「薬を止められるクスリ、無いかしらネ」
 ダダは答えた。
「そういうのをブラック・ユーモアというんだ」
 寝返りを打って、悪い冗談を言ってしまったな、と思った。ノエは心配をして言ってくれたのだ。彼女は、この秋からブラスバンド部で、フルートのパートリーダーになった。随分、張り切っている。一生懸命でいるのが、とても良い。

 夢はここでまたひとたび、繰り返しをはじめた。教会からの帰り道をダダ、ミータン、ノエの三人で辿っている。家から教会へは歩いていけるが、ダダかノエが自転車に乗る。ノエはピンクの自分の自転車を持っていたが、彼女はダダの白い自転車に乗るのが好きである。
 サドルを高くしておいて乗る。ノエは、ダダとミータンの歩度に合わせて、自転車のペダルを踏むわけだが、平衡をとるために右左とハンドルを忙しく動かす。
「いいよ、先にお帰り」
 と言っても尾《つ》いてくる。野や山へ行くと、ハンミョウという大変美しい虫がいる。体長は二センチくらいで、脚が長い。人の行く先をふわふわ飛ぶのでミチオシエという呼ばれ方もする。色彩に富んだ虫で、躯には紫紺や濃い茶色、金緑色の帯がある。ノエは本物を知らないから、昆虫図鑑を見せておいた。
 ノエは派手な服を好まないからハンミョウにたとえるわけにはいかないが、ミチオシエを思い出しておかしくなる。
 何故か尾いて行きたい、と思う。ノエは口笛を吹くか、でなければ歌を唱っている。その行先には、楽しいところがある、と思えるから不思議だ。もう、季節は去ったが、ノエは夏の雨と雷鳴が好きである。
 ノエを見ているダダの眼に、ヒガンバナの花の幻が重なってきた。鮮かな花の色だが、この花は、いろんな呼び名を持っている。
 ユウレイバナ、ソウシキバナ、シビレバナなどとあまり好ましからざる名がある。どうやら、原因は花の球根が毒を含んでいるからである。昔は土葬が行われたが、亡きひとを動物や虫から守るために、特別な成分を球根に持ったこの花が植えられた、と言う。
 そんなところから迷惑な別名が出来たのだろう。その毒の成分をリコリンと呼ぶそうだ。実はこの名とよく似た薬がある。鬱病に効果があるとされているが、本来は、別な病気のためのものであって、人を覚醒させるのが目的で使う。麻薬ではないから、医師の許可があれば合法的に用いられる。
 いまとなっては遅いのだが、ダダの鬱病の引き金となり、病気を引き伸ばしてきたのも、この薬を乱用した結果ではないか、と思われる。
 最初、深夜の仕事をするときに、眼醒めを求めて、医師から処方をしてもらった。三日に一錠使う約束をしたが、量はたちまち増えた。方法を講じれば、複数の医師から薬の入手が可能だった。
 依存性の強い薬だと教えられていたが、中枢神経興奮薬で、知覚や運動障害を起こす劇薬、と知ったのは、かなりあとになってからだった。抗鬱剤との併用は危険をきわめた。それより先に悩まされたのは、薬の効果が薄れてくると湧き上ってくる、非常に強い不安感である。これを消すには、トランキライザーを服用するか、飲酒に頼るしかない。
 その薬には覚醒の働きがあると同時に、くじける心を強める効果がある。晴朗な気分にさせる。何でも出来るような気になるし、事実、人を動かす。ただし、迷路の中である。出口はない。
 恐ろしい不安感も問題だが、この薬を使っていると慢性の疲労感がつのってくる。そして、その疲れを払うために、また薬を服用するといった悪循環が待っている。
 もちろん、医師の指導のもとで使っている分には、障害は無いに違いない。シロウトが用いるから厄介になるのだろう。ダダは、その失敗をしたのだ。
 いまは使っていないが、およそ七年も服用してきた。鬱病の治療をしてもらっている医師のもとへは、もう五年も通っている。カルテがどんどん厚くなっていくのを見るのは、あまりいい気持ではない。
 ノエが自転車で走る先に、ヒガンバナの燃えるような花の色を見るのも、幻覚と片付ける気にはなれない。薬への強い誘惑がある。ダダは、自分を信じてはいなかった。いつ立ち戻るか分からない。自滅の道だと知っていて、そちらへ歩いていくかもしれない。副作用がなければ、楽しい薬だ。
 ノエがハンドルを切った。ダダは、ほぼノエの歳頃にかえっている。
 汽船に乗って、修学旅行へ出ていた。陽が沈んだばかりで、海は静かだった。船が大きいので桟橋にはつけられない。ランチに乗って小島へ向かう。
 振り返ると汽船には、明るい灯が点いていた。桟橋に上がると、青い海に梅の花の模様があるクラゲが浮いてきている。一体、どこの風景だったのだろう。存在の不安、という言葉をこのとき感知した。そうしてみると、ダダの鬱病の根は深く、後年、悪用した薬のせいとばかりは言えないのかも知れない。
 翌朝、早くに港へ船が着いた。三等船室の丸窓から桃の籠がさし入れられてある。行商の女のひとたちが、集ってきているのだった。潮の香りが素晴らしかった。桃も良い香りを放っていた。
 その港を出て、よく荒れることで知られている水道にかかった。大抵の友人が船酔いをしているなかで、ダダはケロリとしていた。昼食にカレーライスが出たが、二人分を食べた。船は間もなく湯煙に包まれている港町へ着いた。船の旅行は終わり、今度は陸路を辿る。
 ノエがミチオシエのように桟橋で、自転車に乗っている。
「おや、会ったネ。ミータンはどこだ?」
「ほら、あそこ」
 指さしたところで、夢が醒めた。

 階下へ降りて行くと、歳老いた密造酒人という意味のウイスキーを手にして、冷たい水とウイスキーが等分になるように割った。日曜日なので夕刊がない。散らかったライティング・デスクを引っかきまわしていて、昨日届いた母の葉書を読んだ。折り返しに到着するかたちで葉書を出してあったから、すこしは気楽に読めた。そうして見ると、漢字が平仮名に開かれ、片仮名の文字が出てくる。ダダには、それが老いのように見える。
 その葉書は、遊びに上京してくるようにすすめた手紙の返事で、母は家から遠出をするつもりがない気持を記していた。ダダのほうで、見舞いに帰るべきである。ところが今、それが非常に苦痛である。
 もうすこし時間が過ぎれば、状態が良くなるだろう。母は健康で、目下のところ心配はないが、会いたい、と思っている。父を三年前に亡くしていて、聞いておくべきだった大事な話は消えた。母とは元気なうちに話をしておきたかった。
 ウイスキーは、グラス一杯でやめておくことにした。日常に使っている薬と重なると、悪酔いをしやすい。ミショウはダダが階下に降りると、二階へ上った。テレビを消して上っていったので、階下はひっそりとなった。
 このような状態は、いつもならダダを不安の湿って冷たい世界に追い込むのが常であったが、逆に働いた。椅子に腰かけたまま、またもや、夢に落ちこんでいった。医師の処方で薬が変ったせいかも知れない。
 ダダは夢の中で、いまひとりの医師に会っていた。同年の友人であるが、すこし遠方に住んでいるので滅多に会わない。時々、電話で話をするだけだった。ダダは、この口が悪いものの、心優しい友人が好きだった。しかし、話はするが、友人の専門の世界へ踏み入るまい、としていた。
 遠慮の心があった。相談にのってもらいたい気持が動くのだが、いつもためらって、別途の話をしてきた。だが、夢の中では、友人が専門とするところで、ダダを叱りつけていた。
「あのね」
 と彼が言った。最終宣告の口調だった。
「そんなに、たくさんの薬を嚥んでいたら、死んでしまうぞ」
 死ぬまえに、まず廃人となるだろう、とも言った。これまでに、何をしてきたか、これからあとのことを考えるように、さとした。それは、あらためて友人から指摘されなくても恐怖感となって、底深い地滑りのように命の地殻から響いてきていた。専門外にあっても、病む人間の本能がある。充分に感知している。
「しかし」
 と友人は夢の中で言った。
「弱いから出来ないだろうな」
 ダダは否定しなかった。「やるしか無いのだけれど」
 これは、どちらからの声でもない。一つの断念がもたらす、確かでいながら捕えどころのない風のような声だった。
「これまでの貯えがあるだろうよ、それを生かさなくては」
 その意見も恐かった。貯えなどがあるわけはない。一度は試みたものの、あとは浪費してきた。衰《おとろ》えが待っているだけだ。
 夢は続いた。ダダは友人とともに、病院の手術室にいる。左腕の静脈が赤く錆び、鉄屑のようなものが、ぽろぽろ落ちてきた。医師の顔には覚えがない。痛みは感じられず、血が流れるというふうでもなかった。そこは薄暗い部屋だった。
 ダダをおびやかさない程度に、すべてが甘く、それでいて切迫している。ここでは巧みな策が用いられていた。瀬戸際にいるから余裕がない。ゆとりがないから、決断の勇気は必要とされないまま、ある種の安心感がある。だから、といって解放されていなかった。真実の自由はない。
「奥さまにお知らせください」
 と医師が言う。ダダは、ミータンを呼ぼうと思っている。今回は子供たちのことが気にかかっていない。ただ、ミータンが哀れに感じられて仕方がなかった。恐ろしいといえば、迫ってくる強い哀切感だった。何をもってしても打ち消し難い。おそらく、酒を用いようが、薬の力を借りたとしても無理だろう。
 ひとりの人間の全人生にかかわりながら、その責任を充分にとってこなかったし、また一層みじめであるのは、今後もおぼつかないという予測である。これをあがなうには、どうすればよいだろうか。
 友人は、ダダを夢の中で知らない町へ連れ出した。ミータンに対する罪責感が消えている。医師である友人がたくらんだのではない。自然と心が移っている。友人とともに墓地を歩いていた。正しく言うとすれば、墓碑が並んでいる区画を見て歩いている。そのようなものを、いまの精神状態で眺めるのは良くないと分っていたが、事実は動かしようがなかった。
 セピアの色があたりに漂っている。墓碑には、いろんな人の肖像が彫られていた。名前もはっきりしている。いちいち確認しながら歩いていった。語学から離れていて力が落ちていたり、もうまったく忘れてしまっているはずの国の言葉が読める。そして、言葉は聴覚や視覚に働いてこないで、死臭として伝わってくる。
 墓碑の町は、ところどころで坂になっていた。それは悲しみの道だ、と思えた。ダダはいつか、ひとりになっていた。友人は去っている。ここで深い反省がきた。友人を、友として思いこむ自分の身勝手がいやになっている。人は、いつ、どこで、かつ、どこまでお互いに友であり得るのだろう。
 単に、行きずりの他人であるに過ぎない無慈悲さに気付いてみなければならない。その認識のどん底から本当の友情が湧いてくるのだろう。親子といえど、夫婦といえど、愛においては、互いが在りようにおいて断ち切られていることを思い知らされなければならないのに違いない。
 それでも、とダダは考える。夢の中で思い起こしている。夜、あたりが暗くなると門灯を点ける。朝まで点しておく。しかし、このようにしないで、一家が就寝時と思える夜の或る時刻に、門灯を消してしまう人を知っている。つましい心遣いなのだろう。決して、そしる気持はない。だが、ダダは豊かでもないのに、誰のためでもなく門灯を点けておく。何をあてにしているのでもなく、点けておくことに決めていた。この世界では、そんな門灯が必要なのだ。そこらあたりを、ほんのすこし明るくする灯。
 考えがもつれてきて、「おや」と立ち停まる。道傍に、何も彫られていない墓碑がある。しかるべき人を待っている墓だ。灰色の冷たい石面が拡がってきた。そこを通り過ぎようとしていて、石面が自分を映していると見えた。
 そのときには、自分の躯が石を抜け出ていた。日曜日の河畔の町がある。道傍に古書店があった。テント張りの店で、人の好さそうな主人がいる。読書を愛するダダにとって、そんな店が素晴しいところに思える。気持が晴れているときには殊更にそうだ。
 知っているようでいて、初めての本が並んでいた。雑誌もある。切り抜かれて束ねられた類いのものまであった。心は安らいでいた。ダダは、自分でも珍しいと感じている。
 主人はどこの国の人だろうか、と見定めを試みてみるが、焦点が合わず、はっきりと分からない。それなのに、あやしむ気持はない。温かな人柄である、と思える。こんな世界へ、どのようにしてやってくることが出来たのだろうか。
 店の背後に、すこし眼を移すと十字路がある。水色のジャケット、白いズボンの警官が交通整理をしていた。路は渋滞してはいなかった。警官はフランス人らしい顔をしている。だが、この制服は、変だ。それに交通整理をしているまわりに、美しい女性がいて、ファッション・ショウを観せてくれている。そちらに、しばし気をとられていると、ショウは終わり、女性たちは一軒の店の中へ消えていく。すこし残念だと思って、もう一度、注意を古書店へ戻した。
 いずれの本も買いたい。さいわいに、お金はある。しかし、ダダは自分が家から離れて遠くへ来ている、と知っていた。両手に抱えて帰るわけにはいかない。送ってもらおうとしていた。店の主人がまたプログラムのようなものを、見せる。手にとってみると有名な女優の略歴である。誰かの書き込みがあって、これが面白い。では、これも買って、この女優さんに送ってあげよう、と思いはじめた。
 人の一生がわずかな言葉でまとめられていて、それにいまひとりの人間が感想を書きこみ、このようなところで売られている。本人のもとへ返してあげるべきであろう。女優さんの住所は知らないが、仲介してくれる人の所番地は自分の手帖に記してある。
 ダダはポケットを探った。腹立たしいのは、予期していたように手帖がない。続いて困った状態を悟った。ノートを切り取ったカミソリが閃く瞬間に似た鋭さで、記憶が断たれている。自分の家の所番地、電話番号を忘れていた。郷里の住所、ミータンの実家の住所表記も同じである。医師である友人の警告が、実際の症状となって現われてきていた。
 あったはずのお金もない。あらためて服装と足許を見ると、まるで覚えのないものを身につけている。灰色は使い方によるが、おおよそ好きではなかった。それにもかかわらず、この色で身なりを統一している心が変である。ダダは、夢の中で別な町にいた。家並みは、どうやら日本らしい。道幅はあまり広くなく、一日の夕刻になっている。だが、あたりには殺気立った人々が群れていた。
 幸か不幸か、ダダは傍観者であるに過ぎない。一軒の家が閉ざされて、虐殺が行われている。しかも、大勢の人々が押しこめられていた。鈍器による殺害が、最もむごたらしい。どこで音が遮られているのか、窓から内側の光景はよく見えているのに、絶叫は聞こえてこなかった。


 殺意のうねりが津波のように、もう一軒へ移っていった。改築されている家と思わせている偽装に、紺と白が模様になったビニール・テントが、すっぽりと家を包んでいた。作業服姿の人が、二、三人立ち働いている。だが、この人たちは係わりがない。家を包んでいるビニール・テントが熱気球を連想させた。
 透視が出来ていて、内部の様子がかたちとなって浮かんできていた。今度は大人のほかに幼児も被害者となっているのだった。日本人ばかりでなく、外国の人もいた。何故、こんな夢を見ているのかと、夢の中でいながら問うていた。辻褄が合わないでいて不思議ではないのだが、不可解なら、それなりの受け止め方をして過ごすのが普通だろう。
 夢の常識といったものがあるはずである。それが欠けている。こういう理屈を考えていること自体が異常であると、思っていた。それでいて夢の出来事は滑らかに、変化をしていて、ダダはここで生きていた。そこが、いまひとつの現実というより、ダダ自身の呼吸する親しい世界だった。非論理的でいて、胸苦しくあるものの、赦しの場所、と自ら呟いてみる。
 ダダは、学生時代の友人に会っている。付き合い方が上手な男だった。さらっとしているが、用心深い。お互いに共通の専門分野があったが、彼は専門があまり面白くもなさそうだった。理由はあきらかでない。ただ、そのようにふるまってみせているのかもしれなかった。
 カテドラルのような大きい書店にいる。友人は笑顔を見せてあらわれてきた。二人とも本を探していた。ダダのほうは急いでいなかったが、友人は時間を気にしている。彼が単位取得のために選んだ講義が始まる時間である。書店の時計を見ると、丁度、ぎりぎりの時刻をさしていた。「大丈夫かい?」と尋ねてみると、「まだ間に合う」と答えた。
 このやりとりからすると、ダダは夢の中で、大学時代に戻っている。ハードカバーの洋書を探していた。本はいろいろとある。どれも読んでみたい。一冊に限って読むにしても時間がかかるのに、それが何百冊とあった。友人は、どんな本を探しているのか、言わない。教えてくれればいいのに、と思っているうちに、どんどん歩いていく。
 いつのまにか同じ建物の中で友人と別れ、ダダは漢方薬局がある階の廊下に立っていた。店の前に、三人の可愛い少女がいた。赤い中国服姿で、髪に黄色い紐飾りを結んで踊っている。大変、興味深く、もっと長く見ていたかったが、じっとしていられない。用事があるはずだった。非常に重大な用事が。
 あるいは、なしとげなければならない仕事がある。もう何年前になるだろうか。幸福なことに、薬に溺れていなかった。確か、そのはずだった。旅行鞄やポケットのどこを探っても、薬はなかった。丹念に点検してみるが、無い。酒は飲んだ。しかし、眠るために薬を服用していなかった。無気力と不安の泥沼に滑りこんで、そこから這い上がるために薬の力を借りたりなどしていなかった、と言える。
 ダダは旅行に出ていて、地方の教会に泊っている。紹介をされて、訪ねて行った。背の高いドイツ系のアメリカ人神父と夕食後、話をしていた。そうだ。ノエがいない。ということは、十五年以上前になる。クラシック音楽が好きな神父だったが、演劇にも関心を持っていた。
 神父が海外で出版されている本のタイトルを二つあげた。ダダは二冊とも知らない。読書をすすめられて、メモを取った。勉強不足が恥ずかしかった。だが、神父は話を続けた。
 翌朝、出かけるときになって、長い廊下を歩いてくる神父に会った。窓から光が射している。神父は首をすこし傾けていた。当然、ダダに気付いているはずだったが、考えこむ表情は動かなかった。ダダも、まだ挨拶をする距離に達していない。
 その朝、ダダは、トーストとコーヒー、ゆで卵、リンゴ煮を食べた。眼醒めるのが遅くなって、食堂でひとりの朝食だった。朝のミサにもあずからなかった。神父は、早く起きると知っていた。早朝に、冬でも冷水のシャワーを浴びる習慣をも聞いていた。
 過去の記憶が、夢の中で現われていた。これまで見ていた夢と性質が異っている。神父は演劇の話をしながら、ダダのドラマを尋ねていたのだ。舞台に照明が当っている。床が光っていた。舞台脇に立っているわけだが、客席は闇に沈んでいる。出ていかなければならない。何が出来るか、まるで分っていなかったが、踏み出さなければならなかった。
 ダダと神父は廊下で擦れ違い、挨拶をして出ていった。それから歳月が流れた。ダダは、自分がどんなことを演じてきただろうか、と思っている。
 医師の友人が、ダダを叱っていた。
「あと、何年、生きなければならないと思っているんだ?」

 重複と混乱にみちた夢が醒めた。口が乾いている。しかし、実は醒めた場所がいまだ夢の中である。白い小さな錠剤を、いちどきに三粒口に入れ、水でのみくだす。空腹なので効果は三十分くらいで現われる。
 はじめ、躯が温かになったと感じられた。それから緊張がとける。呼吸が楽であった。おだやかな呟きが、聞こえてくる。帰ろう、帰ろうよ。それは昔、よく聴いた歌であった。誰が唱っていたのだろう。帰ろう、帰ろうよ。歌詞は、その次にどのようであったか。確か、こうだ。いとしい妻の首飾り、指輪を売って、帰ろう、帰ろうよ、ふるさとへ。いや、これでは唱えない。だが、意味には間違いがない。あいつ、懐かしいな。いま、どこで、どうしているのだろうか。酔うと唱っていた。昔、自分がいた職場の友人。
 ダダは、帰りたい、と思っている。みんな揃って帰りたい。帰れるだろう。
 しかし、どこへ? それはいま考えない。考えないですむ。それが薬の魔法である。人はすべて、いつか滅びる。ダダが見上げる空にコウモリが飛んでいる。ひらひら、たくさん飛んでいる。

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 h 影絵(:○目次↑前章↓次章

 明るくもなければ暗くもない、水晶体のようなものが部屋を充たしている。夜の食卓を家族が囲んでいた。この風景は、試みにペンカメラでフラッシュをたいて撮ると、画面の四方からにじんでくるのは、闇の気配だろうと想像される。夜、八時をすこし過ぎた時刻である。
 食卓の上には、牛のタンとハツが盛られている。塩とコショウ、ガーリックだけで味付けられたものだ。生野菜が山盛りになっている。そこらあたりだけが、妙に明るく清潔だった。肉は暖かな寛恕の色を見せてはいたが、どこかに詰問を隠し、冷笑の感触があった。だからこそ、サラダオイルを敷いた鉄鍋で今夜焼かれなければならない。
「パク、今日は一体何グラム買ってきたの?」
 とミータンが言った。
「丁度二キロ」
 暫くぶりで寮から帰ってきたパクは、缶ビールを飲んでいる。グラスが出されてあるのに、缶からじかに喉に流し込んでいた。
「ダダがいても多過ぎる量よ」
「風葬と言うのなら信じられる、でも、食葬って本当にある?」
「おや、ミショウ。おまえ『アンデスの聖餐』読んだな、いや、〈モン〉から変なビデオを借りたのかも知れない」
「タダイマ食事中」
 ノエが、そっと呟いた。
「そうだ。このごろ、つくづく怪しい話が嫌いになった。歳をとってしまったんだ」
「ワタシモ」
 ノエは淡い緑茶を飲んでいる。パクは空になった250ml缶を握りつぶした。無意識にやっている。
「ノエ、もうひとつ」
「あ、ぼくにはミルク」
「一日に何リットル飲む?」
「冗談じゃない。一リットルも飲んでいない」
「パク、手伝って。先にこれ」
「飲めないの? 今夜は」
 ミータンは、「そう」と言っておいて、ノエのかわりに缶ビールを取ってきた。
「今夜は受けつけない感じね、アルコールを」
「ダダが居ないからなの?」
「関係ない」
 パクは缶ビールの表示を読んでいる。
「お兄ちゃん、面白い?」
「ああ、何度読んでも良い」
「ダダ何シテルト思ウ?」
「ノエ、あんまりあれこれ考えるなよ」
 パクは、ぴしっとタブの音をさせて、新しい缶のひと口を飲んだ。
「メキシコのビール、流行ってるんだって? おいしいのかな、コロナなんとか言うらしい」
「エキストラ。でも、な。ここの家は違うんだ、新しいこと追えないね」
「どうしてだろう」
「余裕綽々でない。元気がないんだ、経済の問題とは違う」
「体力かも知れない。これ焼けている? 生を一口食べた」
「ばか。どこへ吐き出すんだ、おまえ」
「みんなレバーを食べないのは、どういうわけなの」
「それは、ね。ノエ。ダダの好き嫌いよ」
「ソウ?」
「まえは好きだったの。それが嫌いになったのよ」
「いつごろからなの」
「さあ、もう五、六年になるか知ら」
「じゃ、手術をしてからね」
「そうだけれど、気分なのよ」
「ここの家ほど、焼肉をゆっくり食べるところは無いぞ。忙しい食事なんだがな」
「うん。でも、いいじゃないか。ところで兄ちゃんに質問」
「なんだ?」
「衰へしいのちを張れば冴え返る 日野草城。この季語分かる?」
「ミショウ、兄貴を試そうなんてするな。おまえ現役だから、ひねくれた問題集でそれ見付けた」
「不吉ナコト言ッテハ、ダメ」
 ノエはレタスをさくさく噛んで、言った。
「サン・トワマミ、眼のまえが暗くなる……」
「何だ? その歌は」
「ナツメロだ。ダダが昔酔っ払うと唱ってたらしい、ね?」
 しかし、ミータンは返事をしなかった。
「みんな分っていないらしい。この句はきびしいんだ」
「へえ? ミショウ続けろ」
「冴え返る、が季語。春の句が正解」
「ね、ダダ唱えるの? 聴くのが好きだと知っているけれど……」
ノエはミータンを見つめた。眼で返事が返ってきた。
「フシギ!」
「やはり、ひねくれている。おかしい」
「どうして?」
 ミータンは静かに、パクに向って訊ねた。
「いまのおれと同じくらいな歳で、だろう。だ、としたら健康ではない、その歌、そうじゃないか」
「ああ、兄ちゃんメートルが上ってきた」
「ミショウ、おまえ非常に古典的な表現をするぞ。ここの家の伝統か」
「何故だろう、兄ちゃんはここの家″って言い方をする」
「ダダに訊け」
「ワタシモ時々ソウ言ウヨ」
 パクがノエを見た。それからミータンとミショウに、瞬時、視線を移した。いつもダダが坐る位置に花がある。赤いバラとカスミ草を青磁に活けている。近所のひとからミータンがもらってきた花を、ノエが飾った。
「ダダ、何時ニ帰ル?」
「多分、あと二、三時間」
「珍しいな。あまり表へ出ないんだろう、……でしょう?」
 ミータンが頷いた。
「最近、ここのところ暫く」
「全体として調子は良い、悪い?」
「もっと召し上がれ。パク、自分のことだけに気を遣ってていいの」
「好況だそうだけれど、ここの家はそうじゃない。取り残されている」
「まったくだ、ぼくにホワイト・ジーンズとインディアン・モカシン買って欲しい」
「調子で思い出した、パク、車はどこへおいてあるの?」
「ここから少々離れて路上駐車、大丈夫」
「ヨロ・エース号もボロ・エースになった」
「まあ、ね」
「バイク、積んだまま?」
 とミータン。
「降ろすのが面倒だから。それに近々、またサーキットへ行く」
「もう歳だから引退する。そして、ぼくが乗る」
「考えている。走り出すまえに恐い、それはみんな同じだろう。でも、湿っぽいおびえが危険信号、というのがチームを組んでいる人の意見」
 パクは、こくりとビールを飲んだ。ノエがもう何回目になったか分からなくなった質問をする。
「ライトがなくて、ナンバーがそこに付いて、顔になって見えるのが奇妙よ。ムダをすっかり取りはらうのは分かるけれど、どうなのか知ら。ザンガイが命がけで走る」
「何度も言ってあげるけれど、ノエ、いいかい、頭をそんなふうにめぐらせては良くないんだ。そう思うんだ」
「すっきりしよう」
 ミショウは神妙な顔をしている。
「それでなくても、いろいろ状況は悪いからね、ぼくも除去について考えよう」
「や、ミショウもここの家の伝統になじんできた」
「いいんじゃないかな」
「良くない」
「どうして?」
「うるさい、でもないか。ここの家が救われているのは、みんな良く話をするからだ。隠さないから、ほっとする」
「何しろ隠れる場所もない小さな家だよ」
「そんなに、ひねくれるな。いまどき、ここだって大変だ」
「ぼくは、自分が隠れる未来を考えるようになった」
「ミショウ、かなり屈折しているぞ、その物の言い方」
「ここの家の伝統だもの」
「では、もう少し続けるか。ノエ、退屈しないかな」
「シナイヨ」
「しかし、今夜の沈黙が気になる」
 ミータンが、また眼で笑った。
「さっき、怪しい話がいやになった、と言った。ところが、多分、ダダと考えが違うのだけれど、怖いのは不可解なことではなくて常識の、知らず知らずの強制で、しかも、どうやらその常識の様子が変化してきている、と言うのは、そういうことを指摘する人がいるのだけれど、この歳でもう考えがずれている……。あ、やめた。こんな話、会社の人たちとしたら、とても困る」


「いいのよ、どんどん言って、パクは小さいときユニークな子だったの」
 ミータンがミショウとノエを見た。
「たとえば、ね、こんなこと言った。道の上にチョークで輪を描いて、そこがトンネル、地底へ飛びこむんだって……。三葉虫は地球で最初に沈黙を破った音の化石。喉にかなしい魚の骨が刺ったので、ぼくはもう話せなくなった」
 パクが渋い顔をした。泡の消えたビール。
「それ聞かされると、先が思いやられる。おれ、落ちこぼれるぞ。どうして今夜そんな話するの? 滅多なことじやない」
「現在、エンジニアになっている人間が、かつて言ったとしたら、その予感、当たるかも知れない」
「ミショウもミータンも黙って」
 ノエが咎めた。パクは急速に、醒めた。部屋と食卓が冷えた。ミータンの額を刷いていったものがある。ローションのような感じだが、香りはない、とミータンは思っている。
「ダダ本当ニ帰ッテ来ル? ノエ心配」
「どこへも行かないさ、帰ってくる」
 とパクは言った。
「ご馳走さま、ミショウ、ノエにコーヒー淹れてもらったら、さっさと二階へ上がれ。忙しい躯なんだろ? 勉強」
「ああ、きついよ。どうして時間が無いのだろう、毎日に実感がないんだ」
「あれから半年が過ぎた、早い」
「そうだね」
「ダダ何も覚えていないって、ほんとかな。いま五月だろ、去年からのこと、まるではっきりしていない、と言う」
「二階へ上がれなくなった、聞こう」
「一過性自律神経失調、というのは恰好がいいけれど、要するに狂ったわけだ。何故、危いと知っていて、薬と酒のメチャ飲みしたのだろう? ダダ気が小さい人間の癖に」
「それは、ね。薬が働いている頭でしているから、分からなかったのよ」
「狂うまえに、狂っていたわけだ」
「暮れから正月にかけて、みんなで旅行をしたでしょう? それ、覚えていないわ」
「なんにも?」
「真夜中に車で走って、パーキング・エリアのところとフェリーは印象に残っているみたいなの」
「あとは?」
「ゴースト・タウンのような島の料金所で、小休止したとき、捨て犬にポテトチップスあげたこと」
「ああ、あれか」
 家族は揃って頷いた。ノエが言った。
「忘れられない、可哀相だったネ。あんな眼で見られたら耐エラレナイ、病気シテイタネ」
「犬でも狂うかな、そうか狂犬病ってあるなあ、鎖引き千切ろうと泡なんか口から噴くらしい、ほえたりうなったり」
「ミショウ、そこで止めろ。言いそうなこと分かる」
「夏はもっとひどかった、そのまえの。兄ちゃんは寮でいて電話連絡つかないしさ、ミータン、ノエは、ジッタ、バッタのところへ帰っていて、すぐには間に合わない。救急車呼ぼうとしたらダダすごく怒って、血だらけになっているし、ぼくが力出したらダダこわれちまうからね、困った」
「この際、話をするか? ノエが傷つくかも知れないが、こんな機会これまでなかったし、これから先も分からない。ミータン、ダダってどういう人間なんだろう?」
「欠席裁判」
「誰が裁くと言った? ミショウ」
「どうしても、そうなる。兄ちゃんの言葉を借りるならばここの家″は、お互いを裁かないできた。だから妙なことになっている」
「ミショウ、こちらから相手を見るのでなくて向こう側になって考えることは、裁くとは言わないんだ。いいかい?」
「それ、ダダお得意のセリフだ。ここの家″を毒してきた元凶だ。高校四年生になると、こんなふうに論理的になる」
「素直に浪人生と言え」
「勇気があるなら逃げろ。されば汝、尾行者の姿を見るべし、かくて汝戦わん。これもダダのセリフ」
「よく覚えているな、ミショウ。ダダはクールな人間に会ったら、ひとたまりもないよ」
「実際、それは言えている」
「ミータン、ダダが分っている?」
 ノエが突然言った。
「ロジャースのLS3の5を買えばいいのよ」
「何? それ」
「スピーカー。ダダ高いと思っているらしいけれど安いの。アンプはクォードの606がいいわ。CD聴くだけならプリアンプ要らないし」
「詳しいのは、どういうわけ?」
「ダダが買い込んで、読まずに放ってあるオーディオの雑誌一杯あるでしょう? それを読んだわけ。この部屋に丁度いい」
「で、どうする?」
「どうもしない。病気治ると思う。ダダこのごろ音楽聴かないから良クナイノネ」
「ノエ、ダダにどんな曲聴かせたい?」
 とミータンが訊ねた。
「ザ・チェスゲーム、でなければ、B・フィケン。いまネ、最も注目すべきフルーティスト。それで、さ。いや、ソレデネ、J・S・バッハのフルートソナタ集ナノヨ。それかネ、プーランクの〈アヴェ・ヴェルム・コルプス〉どうか知ら」
「話がそれた。ノエも大分大人になってきた。ダダをどう思う?」
「ダダのほうで、ぼくたちのこと、なんにも考えていなくて、ダダのこと考えるなんておかしいよ」
「ひねくれるな」
「ミショウは、ダダに似ているわ、ほんと」
「まさか」
「ほんと。三つか四つくらいのとき、オオハシさんちへ入りびたりだった、あの屋上には柵がない。探しに行ったの。そうしたら、腰かけて足ぶらぶらさせて、路を見下ろしているの、七メートルくらいの高さ。ぼんやりしてるの」
「信ジラレナイ……」
「うわっ、ぼく高所恐怖症のはずだよ」
「ミータンが言おうとしていることが分ってきた。間接話法なんだ、兄ちゃん、そうだよね」
「エコーロケーション的感覚が無いと、理解出来ない」
「ニホン語で言ってもらいたい」
「ミショウ、おまえの志望学科は?」
「政治か経済」
「そうかい、反響標定というね」
「じゃ、お返しに蚊の髭の中で棲んでいるのは、せるめい鳥だって。知っている?」
「仏教的発想だな、ここの家の信仰と関係がない」
「朝蝿暮蚊《ちょうようぼぶん》、ハエは何のために生まれてくるのか、カは何のために生まれてくるのか」
「いよいよ狂ってきた。みんなダダのせいだ、おれたち迫害されてきたよ、おまえのオヤジ、何する人って? もうイヤになったかだから遠くへ行こうと思った」
「でも、いまどき遠い所なんてある?」
「あるよ。バイクに乗って、峠を攻めていると、遠い」
「ジッタ、バッタのところで大学へ行ってたころの話だね、そうか、そのとき地底へ飛びこんだんだ」
「いや、躯が飛んで、ひょいと後ろ見たら、自分のバイクがずるずる滑って追いかけてくる。コマ送りのビデオだ。おれ立ち上って必死で逃げた」
「どうなっていたんだろ」
「真夜中だった。鼻と腕、折った。腕折れたと気が付いたから、すぐに手袋を脱いだ。おれケチだからね、脹れてきたら手袋切り裂かなければならない。もったいなかった。ダダにもらったガーバーのナイフ持っていたけれど」
「あのナイフか。ファクトリー・ナイフだけれど、カタログから消えて値打ちがあると言っていた?」
「そうだ。オイル・ストーンで、いつも研いでいた。よく切れる」
「いま、どこにある? ぼく欲しい」
「だめだ。バイクやるけれど、ナイフはいかん。それから真っ暗な峠で待っていたら、トラックが来た。さびしい駅まで送ってもらった。裸電球が点いてやがるんだ。そんなところでも病院はあったけれど、列車で帰って町の外科医へ行った。遠かった。夜の鈍行だから六時聞かかった。医師がびっくりしていた。今後、我慢していてもいい痛みと、そうでないものがあるから気を付けろ、と教えてくれた」
「ダダは我慢が出来ない人だ」
「そうなんだけれど、結局、我慢を余儀なくされている。損している」
「や、兄ちゃんもかなり古典的表現をする。余儀なく、なんてニホン語では無くなった」
「ダダが損をするのは、好きなようにやればいい。一生を棒に振ればいい。生涯を賭ければ良いんだ。誰に何と言われようが、かまわないじゃないか。ただし、そのツケをこちらにまわしてくれるな、と言いたい」
「ここの家、ツケが効く? もうなんにもない。そんなものどこにある」
「アルヨ、ソノハズ」
 ノエが小さな声を出した。
「どこに? そもそもノエ分っているのかい?」
 ノエは返事をしなかった。黙って食卓の花を見ていた。五月の夜が更けて、バラは開き切っている。時刻《とき》かまわず正午の色彩を、この夜にあって、いま一度繰り展げている。カスミ草が、優しい魂を包んで、柔らかく白い花を漂わせていた。ミータンは青磁の花瓶に心を向けている。微細な貫入の亀裂の網が掬っているのは〈時〉である。その花瓶は、ダダが学生時代に買った。その時代、彼の感性は加減乗除、連立方程式、因数分解のように幼なかった。せいぜい二次函数。全てが解けるべく仕組まれていた。何故ならば、花瓶のふくらみに未熟な情欲を動かされたくらいだから。
 ミータンは考えている。あまりふさわしくない連想であるが、自分の子供たちはヨブの三人の友であると。訓戒の存在。そして、今夜、過去へ帰っていきたがっているのは、それが動かしがたく決定的なものであるとする安心感からだろうか、と思っている。
「ノエは覚えていないでしょう? 白い電車に乗って行った、お弁当と水筒を持って。駅から馬車で公園に着くと、そこから樹立ちの中を自転車で走った。ノエはダダに乗せてもらった」
「まるでアンリ・ルソーだ」
 ミショウは苦々しそうに言った。彼は美術と体育が得意だった。中学ではバレーボール部にいた。セッター。ところが高校生になってからは、ボールを打つ手を変えた。空手を習いはじめたのは、彼もまたひるむ心を知ったからだ。
「ノエ、さっき言いかけた続き教えてくれないか」

 とパク。ノエの顔が羞恥の色で染った。すくなくともミータンにはそう感じられた。
「バカニサレルカラ黙ッテイル」
「でも、当てにしてはいないけれど、空頼みしているよ。これが無くなったら、ぼくたちやっていけない。ダダ分っているのかな」
 パクは酔い醒めの疲れを感じはじめている。ミータンに水を注いでもらって飲んだ。渇いている。
「ダダそっくりなダダだけれど、まるで違うひとと暮らしているのじゃないか知ら、と思うときがある」
 みんなは、しんとなった。表では梅雨のはしりの、ひそやかな雨が降り出した気配である。外気の温度は、三月中旬頃に逆行して十二度に下っている。
「悪い冗談だ」
「冗談ではないの。家のお風呂場、台所、トイレの水道がすっかり老朽化して、水が洩れて困っている夢の感じよ。近所の道、一緒に歩いていて、恐くなった」
「ぼくも聞いていて恐い、どうなっている?」
「ここ、どこ? 初めて来たような気がする、と言うの」
「迎えに行ったほうがいいかも知れない、探してみようか。帰ってこれるかな、ひとりで。ミータン、ダダがそんなになっていると、どうして早く言ってくれないの、呑気にしている場合ではない」
「長く暮らしてきた、それで、ダダが考えるように考え、感じるように感じてきたのじゃないか知ら。いつからか、そんなふうになったのよ」
「お水をもうすこし。いやな夜になった。もしかしたら、ここの家族はみんなダダと同じ病気になっている? おれも考えなくては、真剣に」
 とパクが言った。ミータンは両手で顔を覆った。
「落ち着いたときに、ダダとみんなで話をしましょう」
「いや、駄目だ。もうお互いに相談なんて出来っこない。鏡の中に解決はない」
「鏡?」
「そうだよ、鏡はさ、向こうが見えないから自分が映っている。で、安心していると表の世界が分からなくなってしまう」
「どうしたらいいと思う?」
「誰かが必要なんだ、ここの家を客観的に見ることが出来る誰か、だよ」
「誰?」
「それは、ダダが探してみなければ。おれたちでは出来ない。やはり責任をとるべきだ、ダダは……」
「とうとう裁いた!」

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 i 宿木(:○目次↑前章↓次章

 耳が鳴っている。奥深い森が動いている。顔に蜘妹の巣がはりついて取れない。粘い糸には電気が流れていた。視野には光る蔓のようなものが垂れさがっている。むしってみても、どうにもならない。
 左手の人差指と親指の間に、ピアノの絃のような勁い筋肉の糸が張っていて、指の感覚が鈍麻している。脚から力が抜けていて、立ちあがろうとすると、骨がぐずぐず崩れていきそうで危い。躯のあらゆる部分が緊張して、呼吸さえ自由にならない。眼が球根となって、眼帯に植えられている。その繊細な毛根が引き絞られて、痛い。眼を閉じると頭蓋骨内部に眩しい陽光がある。腐ったキノコが陽に灼かれている。
 両腕が肩から抜けそうである。麻痺が不快なので手をかざしてみると、指が震えている。耐えていると痙攣が走って、指が枯れた苗木のように反りかえる。頸骨のすこし下の脊椎骨に痛みがある。あちらこちらで骨が腐りはじめている。それは坐っているところから家へ伝わって、家全体が腐っていきつつある。家は降り続く雨に湿った土の上で、朽ちていこうとしている。
 机の上に蛍光体のように発色している警告のオレンジ色の錠剤がひとつ、不眠の夜明けに似た白い錠剤が二粒。小さいジョッキに水がある。嚥めば楽になる。しかし、実はその薬が、不愉快な現象を引き起こす原因になっている。時計を見つめる。階下は静かである。ミータンは息をひそめている。ダダは自分を抑えるには、字を書くほかにすべがない。震える指にエンピツを握らせる。痙攣が肩から首にきて、思わず歯ぎしりをしている。光る蔓が、そこらあたりいっぱいに這いまわっている。

 ――抜け髪のように毎日を忘れていく。昨日、ミータンとともに病院へ行った。ノエを学校へ送り出したあと、すこし時間をおいて、二人で駅前通りのバス停へ傘をさして歩いて行った。緊急のときは別であるが、服用する薬は二週間分投与されているので、十四日毎に医師を訪ねる。二人揃って行くわけは、わたしひとりの経過報告に対して、身近な存在の証言が必要だからだ。わたしは自分の精神の状態を、手短かに筋道立てて医師に伝えることが出来ない。最近は殊にそれが甚だしい。
 昨日、病院の待合室は混んでいた。
「今日は長く待つことになりそうだ」
 それは、わたしのひとりごとになった。
「あら、見て。あの方お偉くなられたのね」
 ミータンの視線をたどると、ここの看護婦さんで、動作が一際きびきびとして、見ているだけでも気持のいいひとがいた。そのひとの白い帽子に、一本の線がはいっている。
「なるほど」
 とわたしはミータンを振り返った。自分の伴侶である彼女の髪には、ここへきてめっきりと白いものが増えた。わたしも同じである。髪も薄くなった。何もかも忘れていくので、その看護婦さんが、いつ配属されてきたのか、覚えがない。もう何年になるのだろうか、とミータンに尋ねかけて、わたしは言葉を失った。
 わたしたちはこの病院へ通いはじめて、この秋が来ると、まるまる六年になる。何事かを心がけるならば、成就しても決して不思議ではない歳月が過ぎていった。
 わたしは、考えた。自分のせいで、わたしたちは何という無駄をしてきたのだろう。無駄でなければ、これはどういうことなのだろうか。人間が厄介なのは、愚かを承知で愚かさを問う点にある。問いさえすれば、愚かさが赦される、とでも思っているかのように。しかし、わたしは、これまで免罪符を持ったようなつもりでいたのだ。
 坐っている後ろから優しい声が聞こえてきた。さらさらと水が流れるように澱みがない囁きである。付き添いの母親相手の私語だから、聞き取るのは難しいのだが、おおよそは分かる。訴えている。しきりに嘆いている。
 ……わたし自分がおかしい、と思っているのに、誰もそうは言ってくれないの。無理してくれなくてもいいのに。ほんとうのこと言ってくれたらいいのに。あなたは、へんなのよって、ね。冗談でみんな随分気軽に言い合っているじゃないの。あなたこのごろへんよって。そう言ってくれれば、とても救われるのに。嘘言うほうもつらいかもしれないけれど、嘘をウソとしって聞いているのは、ほんとうにつらいわ。どうせのことなら、何も分からないでいたい、そんなふうにさえ思っているのに、自分がおかしいと分っているのに、誰もそう言ってくれないの、どうしてなの、言って。
 わたしたちは振り向かないでも声の主を知っていた。いつだったか細っそりとして清楚な少女に出会った。その少女が肥り、いまは長かった髪を短くして厚い肩にポシェットをかけている。眼から輝きが失せた。変わらないのは声だけである。心を打つ美しい声がとても尊い。それだけに痛ましくてならない。
 待合室の人々に共通の状態がある。みんな肥る。診察を待つ間、読書をしたり編み物などをしたりするひとは、ごくわずかで、まるで列車に乗ってどこかへ向っているように、ただ坐っているか、眠っているかである。おおよそ二時間から三時間待つ。わたしたちが最も長く待ったのは五時間である。その間、わたしたちは何をしてきただろうか。
 わたしは放心しているか、でなければミータンと取り留めもない話をしてきた。わたしたちは大切なものを待合室のベンチの下へ置き忘れ、失ってきたに違いない。
 昨日、わたしは長い付き合いになっている医師に言った。ついに言ってしまった、と思う。
「その分厚いわたしのカルテは、いつ閉じられるのでしょうか。人生の陽盛りも頂点にいるはずの人間が、このままで夕暮れを待たなくてはならないのですか」
 医師は、わたしの顔を見た。それからミータンに眼を向けた。
「お気持、察するに余りがあります。確かに長いのですが、治療は続けていただかなければなりません。良くなれば、ご心配の薬の量も自然に減ってまいります」
 薬の副作用に悩んでいる。しかし、薬をやめるためには、薬を服用しなければならない、と言う。わたしが苦しんでいる症状は、誰もが訴えるのだそうだ。だから、どうすればよいかは教えてくれない。
 いつが境かさだかでなくなっているが、薬を真剣に恐れはじめていた。年齢より早い精神と肉体の老化退廃が訪れてきている。いまでは特定しがたいが、ある日、覚醒がきた。眼が醒めて、あたりを見まわすと、よくなじんできたのに、まるで知らないところにいるようだった。医師は、鬱による記憶喪失、と言った。
 自分の妻、子供たちが遠くに見えた。外出を好まなくなって久しく、ひとりで町が歩けない。たまに日常の糧の買物に出かけるミータンに付き合うと、そこが異国の町角に見える。わたしは、いまどこにいるのだろうか、と怪しんであたりを見まわしている。なにもかもおぼつかなくなっていた。曖昧でいながら、わたしの外界は氷結の予兆に、青く見える。色感異常とでもいうのだろうか。わたしには世界が透明な棺のように思える。
 わたしの記憶の欠落は大きく、過去が消えている。これもいつだったか忘れているが、マックメイド神父に向って、わたしは言った。
「自分の過去に対して死ぬことが出来る人にのみ、真実の生がある」と。ところが神父は答えた。「人は決して過去を忘れることは出来ません、しかし、赦しはあるのです」
 いまとなっては空しい会話である。過去は、虫ピンだけが残った空っぽの昆虫標本箱のようになっている。では、未来は? 自明の理だが、過去が崩壊した廃墟に未来は建たない。

 昨日、診察を受けて投薬を待つまでのあいだ我慢がならず、処置室で水をもらい、予備に持っていた薬を嚥んだ。わたしとミータンは、薬剤部の番号表示電光板が見えやすい位置に坐っていた。窓口からは明るい内部が天国的に輝いて見えた。わたしは、どこかへ行きたくなった。だが、六年もの経過を抱えて、どこへ行けよう。何年前のことだっただろうか。この病気は必ず治ります、と医師が言った。「その証拠に、この病院の患者さんの数が増えて、診察に困るということがありません。いつもおみえになるのは同じくらいの人数ですから」
 わたしはそのとき笑いもせずに、この言葉を聞き留めたのだった。しかし、たった今、黒ずんだ池の底から湧いてきたような言葉の泡が、ぷつぷつはじけて、わたしは随分久し振りに笑った。
「ダダ? どうしたの、やめて」
 とミータンが、わたしの手をおさえた。もっともなことだった。ここで妙な振る舞いをすると困った事態になるのは、分っていた。それから、わたしは思った。何もかも分からなくなってしまう日が来るまえに、身辺を整理しよう。すべて忘れ去ってしまうまえに書き留めよう。
 昔、日記を書くことが生き甲斐になって、日録を記すためにだけ生きている男の話を書いた。そのわたしには日記を付ける習慣がない。出来るかどうか、あやうい気がしたが、この考えは、わたしを束の間、照らし出した。そして今日、その試みをはじめたわけである。日記を書くことで、その日一日が費え、日々を消して滅びにいたった人間のエピソードを書いたわたしが日記を書く。
 その皮肉が大変気に入ってしまった。時計はいま午後一時半を告げている。雨が降っている。こうして言葉を記していて――
 ダダはここまで書くとエンピツを置いた。視野に蔓が這いまわっている。仕方なしに薬を嚥むと、階下へ降りて行った。

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 j 冷たい光(:○目次↑前章↓次章

 ――一度は降りた階段を、ゆっくり踏み確かめながら、再び登って行った。背中にぬるい汗がつたわるのを感じている。振り返ると、そんなふうに日々は流れた、と思われてならない。
 地下鉄を出ると、警察の派出所があった。警官が二人いる。ひとりはデスクに向かい、いまひとりは立って表を見ていた。駐輪場に並んでいる自転車の間を抜けて、派出所へ寄った。
 この町へは以前に来ている。地下鉄から七月も下旬の朝へ出たときに、あらためて気が付いた。にもかかわらず、わたしは道を確かめずにはいられなかった。派出所の壁に地図がある。警官が指で辿ったわたしの訪ね先は、この派出所が受け持っている区域の境界線ぎりぎりのところにあった。
「とにかく、かまわずに商店街を抜けて、道なりにまっすぐ歩いてください、突きあたったところがそうです」
 約束の午前十時には、まだ充分余裕があった。わたしは、どうかするともつれる舌で礼を言い、歩き出した。時間が早くて、人通りのすくない商店街はすぐに尽きた。庭樹の緑が濃い屋敷町へはいっていくと、空に薄く雲が張ってきた。汗が出ているのに、わたしは暑さを忘れていた。あたりには、降る灰のようなものが輝いている。
 行き合う人が奇異の眼を向けてくるのが、よく分った。八、九年も前に買った夏のジャケット、ループ・タイ。今朝、わたしはネクタイの結び方を忘れていた。ワイシャツのボタンを指先で扱うのに困難をきわめた。片手に手土産のマロングラッセの小箱を入れた洋菓子店の紙袋を持っている。郊外にのびた地下鉄に乗り換えるまえ、ラッシュアワーの電車に乗り合わせたので、それは幾日も持ち歩いたかに見える。肩からバッグを提げている。
 ここ六年、病院へ通う日に提げて出るバッグは、その前年の夏、つまり七年前、約一カ月半ほど外国を旅行した際、旅の途上で買ったものだ。考えてみると、わたしはこの国へ帰りついたものの、いまだ旅行を続けている。そして、わたしは旅の終わりを望んでいた。
 普段、遠い外出を嫌ってきたので、酔ったような歩き方をする。わたしは自分の姿が異様に見える、と知っていて、みずからがうとましくてならない。輝く灰に似たものが降っている。緑が茂る町筋にあって、それはやがて寄り集って、一条の滝となった。滝は、音もなく今日の空の高みから白く流れ落ちていた。激しい飛沫があって、契約の虹がかかっている。わたしは打たれようとして、踏み出していた。それは天への通い路、と思われた。しかし、滝は旧約聖書の民を導いた火の柱、雲の柱のように、わたしを導きながら遠のいていく。
 わたしの心と口と行いは、砂漠とひとしく乾いている。「申命記」第三十二章一節からはじまる言葉が甦ってきた。天よ、聞け、地よ、わが語る言葉を聞け。わたしの教えは雨のごとく降り注ぎ、わたしの言葉は露のようにしたたるだろう。若草の上に降る夕立のように、荒地に降る小雨のように″
 わたしは身震いをしながら自らをいぶかった。ここへ記すように正確ではなかったにしても言葉が湧いてきた。また、その言葉の泉の章節をも思い出せた。乳と蜜の流れる土地を、わたしは決して見ることはない、と感じている日の朝に、何と言うべきか。
 我に返らずにはいられない十字路が、幾つかあった。そこでも一条の滝は白く飛沫に輝き、轟いているはずなのに、音はすこしも聞こえぬ。
 やがて林が見えてきた。石積みの上に芝草の斜面があり樹が植わっている。歩道へ渡って、病葉が散った細い石段を上った。急な石段の頂きには、雨風に晒されて古びた杉の木戸があった。細い通が広い芝生をめぐって、玄関へ続いている。駐車場には、車が二台停っていた。早朝に刈り込んだと覚しき草の匂いのほかに、人の気配はなく、建物は静まりかえっていた。車の往来の響きも、ここまで昇ってはこなかった。よく磨きこまれたガラスドアーの脇に「呼鈴」と記されて、赤い矢印が右方向を指している白い小さなプラスチック板が柱に埋めこまれていた。わたしは、それがブザーだと思って、押した。だが応答はない。約束の時間から五分が過ぎていた。
 ガラスドアー越しに内部を覗いてみると、薄暗く、廊下が光っているところで、女のひとがモップを使っている。ドアーはロックされ、わたしは気付かれずにいる。あとになって分ったのであるが、インターフォンはすぐそばに取り付けられていた。うろたえていたので分からなかった。そのとき煙霧のようにおぼろげながら立ち昇ってきた記憶がある。十年以上も昔、わたしはここを訪ねてきて話しこみ、夜遅くになって泊ったことがあった。朝食のメニュに、干しアンズをレモンの輪切りとともに煮て冷ましたものがあったのを覚えている。わたしは建物の右横手へまわった。期待通りに入口があった。靴箱をあけるとスリッパを出し、中へはいった。
 おぼつかなく廊下を辿ると、思いがけなくさきほどの女のひとが螺旋階段を降りてきた。ここは宣教師会の本部である。咎められたわけではなかったが、急いで言った。
「ブローニー神父とお約束があります」
 女のひとは怪しみもせずにうなずいて立ち去り、ほどなく戻ってくると「どうぞ」と言った。神父の部屋のドアは、開かれたままになっていた。髪がすっかり白くなり、躯がひとまわり大きくなって歳月が寛容をもたらしたかに見えた。半袖の白いシャツの襟は洗い晒しのままのようだった。本を読んでいた。背後のマイコンは入力になっていた。画面に一行の文字が並んでいたが、遠目には読みとれなかった。かつて、心からうらやんだ集中力に恵まれた顔が、本に向けられていた。
 執務室にいるブローニー神父を見て、わたしはたじろいだ。過去において自分の心を預けてきた神父は、おだやかな妥協の外見とかかわりなく研がれて鋭敏なままでいた。呼びかけると、顔をあげた。おそらくわたしの眼のあやまちであったのだろうか。微笑の蔭に、瞬時、決断が失せて懐疑が漂った、と思えた。神父はわたしの心の内をたちまち読んだようだ。
 部屋には来客のために置かれた応接セットがあった。神父はわたしの家族のその後を尋ねたあと、躯をソファに深く沈めた。わたしは赦しの秘蹟と助言を求めて、ここへきたことを告げた。うなずくと立ち上って、来客中の札を示して、ドアのノブにかけ部屋を閉し、エア・コンを入れた。わたしは神父の母国が真夏でも二十二度を越えぬことを思い出した。軽装の上衣にもかかわらず、サンダルばきの足もとは冬のソックスで守られていた。歳月人を待たず、という言葉がある。年齢を考えた。それは、わたしに酷薄な事実を教えていた。無益に時を過ごした人間へ、これほど雄弁な警告のしるしはない。帰りなんいざ、田園まさにあれんとす、なんぞ帰らざる。わたしは己の休耕地の整理を望んでいた。
 無言の短い時間があった。ブローニー神父は待っていた。フィルムは露光し、現像された生乾きの映像は、乾燥の風に揺れた。予想をしていなかったのは不覚の至りというしかない。わたしは自分が虜となっている薬品名を告げた。また、いつから使いはじめたかも告げた。わたしは、いまだかつて見たことのない驚愕の仕草を教えられた。幼な児が恐れから身をかばうとき、そんなふうにするかも知れない。両手で頭をかばい、眼をかたく閉じ、息をひそめた。それから胸一杯に溜めた息を吐いた。ブローニー神父がみずから告げたのではない。わたしも問い、答えを求めなかった。鈍麻した心でも判断がついた。神父は司祭として、わたしに向きあってはいなかった。わたしの信仰を乱そうとする意志すらないのだと悟った。年齢も国籍も異なるが旧知の人間同士が相対しているだけの時間になった。すくなくともわたしにはそのように感じられた。
 明るい窓を背にして、神父の姿は影になって見えた。わたしは、病院で、ただでさえ短い問診の間に訴えても相手にされない心身の症状を告げた。最早、わたしの言葉に耳を傾ける人間はいなくなっていた。医師すら相手にしない病む言葉を誰が耳傾けるであろうか。しかし、わたしは酔ったように喋る自分の言葉を聞き留めて同情するでもなく、非難をするでもなく、じっと見据えて無言で戦うブローニー神父の表情を見た。神父は執拗をきわめた言葉に屈服することがなかった。その神父の応対と重なって浮んできた医師の姿がある。
 このところにきて、わたしは日記をつづる習慣を身につけていた。精神を病む人たちが自らの心のうちを日記や文章、絵にすることはよく知られている。治療、回復の手がかり、方法になっている。だが、わたしの日記は異っていた。推測にしか過ぎないが、わたしの愚かさを試みた人がいたとは思えない。約一カ月ほど前から続けてきたが、ノートは早や二冊を使い果して三冊目にかかっていた。
 朝、眼醒めてすぐには強い薬の効果が残っているので、何もしないですむ。しかし、ほどなく酸化液が金属を腐蝕するような不安がきて、薬への誘惑がはじまる。わたしはただちにノートを開き、時間の経過を記入しながら身心の異和感、不安を記す。やむを得ぬ外出時、睡眠時をのぞいて、眼醒めている限り気分と身体の状態の推移を文字に写す。終日、わたしは机に向って時計を見つめ、字を書いた。そうすることで不安と苦痛は薄らぎはしなかったが、一日は耐えられ、かつ生きた痕跡を残し得た、と思えるのだった。日記は、わたしにとって魂の繭だった。このことを医師に告げると、にわかに忙がしくペンを動かし何事かをカルテに書き留めた。だが、それだけのことで、言葉は返ってこなかった。
 しかし、ブローニー神父は聞き咎めた。
「魂の繭? そんな薬を嚥んでいて、どんな美しい糸が紡げると思っているのですか。無理というものです」
 神父は、わたしの比喩に対して辛辣をきわめ、日本語の語彙は豊かだった。
「繭は蛹が休眠するところです。完全変態を行う昆虫が成長する過程をここで迎えます。繭の中で幼虫は何も食べません。そして、蚕は絹を残すために、死ななければなりません」
 時計は正午を指そうとしていた。薬の量は、ひところと較べればすくなくなっていたが依存の症状は変わりなく残っていた。不快な現象が訪れようとしている。
「あなたが譬えをお使いになるので、わたしも譬えで話をします。自分の井戸の水が一番おいしいのです。水が濁れば、もっと深く掘りなさい。わたしは昔、あなたに自己受容を教えたつもりですが……」
 ブローニー神父は、薬を水なしで含もうとしているわたしを見て立ち上った。身のこなしは意外に素早かった。神父は空のグラスを手にして戻ってくると、わたしを部屋から連れ出した。わたしが案内されたのは、トイレだった。グラスを持ったまま屈辱の思いで、暫く水が汲めなかった。ブローニー神父は何を考えていたのだろう。トイレのドアのところで神父はわたしが躊躇の後、薬を嚥む姿を見つめて動かなかった。
 そのあと、神父はわたしと昼食をともにした。いま、わたしは自分が何を食べたのか思い出せない。神父と別れて家へ戻るために辿った道がある。陽盛りになっていた。心はやすらいではいなかった。多くを失っている自分をあらためて見出した。おびただしいものが削り落とされていった。削って削り尽して、削るもののみが残っている。わたしは削る刃そのものだ。しかも、その刃すら削り尽されようとしている。眩しい眼で空を見上げた。わたしはそこに、人の絶望を命の糧として、これを食べて生きている微笑を見た、と思った。そしてこの時、日記を読み返す決心をした。おそらくそれは空しく、何ものをも得ることはないと思えたが、心を変えるつもりはなかった。
 地下鉄駅の昇降口まで辿り着き、階段を降りて、若い女性の姿が眼にとまった。わたしの耳はワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の〈前奏曲〉と〈愛の死〉を聴いていた。わたしの生理感覚は、もうこんなかたちでしか働かなかった。憧れと神秘、官能美を汲む力は自らのうちにはなく、音楽の力を借りるしかすべがなかった。
 自分の家が遠く思えた。帰り着けるかどうかおぼつかなかった。

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 k 七夕忌(:○目次↑前章↓次章

 夜遅くになって、日記を読み返してみた。予期していたが、判読はむつかしかった。今日、ブローニー神父を訪ねる道で見た輝く灰のようなものが、いま再び机のまわりに降っている。蝕まれてはいるものの、記憶とは一つの予感だと思えるのだった。まるで糸屑が更に崩れたとでも言うべき文字で記されている日々の記録から何かを見出そうと望んで、ようやく読み得た日とその時の刻み、今日からおおよそ半月も溯った日、わたしは既に今日を読んで書いている。そこでも言葉の崖に、一条の滝は白々と落ちていた。閃くがごとく帰ってきた風景がある。両岸に氷が張り、岩床に水は細く浅く流れ、滝は蒼く凍っている。いつ、どこで見た景色なのだろうか。わたしは幻を拒んだ。今更、こだわることはあるまい。わたしは読んだ。いまだ望みは在るであろう。およそ希望とは、生き得た過去への容認である。ああ、いま誰かが笑った。耳が鳴っている。
 眼には見えぬドアがある。見えないドアが存在していて、それが開かれた、とわたしは記している……。
 そんなふうに眼が醒めた。醒めたくはないのに、意識が戻ってきた。気分は澄明であった。枕許に円錐形の時計がある。掌で軽く触れると、女のひとの声で、暗闇でも時を告げる仕組みの時計が午前三時十五分、と教えた。この時計を、夜、手放さぬわたしを家族みなことごとく笑ったが、われ関知せず、としてきたものの、電池を取り替えて、夜の備えをしてくれている家人の手を忘れている。わたしは戸惑った。夜半の眼醒めが苦手である。深夜覚醒時、として処方された薬が階下にある、と考え、ひととき自分を耐えようとした。医師から指示が出されていて、ここ三カ月、この限りにおいて家人は薬を嚥むことを怪しまなかった。しかし、この季節、午前三時過ぎは、深夜であろうか。間もなく空は、ほのぼのと明けはじめるだろう。
 それをわきまえていながら、心慰まず、甘き麻酔の風車がまわることを願っている。寝静った家が棺のように感じられていた。そして、夢を見ていたと気が付き、枕許に置いたノートにエンピツを走らせた。暗闇でよく見えなくとも夢をあとで思い出す手がかりのメモは取り得た。
 丘の斜面にある家を買った。樹立ちに囲まれた一軒家である。丘陵は濃い緑に翳って暗かった。広い家の中の廊下を歩いた。どの部屋の鍵も持たずに、わたしはただ人気のない家を点検して歩いていた。家の外では吹く風に樹が鳴っている。いやな家を買った。ここでは住めない。だが、わたしは自分の持ち家を売り払ってしまっていた。もうどこへ行くあてもない。この夢が何を意味するのか、あとで考えよう。
 夢をもうひとつ見ていた。雀を食べている。鋏で雀を切り開き、焼く。それは黒焦げの胎児のように見えた。雀の頭を噛み砕く。嘔気がしたので雀を投げ捨てた。するとそれは水溜りに落ちた。雀の羽根はむしられてから焼かれたはずなのに、羽根が生え、水に濡れそぼって溺れ苦しんでいる。二羽の雀は一ペニーで買えるではないか。それにもかかわらず、あなたがたの父の許しがなければ、一羽も地に落ちることがない″「マタイ」第十章二十九節。
 わたしの口は腥く粘っていた。昨夜、どうしても薬を切ろうと決心した。ともかく眠って、薬を断つ試みをしようと思った。そのために、ひとまずは薬を嚥んで、よく眠ろうとした。ところが眠りは浅く変な夢を見た。階下へ降りていくと灯が明々と点いている。ミショウが起きていて、「どうしたの?」と訊いた。午前四時。深夜覚醒時の薬には手を出さず、かわりに躯に残った薬の解毒になるだろう、と思って大量の水でビタミン剤のカプセルを服用した。
 ミショウに、「今日、歩きに出ようね」と言った。ミショウは英語の参考書から顔をあげ、「ああ、いいよ」と答えた。二階へ戻り横になったが眠れない。日記を記していて、ここ二、三日、日毎に記述は今日限りで終わるのではないかと思っている。薬をつとめて減らそうとしてきた。その影響があるのか、躯ばかりか、精神の状態は不安定で、終末の予表を見ていた。昨日午後、わたしはミータンと駅前通りへ出た。歩く足許がおぼつかなく息切れがしていた。ひところメジャーのトランキライザーを服用して、異常に体重が増加した。この薬が中止されて、標準に戻ったが、ここにきて痩せはじめている。肉が落ちて脚が弱っていた。入浴時に気が付いたのだが、老人の脚の形になっている。
 ミ一タンは服を買いたがっていて、わたしは散歩のつもりで付き合って出かけた。暑くて、気味の悪い汗が噴き出ていた。結局、手頃な服が見付けられなかった。ミータンが何を思ったのか、「ダダの学生時代の下宿へ行ってみましょうよ、もう近くまで来ているついでに」と言った。わたしの気持は重かったが、路地に曲がりこんで行った。思い出す限り十五年振りである。ノエが生まれてから訪ねたことはなかったから、これは確信が持てた。路地奥の下宿は変わらずに残っていた。不審に思われて咎められるのを恐れ、距離をおいて立ち侍った。年子と思える少年が二人出てきて、自転車に乗ると、わたしたちには目もくれずに走り去った。かつて学生時代、家庭教師を勤めたいまだ小学生であったアッコの子供たちだとすぐに分った。
 道を引き返していきながら、わたしはもう二度とここへ来ることはあるまい、と思いながら、何故こんなふうに沈んだ気持でいるのか考えてみようとしたが、疲れて気力がなかった。懐かしがっているのは、ミータンだけであった。結婚前、わたしがここで暮らしていた時代に訪ねてきている。帰り道、駅前通りで偶然が悪戯をした。わたしはおめかしをしたアッコに会った。過ぎた歳月にもかかわらず、お互いに一目で分った。ハイヒールを履いていたせいもあって、見おろされる恰好になった。急いでいるようだった。わたしは強ばった頬笑みを送り、アッコはかすかな驚き、いぶかりの表情と微笑を返してきた。それだけで別れた。三十年の昔は、背を向けて立ち去った。あの驚き、いぶかりを尋ねたい、と思った。
 朝六時十分。階下へ降りる。コーヒーを淹れようとしていると、ノエが起きてきた。
「今日、何の日か知っている? 七夕よ」
 と言った。窓から表を見ると快晴の空である。口が苦い。苦味は強い刺激をともなって湧き上ってくる。午前四時に眼を醒ました段階では無感覚でいられたのは、気分がいいようでいて、実は頭が眠っていたせいだろう。医師は半減期の短い睡眠薬を処方してくれていた。服用後、翌朝、味覚異常が出る、と言ってはいた。新薬だとも言った。薬理がよく分っている薬ではなく、新薬のテストをされているようで不安を抱いたが、昨夜も嚥んだ。
 ノエがわたしにかわって、コーヒーを淹れた。ミショウが起きてきた。ブラックを三杯飲んだ。ほぼ六年にわたって続いた薬服用の習慣を断とうとしているのだから容易ではない。午前六時三十分。早くも頭の芯がしびれ、立っていると平衡感覚がおかしい。正常ではない状態で、今日は自分をきびしい制御のもとに置かねばならぬ。ノエは学校へ出かける。ミータンは、今日、どうしても出かけると言う。ミータンが起きてきた。ポットの中のコーヒーが空になったので、今度は自分で淹れようとした。ミータンが言った。
「人生の宿酔を治そうというわけね」
 わたしは暫くミータンの顔を見つめた。こんなセリフを言わぬ人間だとばかり思ってきた。午前七時。また新しくコーヒーを淹れる、ただそれだけの単純な作業に失敗。カリタは食卓の上へ置いてあったがティッシュ・ペーパーが付いているとは知らず、瀘紙に湯を注いだ。幸い誰も見ていなかったので、ティッシュ・ペーパーが半ば溶けかかってポットに泳いでいるコーヒーを流しに捨てる。ノエは朝食をすませ、お友達が誘いにくるまでの間、ピアノを弾きはじめた。メンデルスゾーン〈無言歌集〉甘い思い出。
 コーヒーには利尿作用があるはずなのに、一向に気配はない。体内に残存している薬を早く追い出したい。薬を切る。切ることが出来るはずであるし、是非ともこれをなさねばならぬ。これまで何度か試みて失敗してきた。祈るような気持でいる。痴呆への恐れ。いま午前七時五分。昨日午後十一時三十分からビタミン剤のほか、何も服用していない。これを書いている手が震え、腕に痙攣が走る。顎にも及んできて、知らず知らず歯ぎしりをしている。物忘れ甚だしく、ミータンに話しかけていて、近所の人の名前を思い出そうとしたが、これが出来ない。じっとしているのがつらい。二階へ上って窓を開けて、空気を吸う。躯の細胞、骨、爪、頭髪、脳にまで薬は浸透している。これを抜くには数年を要するという考え。ブラームスがわたしと同年の時に作曲した〈バイオリン・ソナタ三番〉が聴こえる。暗い内省的な曲。それはわたしの内部で鳴っている。日記、これが日記といえるかどうか分からぬが、時計を睨みながら書いていると、ミータンが尋ねた。
「何を書いているの?」
 わたしは、答えないでいた。返事のしようがない。
「ゴカノアモウ……」
 ミショウは食事をしながら、本を覗いて呟いている。
「呉下の阿蒙だって、さ」
「それ、皮肉かね、進歩しない人間のことを言うのだろう?」
 祭壇の十字架像の灯が燃えつきた。午前七時四十分。ミータンは留守にする昼の食事にオニギリをつくり、万一のときに用意してあったメタルパックの錠剤を片付けようとした。
 決して嚥むまいと思っていながら、定位置に置いてくれるように頼んだ。またもや歯ぎしりをしている。新聞を拡げる。どの紙面、広告を見ても恐怖を覚える。テレビ番組欄を辿っていてすら焦燥感がある。わたしと、この世のかかわり、その意味。午前七時四十六分。ひどくなってきた。いずこへ助けを求めるべきか。「ガラテヤ」パウロの手紙第四章十九節。わが子らよ。キリストがあなたがたのうちに型造られるまで、わたしは産みの苦しみをくぐり抜けなければならないのです″今朝読んだ新約聖書の一節。苦しむ神という考え。視野に何かが現われている。例の光る蔓ではない。飛蚊症とも違う。ノートがひずんでいる。昨夜十一時三十分から八時間と十六分が過ぎた。薬の九十パーセントが体外に朝出されるには四十八時間かかるという。まだまだである。ノエが出かけたあとなので、暗い顔を見せないですむ。せめて救われている。
 午前七時五十五分。蜘蛛の巣が顔にかぶさってきた。嗅覚異常。血の臭いがする。日記を書くことが難しくなった。午前八時十分。一体、何を苦しんでいるのか、そのことを考えると、一切を葬りたく思う。ミータンがサマーオレンジ、スクランブルエッグ、トーストを運んできた。コーヒーを飲み過ぎている上に、苦しいので食欲がない。しかし、食べなければ、薬を断つ気力も出るはずがない。
 午前八時三十六分。やっと八時間が過ぎたと呟き、いや、九時間と訂正した。「それくらいの計算してね」とミータンが言う。歯ぎしり止まず、躯が揺れはじめた。うまく喋れない。何も考えられない。舌がねじれている。四肢異常感。字を書いている手の感触は、フェルトの布地を押えている感じである。
「ミータン、これからどこへ出掛ける? 言いたくなければ黙っていてもいいんだよ」
「誰もわたしを知らない人が歩いているところへ行きたいの。呼吸が楽なところへ行くの」
「今日は七夕だって。ノエが言った。誰かに会えるよ」
「そうかしら」
「お金ある?」
「すこし……」
 午前九時六分。ミータンは出かけて行った。朝陽のもとで、顔のおとろえは隠せない。ここ二、三年の急激な変化。消耗性疾患が隠れているのではないか、という懸念。ミショウが、ずしずしと二階から降りてきた。ブリーフだけでいたのに、外出の用意をしている。
「ダダ、歩きに行こう」
 わたしは、ようやく明け方の約束を思い出した。だが、呼吸困難を覚えている。「息が出来ない。ちょっと待ってくれないか」と言った。ミショウが庭の水蓮鉢を覗いてみて、「ボウフラが一杯だ。金魚を飼おう」と言う。わたしは夢中で「うん、うん」と答える。今まで上しか見なかった。今は下しか見えない。その下も雲が張っていて、よく見えない。わなわなと震える指でメモを探している。「モートン・フェルドマン演奏会」のメモがどこかへ行ってしまった。何もかも失われてしまう。
 午前十時十五分。室内温度摂氏二十六度。服を着替え、よろめきながらミショウとともに表へ出た。薬はポケットに入れておいた。いよいよ、というときには町角の自動販売機で飲物を買い、服用が出来る。炎天下、喘ぎながら歩く。ミータンは、いまこの時刻、何をあてにして、どこを歩いているのだろう、と思う。午前十一時三十分。帰宅。冷たいシャワーで汗を流しながら、十二時間が過ぎた! と思っている。テレビでは、究極の麻薬クラックを放映していた。わたしは麻薬に手を出したことはないが、いまの状態は禁断症状そのものだ。正午。ミショウとともにオニギリを食べる。一つを口に入れるのがやっとで、古綿を食べている感じ。動悸が激しい。頭と腕がみしみし鳴る。殊に頭が変だ。頭蓋骨の中に噴水。生温かい液体、脊髄液かあるいは血だろうか。背骨から噴き上ってくる。ミショウが二階へ上った。食卓にメタルパックの錠剤が二つ。さきほどポケットからそこへ戻した。わたしは誰も監視しているものは居ない、と知っていながらあたりを見まわし、薬を手にした。メタルパックを破らずに、そのまま口に含む。舌の上に載せたままじっとしていると、両頬に伝うものがある。わたしは自分が泣いているのに気付いた。薬を吐き出し、食卓に置いた。
 誰も見ていない、と思っていたが、ふと振り返ると十字架の上に首うなだれて、なおかつわたしを抱こうと両手を拡げている〈人〉がいた。ミショウが降りてきた。あちらこちらを見ながら言う。「ダダ、蝿が一匹いるよ」しかし、わたしには見えない。ミショウは、涙が蝿になって飛んでいる、と言っているのだろう。彼は見たくないものを、見てしまった。わたしは見られたくないものを、見られた。午後一時。エア・コンを入れる。ミショウが「涼しいな。風が吹く佛來給うけはひあり 高濱虚子」と言った。
「ダダ、酒飲んで寝ちまえよ、変な薬嚥むより余程いいと思うけど」
 わたしは自分がすでに死んでいて、透明な肉体としてこの世にとどまっているのだ、という気がした。午後一時三十分。十四時間が過ぎた。わたしは椅子にもたれ、醒めていながら夢を見ていた。旧いビルがある。店が明るいショーウインドーを輝かせていた。奥まった一角にトイレがある。そこは薄暗く、コンクリートの床は、びたびたと濡れている。浮浪者がボロ布に躯を包んで、洗面台のところでうずくまっていた。わたしはそこへはいって行く。とうとう一切を失って、わたしはここよりほかに身を置くべきところが無くなった。窓の外に灯は明るい。だが、トイレの中は陰惨に暗く、耐え難かった。ここで暮らすからには、せめて照明を明るくしようとした。しかし、その方法を知らない。気が滅入る。ジンを瓶から飲み、洗面台で水を胃袋へ流しこんだ。廊下へ助けを求めに出て行くと、ブローニー神父がいた。「神父さま、わたしに力を」と言った。神父は笑い、わたしを事務所のような一部屋に案内した。「書類が溜って困っています。整理を手伝ってください」と言う。机の上を見ると、そこにわたしの日記があった。午後一時三十分と記されている。
 我に返り、口の中のいやな味覚をすすぎに風呂場へ行った。背骨から神経が全身にのびていて、網をたぐるように引きしぼる力が働いている。全身をめぐる血管が、ひとところに収縮しようとしている。わたしは二階へ上がり、横になろうとした。背骨が燃えている。枕に頭をあずけた。そこへ訪れてきた感覚がある。わたしたちは重力の法則のもとに生きている。躯は液体から型造られていて、すべてが下のほうへ、崩れ流れ落ちていく。横たわっていると、頭蓋骨が背骨から外ずされている、と思われる。骨という骨が鉄の重さを持ちはじめていた。筋肉のすべてが溶けていく。
 近くの道路で、コンクリートミキサー車が停っている。排気ガスの臭いが漂ってきた。エア・コンを入れて窓は閉め切ってあるのに、どこから流れこんでくるのだろうか。瞳孔の拡大収縮を感じている。恐ろしくてならない。眠れない、と思って階下に降りた。時計を見て驚いた。午後三時三十分になっている。躯がおどりはじめた。日記を記すエンピツが非常に重い。躯の肉が着物を脱ぎ捨てるように落ちていく。ミショウを呼んだが、聞こえないらしく返事がない。食卓の水差しから直接に水を口へ流しこんだ。もうここまで。わたしは屈服しようとしている。だが、これはどういうことなのだ? ほかに考える道があるだろうか。わたしは、苦しんでいる。しかし、苦しんでいることに、意味がほしい。わたしは一つの〈場〉だ。試みの場だ。だが、この考えは、わたしをすこしも慰めてはくれなかった。何か黒いものが眼の前に降りてきた……。
 午後五時。ミータンが帰ってきていて、わたしの背中を押さえている。ミショウが脚を揉んでくれていた。胃液を吐いたらしい。苦しいことには変わりがない。狂いそうだ。わたしはミータンに病院へ電話をしてほしい、と頼んだ。訳が分からなくなっていながら、薬を嗜んでしまっている。それでもなお苦しい。結局のところ、わたしは今回も負けたのだ。この状態で夜を迎え、明日、病院へ行くまで待てない。ミータンは溜息をついた。
「みんなこのままでは、この家とともに沈没よ。何かひとつ、ひとつだけでいいの。良いことがありますように」
 ミータンの電話が病院につながった。この時間、医師は外来にはいない。交換手は医局を呼んでいる。幸いにも医師が電話口に出た。こちらの手持ちの薬の確認をしている。
「苦しんだだけ損をしたみたい。薬の量が増えただけ」
 追加の薬を嚥んだ。午後五時三十分、ノエが帰ってきた。わたしはすこし落ち着いた。と同時に強い失望と後悔の念が襲ってきた。随分、日記を書いた。午後五時四十五分。ノエが玄関口でミータンと何か言っている。七夕の宵。ノエは昨日、ミータンと家の前でバトミントンをした。その時、失った羽根を探してほしい、と頼んでいる。二人が出て行った。口が渇いている。水を飲んだ。午後六時。近くの中学校からチャイムが鳴る。ノエとミータンは暫く帰ってこなかった。商店街へまわって、買物をしてきたらしい。祭壇に灯をともす。「ロマ書」第八章二十二節および二十四節。わたしたちは今もなお、皆ともにうめき、ともに産みの苦しみを味わっていることを知っています。眼に見える望みは望みではありません。眼に見えるものを誰が望むでしょうか。わたしたちは眼には見えないものを望んでいるので辛抱強く待っているのです″
 夕食午後七時半。ミータンは今日の外出に疲れたのか、夕食の手間をはぶいて寿司を買ってきた。妙な取り合わせだが、味噌汁と冷凍エビを解凍してチリ・ソースをつくった。
「今日、どこへ行った?」
「あちらこちら」
「誰かに会えたかい?」
「誰にも会わなかった」
 ノエとミショウは黙って、このやりとりを聞いている。
「楽しかった?」
 とノエが尋ねた。
「あんまり」
 午後九時。いつもより早く薬を嚥んで寝た。長い一日だった、と思う。枕許にノートを置いて、何か書こうとして、そのままにした。午前二時。眼が醒めた。階下へ降りていくと、ミータン、ミショウ、ノエが起きている。冷蔵庫のありあわせの肉や野菜を集め、夜食にお好み焼きをしている。
「珍しいね」
 とわたしは言った。
「七夕祭りをしているの」
「そうかい」
 わたしは深夜覚醒時の薬を嚥んだ。そして暫く家族を見ていた。パクがいないが、その光景はかなしく、眠るためには薬がどうしても必要だった。眠って醒めれば、朝露が降り、そよ風が吹いて、命の朝がある、と思う。

 日記を読み返してみて、わたしは自分が書き落としをしていることに気が付いた。前後の頁を繰ってみて、この推測は当っていると思った。その日、わたしはブローニー神父に電話をして、今日の約束をしたはずだった。
 わたしは神父と会って、道を開かれただろうか。いま、あまりよく考えられない。自分の井戸の水が一番おいしい、と神父は言った。しかし、一日の終わりに汲みあげた水は濁っていた。
 わたしは、もっと深く掘らなければならないのだろう。澄んだ湧水は必ず見出されるに違いない。暫くは、濁った水で渇きを癒そう。一条の滝は今夜、わたしの日記に記された七夕の日の天の川から落ちてきているように思えた。
 いま、何かを思い出しかけている。もどかしくてならないが、何かが動きはじめた気配を感じている。おそらく望みは、いまだ在るであろう……。それにしても間に合うだろうか。もはや遅いのではないか。七夕の朝に見た夢の家では、どの部屋も閉されて、わたしは鍵を持たないでいた。合鍵をつくるにしても、わたしはマスターキーの在り場所を知らなかった。

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 l 石の鳥(:○目次↑前章↓次章

 夢の中に、真実愛する人間は現われない、という精神分析学の学説を読んだ覚えがある。思ひつつ寝《ぬ》ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを″というのは嘘だ。たとえ愛していると思っていても、それはどこかで歪んでいる。怨恨の裏返しである。誰の説か確かめようと、あれこれ本を探してみたが、容易に見付からない。これと見当をつけた本を開いて頁を繰っていると、見開きの白紙のような夜明けがきた。枕許の時計が午前五時を告げていた。薬を嚥んで五時間しか過ぎていない。三種類の薬まで量を減らしてきている。睡眠薬のほうは薬効半減期の短いものを使うようになっていたから、この効果はあまり残っていないはずだった。多分、抗鬱剤のせいだろう。眼を閉じると白紙の残像があって、赤紫色の朝顔が咲いている。ダダが花を見つめていると、しぼんで消えた。白い光の照り返しがあって、弱った躯には暑く辛い一日になりそうだった。
「あなたたち、まだこんなところに住んでいるの?」
 そう言って、久し振りに訪ねてきたのは、カテキスタのタダユウコさんだった。黒のワンピース、同色のストッキング、ハイヒール、真珠のネックレスを身に付けている。カテキスタというのは、神父について宣教の協力、奉仕の役目をするひとのことである。タダユウコさんの眼はやや斜視で、いつも笑っているように見える。わざと乱暴な口をきくのは、このひとにとっては思い上った謙虚、卑下の表現方法であった。タダユウコさんの背後に、ブローニー神父が立っていた。ただ、ブローニー神父に似ているだけで、本人かどうかおぼつかない。ローマン・カラー姿ではなく、明るいグレーのスーツを着ている。
 タダユウコさんが言った。
「病院へ行きましょう」
 その病院は〈マリアの宣教者フランシスコ修道会〉が経営している。ダダは六年まえに、この病院で胆石と後腹膜部の腫瘍を見付けられた。鬱病の始った年である。また、ダダの三人の子供はみんなここで生まれている。
「さあ、出かけましょう」
 表は晴れていた。ダダは自分の後ろにミータンがいる、と分っていた。ダダはブローニー神父に似た外人とタダユウコさんを見つめた。この二人がわざわざ子供たちのために毎週、土曜の夜、聖書の特別講義に訪ねてきていたのは何年まえだろう。
 ダダはミータンを残して二人と一緒に出かけた。しかし、何をしに出かけるのか分ってはいなかった。歩いて行くと、路の風景が違う。よく知っている路筋のはずなのに、どうも様子が変っている。
 そのうちに、二人とはぐれてしまった。
「困ったな」
 と思ったが、目的の病院へ向かうには、さしつかえがない。右手に巨きな灰色のコンクリートの建物が見えてきた。工場のようにそびえ立っていて、太い煙突が淡い煙を吐いている。胎児や腐った臓器を焼いているらしい。病院の車寄せは斜面になっていて、ヒマラヤ杉の下の電話ボックスでは、おなかの大きな女のひとが話をしている。青灰色の服を着たシスターが歩いて行く。泥色の鳩が舞っていた。
 正面玄関口へ近寄って行くと、タダユウコさんが出てきた。しかし、ダダに対しては知らぬ顔をしている。この病院の霊安室は地階にあるのだが、表示板に明記しているところが変っている。まるで、各診療科や会計所、礼拝堂、売店の在り所を教えるように表記してある。そちらのほうへ行こうとしている。
「なるほどそうか」
 と思ったが、誘われてもいないから、どうしてよいのか分からなかった。玄関をはいって行った。ところが意外なことに、そこは客船の船室になっている。小さな部屋にべッドがあって、金髪の外人が寝ている。灰色のパジャマを着ていて、本国送還を待っている死体である。右足の親指に荷札のようなものがついている。顔は蝋色で、灰色の蝋は、事実溶けてシーツに溜っている。これで分った、とダダは思った。ブローニー神父とタダユウコさんは終油の秘蹟をさずけにきたらしい。
 そこまで納得しておきながら、ダダは死体とともに横たわった。下水道の臭いがする。臭気には熱がある。気味が悪く、落ち着かない。船室にはいろんな人々が出入りするのに、誰もダダに声をかけない。ダダは何をしたらよいのか分からないでいる。屍毒に冒されたらどうしよう。自分には今日、仕事があるのに、こんなところへ何のために連れてこられたのだろう。この死んだ人とは、何のかかわりもない。時間を無駄に過ごしてはならない。誰かに自分を紹介してもらいたい、と思っている。自分には、もう残り時間がない。六年も薬に酔ってきた。いまそこから醒めつつある。これから他人の死体と旅に出るわけにはいかない。命の世界へ帰るべきだ。
 あれこれ思案をしていると、出港の気配である。急がないと間に合わない。起き上ってみると船室の出口と桟橋の間に、もうひとり外人の死体がうつぶせになって、ひっかかっている。岸壁と船腹の間で溝色《どぶいろ》の波がしぶきをあげていて、濡れている。肥って青く光る蝿がたかっていた。空には嘴の鋭いカモメが舞っている。ダダは急いで船の食堂へ行き、ミータンに電話をかけようとしていた。躯の調子が良くないので、迎えにきてもらいたかった。テレフォンカードを出してみると、すっかり穴が打ち込まれて、使用済みになっている。ポケットを探ってみると百円玉が二個しかない。百円玉で通話が可能だが、十円玉でなければ勿体ない、と思っている。薄暗い食堂の片隅にバーがある。バーテンダーに両替を頼むと、ダイムをカウンターに積み上げた。これでは電話はかけられない。
 こいつ、ここがどこであるのか知っているのか、と思って顔を見ると、随分昔に喧嘩別れをして仲直りが出来ないうちに胃癌で死んだ友人である。彼は背中を向けてグラスを磨き出した。ダダは手をのばすと、バラの花模様がラベルになっているウイスキーを盗った。長い廊下を歩きながら封を切ると、ごくごく飲んだ。ようやく桟橋へ出ると、女のひとが透ける白いパンティとブルーのハイヒールのほかには何も身に付けないで歩いてくる。マニキュアもブルーで、唇が赤かった。恥じている影は見えない。煙草を吸っていて、産毛が光っている。小柄でオーストリアあたりの女性かと思える。そのあとに続いて、この女性とよく似て、すこし歳上らしい亜麻色の髪のひとがスカートをたくしあげて歩いてくる。やはり化粧が濃く、金色と白を斜めに塗り分けたマニキュアとペディキュアをしている。幅の広い黄色斜めストライプのパンティを穿いていた。ふたりは笑っている。
 そこへタダユウコさんが姿を現わした。ダダは、また瓶からぐびぐび酒を飲むと、むかむかしながら、タダユウコさんの後について、もう一度、船室へはいった。ベッドで横たわっていた臭い死体が起き上がり、誰かと帰国の話をしている。蛆虫がぽろぽろ落ちていた。汗のように額から落ちている。ダダはそれを見て、もう我慢がならなくなった。
「タダさん、葬式に連れてくるのなら、どうして、そう言ってくれないのですか。服装のこともあるし、気持の準備が問題ですよ」
 ダダは、とめどもなくなって、思いつく限りの品の悪い言葉をあびせにかかった。タダユウコさんは顔色を変えて、後ずさりしていった。恐らく、生まれてから一度も耳にしたことのない品の悪い言葉のはずだった。
「やめてください。あなたは奇蹟をご覧になったのです。甦りをその眼で見られたのです」
「嘘言ってはいけませんよ。わたしたちはいま、ラザロの夢を見ているんじゃないですか」
 ダダはますますいきり立った。桟橋の上でブローニー神父が厳しい横顔を見せている。タダユウコさんは逃げ場を失って、とうとう黒い海藻のひとかたまりになって、しぼんでしまった。舞っていたカモメが急降下してきて、桟橋の上で粉々になった。一羽だけでなく二羽、三羽と落ちてくる。これは危険だ。ダダは避難の場所として港湾内バス――沖合で碇泊している船舶と連絡を結ぶ乗合船サンパン小屋に駆けこんだ。そこには先程のふたりの女性がいる。腿の間に赤いバラが咲いていた。自分の右手に提げたウイスキーの瓶を見ると、ラベルは剥げている。二人の女のひとは巻毛に指をからませて、こちらを見ていた。もうすこしウイスキーを飲もう、と瓶を傾けてみたが空になっている。短い時間のうちに大量のウイスキーを飲んだが、酔いは訪れていない。ただ胃が灼けている。嘔気も伴なっていた。
 ダダは空になった瓶を金網の屑籠に投げ込んで、サンパン小屋から出て行った。中空には相変わらずカモメが舞っている。ここがどこなのか良く分からない。船は出港してしまっていた。岸辺を見ると、乾いた血の色をした倉庫が建ち並んでいる。税関の事務所の前を通ったが、ここからミータンへ電話をかけたくなかった。一羽のカモメが、肩を剣の一閃のようにかすめていった。ブローニー神父の姿は見当らない。タダユウコさんは海藻に化けてしまったのだから、姿がなくてもいぶかしくはなかった。
 バスの停留所があった。時刻表は潮風にさらされて消え、読み取れない。すこし先に地下鉄の昇降口があった。夜になっていて、プラットフォームのキヨスクにシャッターが降りていた。
 時計を見ると十時である。まだ時間が早いのにおかしい。あたりは明るかった。そこでダダは気が付いた。根来正実と奈良坂和希と一緒に車内にいる。電車は瀬沼町の駅を出たばかりである。二人とも間に合わせに買ったビニール傘を手にしている。ホテルを出て芝田町でタクシーを拾い、白雨にあった。それで瀬沼町の地下鉄近くの店へ酒を飲みにはいった。その帰りである。ダダは一年近くも前に書きはじめて、中断したままの短篇の主人公に出会っている。夢の中に、真実愛する人間は現われない。現われるのは敵意、あるいは葛藤を抱いている相手のみ、とする学説は正しいのかどうか、とまたもや考えながら二人を見ていた。
 二人とも並んで吊革に手をかけている。ダダの視線に気付いて、奈良坂和希が振り返った。もっとも和希が見たのは、ドアにもたれかかって、スポーツ紙を読んでいる初老の男である。一年足らずの間に和希の服装が変っていた。テーラードカラーの上着丈が長い茶色のスーツは、はやりの黒になっている。糸のように細い金のチェーン。黒のショルダーバッグ、黒のパンプス、ベージュグレーのストッキング。左手の小指、薬指、中指にファッションリングが光っている。ラベンダー色のマニキュアが眼立つ。口紅の色が濃かった。髪は長く背中まで伸びている。
 一方、根来正実には、一見変化は無いように見える。紺のスーツ、ペイズリー柄のネクタイ、靴は紐付きの黒のトラッドシューズ、アタッシェ・ケースを提げた腕にコートがかかっている。腕にクロノメーターを付けているので、時計に関心があると知れる。しかし、よく見ると、ようやく四十歳を越えたばかりなのに、髪に白いものがまじりはじめていた。
 ダダは偽装のために読んでいたスポーツ紙を畳むと棚に置いて、二人の後ろ姿を眺めた。金曜日の夜であったが、白雨が尾を引いて、長く続いたせいか、車内は空いていた。ダダは、自分が何故二人を作り出したのか、思い出せなかった。ありふれた男と女のかかわりである。日常の午後、紅茶とクッキーを楽しんだ。純白のテーブルクロスに紅茶のしみをつくった。その程度のドラマに過ぎない。ダダは自分の、失われた時を見出そうとしたのだと思ってみた。そして、人がしばしば見出しながら、感受するところが稀薄な世界を写してみようとしたのだ、と考えてみた。しかし、いずれも空々しい。
 とにかく二人がこれからどうするか、見てみよう、と思った。車内にブローニー神父がいる。だが、ダダは顔を隠していた新聞を捨てた瞬間から、透明になっている。誰にも見えない。電車は尾山駅に着いた。和希と根来が降りた。和希が振り返った。
「どうした?」
 と根来が尋ねた。
「変な臭いがするの」
「どんな臭いだ?」
「よく分からない」
 ダダは階段を上って行く二人に、尾いて行った。ダダは息を切らしながら、和希と根来が充分に生きられることを願い、尾いて行った。その夜のひとときでよかった。断罪の気持はなかった。憐愍の心がある。その自分の心の動きにはあまり清々しくないものがひそんでいる。殊に女性への憐愍は、欲望の巧みな仮装である、と気付いていた。階段を上っていく若い腰を見ていた。このときダダは、根来の眼になっている。地下鉄の昇降口へ出ると雨は止み、夜空のひとところに星が出ていた。根来と和希はビニール傘を道傍の金網籠へ捨てた。
 路を曲っていくと、コンビニエンス・ストアが、明るい店内の照明で路上を照らしていた。店でマスターとアルバイトの学生二人が、レジのところに立っている。和希が先にたって店内へはいって行った。ファーストフードのコーナーで、グラタンとコーンポタージュを籠に入れ、ナッツのミックス缶を取った。リカーの棚を見上げてすこし考え、ジンを手にした。尾いて歩いている根来正実の顔に疲労が漂っている。非常な注意を払って腕時計を見た。愚かしいことだった。店の壁に時計がある。和希の唇に菌糸のような笑いが漂った。彼女は引き返して、サンドイッチ用に切られたパンとメルティ・チーズを買った。商品無断持出しを監視するミラーを見上げた根来は、背後に男を見出したので振り返ったが、誰もいなかった。
 支払いは和希がした。レジスターの脇に大型のウイスキーボトルがあって、小銭が滞っている。ささやかな善意のボトルに、一円玉ではなく、五円か十円かあるいは百円の硬貨が落ちた、と和希には思えたので、根来の姿を探すと、彼はもう表へ出ていた。和希は買物の袋を、根来に預ってもらいながら尋ねた。
「ね、変な臭いがしない?」
「さっきも、そう言ったね。気のせいじゃないか」
「下水の臭いがするのよ」
「何も臭わないな」
「地下鉄に乗ったときから、臭いが尾いてきているの」
「わたしには、きみの口紅の匂いが分かるよ」
「よして。その気もないのに。人が来るわ」
 ダダは夢の中で、この会話を取り消した。根来正実はキャメルに火をつけると、和希にくわえさせた。雨が止んで、風の絶えた夜路に煙草のけむりは靄のように後に残って、暫く動かずにいる。ダダは煙になって尾いて行った。根来と和希が、いまは飛べない鳥に見えている。ダダは、和希の部屋が近い、と知った。自分が流灯となって、闇の中を漂っているようにも思えた。

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 m 敗荷《やれはす》(:○目次↑前章↓次章

 返り梅雨に枇杷の実が剥かれている夜となった。夜更けに噴井《ふけい》がある。噴き溢れるものはアイス・キューブの語ったグラスに受けられ、レモンがしぼられた。ジンが颱風圏を呼んでいる。油照の時が訪れようとしていた。
 しかし、その時は延ばされなければならない。正午の陽差しが落鮎の寂光を隠している。壁の己れの影に向かいあって、さび鮎を食らうには、まだ早い。お互いに、いまは一応、胡桃の果肉のように迷路の心を刻んでいる。
 グラタンは温められ、コーンポタージュは熱くなった。オニオンのスライスをジンに落としてみる。潮位が上ってきた。運河の河口で逆流がはじまっている。河幅が拡がっていく。水没がある。
「このごろ、夜なかに眼が醒める」
「ん?」
「ウイスキーを、ダブルで盗み飲む」
「一度、二度?」
「何故それを尋ねる?」
「アルコール依存症か、どうかということ」
 和希はウェット・ティシュで自分の手と唇を拭った。いま一枚を引き抜いて、根来の両手の指を清めた。一枚では気が済まず二枚使った。根来は果実の断面を思っている。外果皮、中果皮、内果皮、種皮の中の種子。
「おれはアル中になれない」
「自信ある?」
「ある、とか、無い、ではない。なれない」
「常識家、俗人というわけ」
「そうだ。そのおれがふと眼を上げる……」
 根来は先程、和希とともにはいったコンビニエンス・ストアの、魚眼レンズのようなミラーを思い出した。そのミラーに何者かが映っていた。映っているような気がした。どこかで見た。いつか会ったような気がする誰か。
「そのおれに見えるのは、当りまえのことだけだ。ところが、その当りまえが、このごろそうではなくなってきた」
「よく分からない」
「そうだろ。おれにも分からないのだから」
 二人の間で、椋鳥が卵を温めている。温度が上がり過ぎないように、時々羽根を震わせて風を送っている。根来正実は紫モクレンの花を見ていた。想像の中で花は美しかった。微風は花に吹いていた。
「ひどく醒めてしまった」
「ウソ」
「酔い過ぎるとこうなる、ときどき、このごろ」
「気分は?」
「別に悪くない」
 根来はマリモのようなものを掌で包んでいた。指先がフジツボの鋭さに触れた。アケビが割れた。暫くして、当分生ウニを食べたなら嘔くだろう、と思った。危険なカモメが空に舞っていて、岩壁を心が船虫のように散っていった。
 そこで、ダダの夢が醒め、自分が二人をどこへも連れ出さず、何ものをも見出す手がかりを与えないまま夢が中断したので、薬への誘惑を覚えた。破れた心でいた。

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 n 間氷期(:○目次↑前章↓次章

 夢が本当に悪夢になろうとするとき、眼は醒めるものだ。死もそうであるだろう。そこで〈永遠〉に醒める。しかし、醒めたところが、また悪夢でもあり得る。死そのものであるかも知れない。いやな朝だ。まだ六時十五分である。わたしは枕許に備えたこの日記を書きにかかった。夢を否定したいが、それはかなわぬ望みである。夢の中のブローニー神父は、初めて出会ったころの、二十年まえの風貌でいた。タダユウコさんもそうだった。わたしは痛悔し、罪の赦しを乞うた。そして、今日は主の安息日、日曜日である。だが、〈汝、安息日を聖とすべきことおぼゆべし〉今日はミサにあずかる気持がない。
 これを書いている自分にうんざりしている。およそ正当化を求めない人間がいるだろうか。苦しいことを説明し、これを正当化したがる。一体、何になるというのだ。もっともどんな種類の苦しみにしても、この世を超えていくものがある、そう信じてもよい、これはゆるされている考えなのだ、と思いたい。ところが、数日まえ会いに行ったブローニー神父の返事の言葉を思い出した。
「口に出して言えることに、ロクなことはありはしませんよ。それはね、もう誰かが言ったことか、書いたことにしか、すぎないんです」
 わたしは薬を減らそうと、死力を尽しているが、自らをうながしているのは、廃人、そして死への恐怖である。意志でもなければ、希望でもない、と思う。わたしが最も多く薬を用いたときはビタミン剤、胃薬、抗鬱剤の副作用の一つである便秘を防ぐ薬を別として、八種類の薬を服用していた。当時の薬の残りに、バルビタール0.5mgの散薬が一包ある。この一包と最近になって使いはじめた錠剤をあわせて嚥めば、少なくとも再び三、四時間は眠れるだろう。おそらくわたしの眠りへの異常な執着は、何かに結びついている。こうして日記を書くのは、わたしに訪れてきている記憶の欠落への防止策である。そして、記憶にこだわるのは、無意識の死への拒絶だろう。それでいて、眠りたい。生きながら眠っていたい。眠りながら生きていたい。
 頭がおかしくなってきた。日記を持って、階下へ降りよう。
 缶詰を開け、グレープフルーツのジュースを飲んだ。コーヒーを沸かそう。家人が眠っているので、そっと雨戸を開けた。空を見上げると、こんな考えが訪れた。午前六時四十分。わたしは、日一日と時を追って、この世から立ち去ろうとしている。その一日が、今日も始まろうとしている。しかし、この考えは美的で、感傷的なものだ。その考えは、わたしの内部にある真実のおびえを偽っている。わたしは、決して晴れた日の公園を横切るように、わたしの残りの〈生〉を過ごせないだろう。午前七時。コーヒーを飲んだ。四肢の麻痺感。唇辺のしびれ。躯が揺れ、例によって歯ぎしりをはじめている。今朝、お祈りを忘れていた。本当の祈りとは、いまだ誰も口にせず、書けずに過ごされてきて、永遠にそうであるだろうところの渇いた魂の呼びかけだ。
 ベートーヴェンの「ミサ・ソレニムス」を聴こう。〈アニュス・デイ〉のところだけに限ろう。今朝は、とても全曲に耐えられない。カラヤンの指揮、一九六六年二月二十一日から二十八日までにわたって、ベルリンのイエス・キリスト教会で録音された二枚組の盤。わたしは録音された三年後にこの盤を手にした。そして、それから二十年が過ぎた。当時、カラヤンはまだ六十二歳だった。このカラヤン盤を買った店、その日のこと、お店の人の顔が思い出せる。モノラルであったから避けたわけではないが、ベーム盤を買わず、トスカニーニ、バーンスタインでもなく、何故、カラヤンを買ったのだろう。
 このあと、わたしはカルロ・マリア・ジュリーニのニューヨーク・フィル盤を買った。だが、これは明澄に過ぎた。一度聴いただけである。晴れた夏の朝の色に充ちているが、今朝も耳を傾けようとは思わぬ。カラヤン、ベルリン・フィル盤を取り出し、わたしは何年振りでこれを聴くのだろうか、と考えていて、胸をつかれた。ベートーヴェンがこの曲にとりかかったのは、その生涯でも、最も悲惨な時期だった。完成したのは五十三歳の年。
 彼はこのあと四年しか生きられず、春の夕べ、雷鳴の轟きの中で死んだ。あと四年……、わたしは生きられるだろうか。ファゴット、ホルン、弦楽器が静かに鳴り出して、ヴァルター・ベリーのバスが歌いはじめる。アルト、クリスタ・ルートヴイッヒ、テナーのフリッツ・ヴンダーリッヒが加わる。彼は若かったが、この録音のあと、わずか三カ月しか生きていられないことを知らなかった。〈アニュス・デイ〉――神の小羊のラテン語の歌詞は、今日、聖体拝領のまえに歌われる〈平和の賛歌〉である。歌わず唱えるだけの場合もある。
神の小羊 世の罪を除きたもう主よ、我らをあわれみたまえ″
神の小羊 世の罪を除きたもう主よ、我らに平和を与えたまえ″
 わたしは六年間、薬を嚥んできて、まだすっかりやめられないでいる。この歳月の間の多くのことを忘れているのは、わたしという人間がそれだけ死んでいるのだ。わたしはいま、既に歳老いてしまっているのだろうか。あるいは今朝、この〈アニュス・デイ〉の、たとえようもなく悲しく美しい曲を聴いているときは、わたしにとって最も若い日であり、誕生日であり、出発点なのだろうか。わたしは歯ぎしりをしながら考えている。考えているそこのところだけが明るい。そのまわりを記憶の欠落の暗黒が取り巻いている。
 ソプラノのグンドゥラ・ヤノヴィッツが歌い出した。その声がわたしに教える。もうほかに何もない、などと考えるな。絶望することが出来るって? 素晴しいではないか。
 絶望を、およそ知らぬ人間がいる。いま教会のマツナリ君のことを思い出した。マツナリ君はミータンと同い歳だが、まだ独身である。ここ二、三年、何故かあまり見かけなくなったが、健在だと思う。おそらく今日の九時半からのミサに来るだろう。
 わたしたちの教会にマツナリ君が姿を現わしたのは、いまから丁度二十年まえだった。ブローニー神父が司祭をつとめているころで、毎水曜日の夜、「公教要理」の講座を受け持っていた。もちろんタダユウコさんもいた。当時、この講座はサロン的雰囲気があり、テキストは「公教要理」ではなく、「聖書の教え」という新書判サイズの、結構分厚い本だった。信者もいれば、未信者もいた。ほとんど二十代の人たちばかりだった。マツナリ君は二十六歳で、運送会社の梱包係をしている、と自己紹介をしたが、ミータンより頭ひとつ背が低く、躯付きは華奢だった。ある私大の農学部出身と分って、皆の関心があつまった。とてもそんなふうに見えなかった。
 顔色は浅黒くはあったが小造りで、髪は性来、縮れていた。よく光る黒い眼をしていながら、視線はほとんど動かなかった。遠いところから電車で来ていた。講座が三回重ねられたあいだに、たちまち判明したのはマツナリ君の抜群の記憶力と、きわめつきの音痴という事実だった。マツナリ君は、日本の百近い歌曲をそらんじていて歌えるのだが、それは非常に困った代物だった。厳格なブローニー神父が笑いをこらえる顔は、見物《みもの》だった。マツナリ君はわたしたちの教会が気に入った。そのころ、教会は大変開放的だった。信者同士、あるいは信者と神父との間の確執、信者間のヒエラルキーなど無かった。困ったことといえば、聖堂は三百六十五日、二十四時間、扉が開かれていて、いつ誰がお祈りにきてもいい場所であったが、どこかの若い、ときにはあまり若くもない男女の密会の場として利用されている現場に遭遇する時くらいのものだった。
 二年後、忘れもしない一九七一年四月十日、聖土曜日の夜のミサで、マツナリ君は受洗し、キリスト教史最初の殉教者ステファノの名を霊名、洗礼名としてもらい初聖体にあずかった。思うに、この二年間が現在四十六歳である彼の生涯のうちで、最も幸福な時期ではなかっただろうか。今朝、真夏の朝の輝きの中にあって〈アニュス・デイ〉を聴きながら、信者にとって一番のお祝いの日、復活祭の頃、桜の花とともに笑っているマツナリ君、クリスマス・イヴの日は深夜ミサにもあずかって、暖房の効く信者会館のベビーサークルの中で泊っていくマツナリ君を思い出す。彼は敬虔だった。跪座に近い姿勢で聖体拝領の列に加わって、たしなめられたことがあった。
 大きな声で聖歌を歌い――例の調子で――信仰宣言を唱え、主の祈りを唱和する。歌ミサのとき、彼の存在は際立った。そして、聖歌隊の一員となった。といっても、マツナリ君は心得ていたのか、正式に一員としてもらえなかったのか、後方で口を動かしているだけだった。いつの頃からだったか、マツナリ君は、そこからも退去した。声も小さくなった。彼の習慣はミサのあと、聖堂前や信者会館での団欒で信者各自を眼のまえにして、安否を尋ねることだった。マツナリ君は誰の名も生年月日も、会社や在学の校名、幸不幸もよく覚えていた。しかし、少々、閉口なのは、同一事を反復して尋ねることだった。歳月が過ぎるうちに、信者の移り変わりがある。
 マツナリ君は忘れられていった。と同時に、教会から若さが失われてしまった。若さというか、柔軟な心が失われた。開放的でなくなった。聖堂に夜、鍵がかかり、鉄柵が出来た。ブローニー神父が教会から去り、二代、三代と主任司祭が変わるにつれて、その傾向が出てきた。決して神父に責任があるのではなかった。何だか事情がよく分からないのだが、教会へは暇とお金のある人間しか寄りつけない様子になってきた。広い聖堂前の庭は駐車場と化した。いまは、あたりがあまりにも豊かであるから、実際、身も心も貧しい人々は、それが自らの傲慢の変型であると知りながらも、恥じらいのうちに、足が遠のく。不思議ではあった。厳しいブローニー神父時代に、信仰の花は生々と自由に良く咲いたのである。
 つまり、こうだ。わたしにはマツナリ君が教会に悦びを見出していたときの気持が分かる。マツナリ君は感じていた。教会にいると、自分の命が自分だけのものではなく、共有されてあるものだ、と思えた。そうすると、自分の嘲けりの的であった特異さも共有されている。しかも、その共有自体が何ものかによって、しっかりと共有されている。つまり、教会はキリストを頭とする肢体、信仰の共同体などとむつかしいことを言わなくとも、それが素直に信じられる。自分はひとりで生きているのでもなければ、人生を眺めているだけの人間でもない。人とのかかわりにおいて、存在している。その自分の心の地底深いところで、ここ、教会の外は損われた世界であるからこそ、救いが約束されていると信じられる。希望とは根拠がないからこそ、望みを託せるもののことであり、計算にたけた人間に、真実の希望の力は湧き出ずることなどはないであろう。
 マツナリ君は計算しなかった。それでも心は育って、生活を考えた。マツナリ君は四十歳になって、教会へ来る女性の幾人かへ求婚の意志表示をした。もしかしたら、幾人かと言うのは控え目の表現であるかも知れない。マツナリ君は貯金もし、両親に幾許かの小遣いを渡せるようになっていた。共稼ぎならばやっていけそうだった。マツナリ君は一度、痔の手術をしたほかは、風邪もひかない。縮れた髪が幾分、茶色っぽくなってきて、顔はますます浅黒くなり、干からびてきたが、世間の中年にありがちな、いやらしく脂ぎり、腹など突き出る体型になってはいなかった。マツナリ君は酒や煙草に手を出したことがない。コーヒーも飲まない。彼にはつつましく、信仰に悦びを見出す家庭が築けると、断言は出来ないにしてもその資格はある。伴侶の助けがあれば充分資格があった。だが、応えはなく、皮肉な笑いのこもった囁きが教会中を駆けめぐった。
 マツナリ君は求婚を一時中止した。まだ諦めていなかったが、彼が話しかけ、これに答える人の数は少なくなった。このまえ、わたしたちが教会へ行った帰り、マツナリ君は暫く話しかけながら尾いてきて、それからまた信者会館へ急ぎ足で戻っていった。わたしは、いま妙なことを考えた。マツナリ君がわたしたちの教会へ姿を現わさなくなったなら、(そんなことは断じてないだろうが)わたしたちも教会を去ろう。一匹の羊を失ったとき、その教会の命は絶える。〈アニュス・デイ〉が終った。わたしは何気なく壁にかけたカレンダーを見た。毎月ごとに聖書の言葉が出ているのだが、いま七月は、コロサイ人への手紙、第三章十三節になっている。互いに忍び合い、不満があっても赦し合いなさい″わたしの眼に信者会館の片隅で、書棚から児童向けの読み物を抽き出して膝の上に置き、あちらこちらでの談笑をそっとうかがっているマツナリ君の姿が見えた。待っている人間。教会へ行きたい、と思った。赦しの秘蹟にあずかる時間がある。幸い、ジュースとコーヒー以外に食べ物は摂っていない。聖体拝領一時間前まで、水以外のものを摂ってはならなかったが、いまから一切を断てば充分だ、と狂的なことを考えた。
 しかし、わたしはあきらめた。ミサは一時間かかる。ミサが終わるのは、十時半、ときには十一時近くになることもある。薬を嚥まずに人前へは出て行けぬだろう。薬によってミサにあずかるのは、ゆるされない。だが、いままでわたしは病気を理由として、これにあずかってきたではないか。ところが今朝、醒めている。自省がある。やがて、自らを薬なくしては抑え切れぬ自分を知っている。
 頭がしんしんと鳴っている。躯が薬を欲しがっていた。左手は肩口のところからしびれている。躯中の筋肉がそれぞれのところで収縮していた。息がはずむ。深い呼吸が出来なくて、鼻先で息をしている。躯がよじれ踊り出した。耳鳴りがしている。いま八時五分。二階でノエが起き出した気配である。起き出してから水分を大量に摂取しているのに、トイレへ行かない。躯が揺れ出した。嗅覚異常がはじまり、あたりに血の臭いがしている。そのうち頚骨と第五腰椎骨が支点になって、例の全身の血管の網を引きしぼるような感覚が襲ってきた。それでも争う気持があって、立ち上った。歩くのが困難である。舞踏病がどんな病気であるか知らぬが、足がひとりでに踊り出してくる。わたしは家族が起き出してくるまえに、この躯の状態を静めておきたい。折角の日曜日である。これを理由に、わたしは一日許容量一杯の薬を嚥んだ。午前八時十分。やや熱めの温湯で服用。経口薬であって注射ではないから、ただちに効くはずはないのだが、躯の諸症状が息をひそめてきた。やがて眠りがくるだろう。わたしは眠りが永く続くことを望んでいる。暑さも、つい先程、こんなに早くから室内27℃を越えたのでエア・コンを入れたが、その冷気すら感じないだろう。

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 o 水の椅子(:○目次↑前章↓次章

 二階で、ミショウが珍しくノエとふたりきりで話をしていた。ミショウはノエの部屋にいて、彼女がこしらえた朝食を摂っている。ミータンはこのところの疲れが出て、まだ、眠っている。ミショウが、ホット・ケーキにバターを山ほど載せ、メープル・シロップをかけながら言った。それぞれの膝許にバナナを冷凍庫で凍らせた一本がある。バナナは皮を剥いて凍らせると、夏の朝には、おいしいデザートになる。
「ミータン、どんな調子?」
「さっき覗きにいったら、病気したひとのように眠っている」
「ダダは?」
「階下《した》で寝ている、食卓の上でうつぶせになっているの」
「この部屋のエア・コン、というより旧式クーラーと言ったほうがいいかな、凄い轟音をたてるな」
「コーヒーもう一杯?」
「何しろ寝たのが、今朝四時だからね」
「いい調子?」
「よくない。全然元気が出ない。泥海の中で泥亀どもが、もがきあっている。この汚い世界を見捨てたくなった」
「困るわ、勉強止めてどうするの」
「乾いた岸辺を歩いて、どこまで行けるか試したくなった」
「分かんない」
「何?」
「ワカラナイ」
「ブラバン、今日休みか?」
「お昼から練習。コンクールまで十日も無いの」
「うらやましい。一生懸命になれるなんて」
「どうしたの? イッタイ」
「ダダ、ほんとうに大丈夫かな」
「大丈夫でなければどうするのよ?」
「眼もあやしくなってきている」
「眼が悪い、知ってるヨ」
「白内障は分っている。でも、ガンアツが高い」
「ガンアツ?」
「眼圧」
「何?」
「緑内障のほうが、恐いんだ」
「どうして、そんなことになったノ?」
「抗鬱剤の副作用だよ、図書館にもぐりこんで調べた」
「耳も悪くなるのかしら」
「何だ?」
「レコード、がんがん、今朝鳴っていたもの」
「さあ、それは知らん。ルカによる福音書だったかな、あなたの眼が澄んでいるならば、全身も明るいが、眼が悪ければ躯も暗い″。なんだか皮肉だよ」
「今日は、ミサに行かないのネ」
「ああ、ここの家はダダが行かないとなると、誰も行かない。実に不思議だ」
「ミショウがお侍者《じしゃ》してたなんて、フシギ」
「ノエだって聖歌隊で先唱したり、ホスチアと葡萄酒を運んだりしたじゃないか」
「フシギばかり」
「まったくだ、去年の教会の中高校生会のクリスマス・パーティの会費が二千円。プレゼント代が五百円。米一合持参のことときた」
「ノエのお洗濯、アルバイト五回分よ。おミサ、ファッション・ショウみたいになってきたわネ」
「ひがむな。もっと楽しい話しよう、カトリックは、去るもの追わずの美徳を備えているんだ」
「去るの?」
「誰がそんなこと言った?」
「え?」
「ダダ信じてるのかな」
「尋ねてみた?」
「ないネ」
「ドウシテ?」
「必要感じないから」
「そう?」
「見ていりゃ分かるだろう。何故訊く?」
「あんまり幸福ではナイカラ」
「関係無いだろう? そんなこと。いいから、楽しい話しよう。ないかな?」
「無イノ」
「なんだ、今朝にかぎってノエらしくないぞ」
「〈スイッチド・オン・バッハ〉聴く? CDレンタルしたの」
「ジャン・ミシェール・ジャールじゃなかったかな? 古い」
「違うヨ。〈磁界〉聴く?」
「ますます古い」
「じゃ、ファイブ・ブラインドボーイズの〈アイル・ゴー〉は?」
「うわっ、ゴスペルか」
「か、とはナニよ」
「親子相和スルワケダナ。シンコウハ、ムード、デハナイゾ」
「ビデオ借りに行かない?」
「いいね。〈二十世紀少年読本〉〈エレファント・マン〉〈ロッキーホラーピクチュアーショー〉〈パラダイス・ビュー〉〈ファニーとアレクサンデル〉みんな借りておいで。〈夢で逢いましょう〉もいい」
「キチガイ」
「いいじゃないか。〈夢見るように眠りたい〉も借りておいで。〈ブルーベルベット〉〈イレイザーヘッド〉も」
「マスマス、キ・チ・ガ・イ」
「冨田大先生の〈大峡谷〉いいぞ」
「あら、シンセサイザー好きなの?」
「まあね」
「彫刻や名絵画のレンタルないかな。ロダンの〈考える人〉、でん、と置いたりして。宅配便で。ミケランジェロの〈システィナ〉――「最後の審判」飾ったら、どうする? そうだ、思い出した。コミックだけれど、藤山鷲太郎の『名探偵 茶本義助』は稀に見るケッサクだよ。林 海象よりいいかもね。懐かしいな。ひくひく泣きたくなる。かんかん帽子かぶって、眼鏡、不精ヒゲ、あれ白絣《しろがすり》と言うんだろ、着物、縞の袴姿とくる。いざというときには、銭形平次じゃないよ、銭のかわりに、必殺の下駄をぶんと投げるんだ」
「ここの家、分裂病の家系かしら」
「まったくだ。告解しなければ。でも、今朝のような日、神さまにお会いするより、空眺めていたほうがいいな」
「ダイアナ・ロスどう思う?」
「あと百年くらいしたら、日本にでも生まれてくるかな」
「ミショウ、政治か経済勉強するのでしょ?」
「いや」
「変更した?」
「ああ、哲学やる」
「テツガタでナニやるノ」
「美学」
「どうして、また?」
「誰もやりそうにないからな」
「お金モウカラナイヨ」
「いいんだ。今のツイデダ。ダイアナ・ロスについて卒論を書く」
「ソノ話ウケナイヨ」
「ソウカ」
「ダダノコト、書イタラ?」
「※[#「!?」]……」
「コーヒー、もう一杯飲みなさいよ」
 ノエとミショウが話をしている間に、ミータンは起き出している。ダダは位置を変え、床に坐りこみ、椅子に額を付けて眠っていた。
「このままだと、この家沈没だわ」
 ミータンが呟いた。

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 p 幽夏(:○目次↑前章↓次章

 今日、ぼくは自分の父が想像を絶する人間である、という発見をした。ぼくたちの家には、異形の他人がいる。青天の霹靂だった。これまで父を見てきた。父について考えないでもなかった。父をまったく知らずに過ごしてきた、といえば、ぼくは自らを偽るし、また愚か者呼ばわりをされても、仕方がないだろう。
 社会一般の通念において、人間、かつ父として見るとき、いささか常軌を逸している、と理解していた。しかし、血縁の眼は曇る。つい、最近、母からして、長く共に暮らしてきたので、父が分からなくなっている、と言った。それは、率直な感想であるに違いない。同時に、ぼくはそこに母の父に対する弁護と、ぼくたちへのいたわりと、母自身の矜持を感じる。我《わ》が小兒《せうに》たりし時《とき》は、語《かた》ることも小兒《せうに》の如《ごと》く、判斷《はんだん》することも小兒《せうに》の如《ごと》く、考《かんが》ふることも小兒《せうに》の如くなりしかど、大人となりては小兒《せうに》の事《こと》を棄《す》てたり″
 これはぼくが好きなエ・ラゲ訳の「コリント前書」第十三章十一節からの引用である。幼き者の舌をなお捨て難いが、ぼくは最早、子供ではない。あと一カ月もすれば、ぼくは既に十九歳となる。ここまで記して手がもつれる。妹や兄、母を相手に話をするような訳には参らぬ。無理を承知で書きはじめたからである。懐古趣味が邪魔をする。
 わが家に化物が俳徊している。自我主義というひとつの化物が。いや、これは何かの本の書き出しの模倣になってきた。構うことはあるまい。それがどうした。しかし、くたびれる。殊にそそのかされて、こんな始末になった。されば、地でわが道を行かむとする。一将功成って万骨枯る。また悪い癖が出てきた。しかも、万骨枯れて功成ったふうは一向にない。素直になろう。
 ぼくの父は、いつの日からか父でなくなった。ひとりの人間としても、あまり感心できない。まるで違った異様な存在になってしまった。どのようにして、こうなったか考えるのは苦しい。どうせ苦しい思いをするのならば、単純にありのままの父に直面してみよう。まず、かなうことならば生涯口にせず、書き記す愚かさもおかさず、神さまの前に出て行こう、と思っていた。それをあえてくつがえすのは、いま、自分の中に父がいて、父の中にぼくがいると感じたからだ。これは、重要事項、後において、熟考するべし。
 昨年の八月、父が狂った。母は妹を連れて郷里に帰った。兄は会社の寮にいて、ぼくは大学受験のための勉強があったし、父は仕事の予定があって、ともに残り、共同生活をはじめた。二日目の夕刻、父は洒を飲み過ごした。翌朝、ぼくが起きてくると、ビールを飲んでいた。珍しくはなかった。迎え酒をしている。母に電話で言いつけるよ、と憎まれ口をきいてみたが、父は機嫌よく笑っていた。
 夕刻、勉強から帰ってくると、夏の暑い日であるにもかかわらず、チャンコ鍋をつくり、ウイスキーの水割りを飲んでいた。気分は良さそうで、ぼくに笑顔を見せた。このところ痩せてきた、その顔にぼくは不安を感じた。アルコール度の弱い酒から、強い酒へ移っていくのは悪い兆候だった。悪酔いで、必ずダウンするからだ。
 夜中の二時頃、ぼくは寝ようと思って、階下へ降りていくと、そんな時間に父は誰かと電話で話をしていた。大きな声だったが、きちんとした喋り方で、変なところはなかった。片手にウイスキーのグラスがあった。ぼくはメモ用紙に、寝るよ、飲み過ぎないで、と書いて、父に見せた。父は、見えない相手に向ってなおも喋りながら、グラスを置き、メモ用紙を取ると、ひらひら振って、うなずいた。その瞬間、受話器から発信音を聞いたような気がしたが、あまりにもまともな様子なので、ぼくは眠りに二階へ上った。大学時代の友人と話でもしているようだった。
 次の朝、父は電話のそばで眠っていた。エア・コンは22℃を表示していた。わが家のエア・コンは、この温度以下にはならない仕組みになっている。父の枕許の、と言っても、クッションだが、そばに白い円型の錠剤が一粒落ちていた。糖衣錠ではなかった。そっと拾い上げてみると、直径約五ミリ、扁平で、表面というべきか裏というべきか、片面に半量服用のため、あるいはデザインであろうか、線が入っている。そして、CG202と刻印があった。
 ぼくは、いやに白い錠剤が気になった。時計を見ると、八時になっている。兄には電話が出来ない時間だった。ぼくは母へ、長距離電話をかけた。母は心配そうな声ではあったが、もうすこし様子を見てね、と言った。ぼくは、エア・コンのタイマーを二時間に合わせておいて、出かけた。
 お昼の十二時、ぼくは家へ電話をかけた。二十回コールしたが、父は出ない。ぼくは四十五分後、直行で帰宅した。用心のために鍵をかけておいた。冗談のつもりでチャイムのボタンを押した。いない。しかし、エア・コンのファンはまわっていた。
 家へ入ると、父が好きなルービンシュタインのピアノで、チャイコフスキーの〈ピアノ三重奏曲イ短調・偉大な芸術家の思い出〉が鳴っている。ヴァイオリンはハイフェッツ、チェロは、ピアティゴルスキーのテープだった。甘いメランコリックな曲だ。父はルービンシュタインを愛していたが、この憂愁の曲は大嫌いなはずだった。カラオケで演歌を唱われている気持になると、ひどいことを言っていたものだ。玄関口には、異臭が漂っていた。
 ただいま、元気? と言いながら客間に入ると、父はいなかった。服、下着が脱ぎ散らされている。ウンコがあちらこちらに落ちている。ウイスキーのグラスが割れていた。血が床に散っている。気配がするので、台所へ行った。父は台所の廊下にお米を一杯にばらまいて、素っ裸で坐っていた。躯中、血だらけで、下半身はウンコで汚れていた。どうしたの? ぼくが分かる? と尋ねた。眼が据っている。ぼくはただちに救急車を呼ぼう、と決心した。
 父はもうこの段階で、神経が完全におかしくなっていたはずだった。それなのに、ぼくの決心を見抜いていた。非常に静かで、優しい声を出して、言った。殺すよ、救急車や人を呼んだら、おまえを殺すよ。
 ぼくに一体、何が出来たろう。用心をしながら右手を出した。父は、ぼくの手にすがってよろよろ立ち上った。父の裸を見て驚いた。腕、脚の筋肉はすっかり落ちて、八十近い老人の躯に見えた。トイレに連れて行ってくれ、と言った。そっと手を引いた。だが、間に合わなかった。垂らしてしまった。腰のまわりには、漢方医が腎虚帯と呼ぶ、どす黒い皮膚の彼の寄った硬化帯が出ていた。
 エア・コンは廊下には及ばず、息がつまりそうだった。何より嘔きたかった。現場放棄をして逃げ出したかった。出来なかった。父の手を引いて、風呂場へ連れていった。下手に拭き、薬を塗るより、流れる水で、どんどん洗ったほうがいい、と考えた。風呂場へ連れてはいろうとすると、突然、父が暴れはじめた。狭い台所がめちゃめちゃになった。
父の体力は一分間も保たなかった。ぼくは父の躯を洗った。下着を探し出して、着せた。着物のほうが着せやすかった。ところが角帯の結び方を、ぼくはまだ教わっていない。仕方がないので兵児帯でごまかした。躯中の傷口には薬を塗らなかった。エタノールもオキシフルも刺激するので止した。救急箱から、誰かが医師からもらって嚥み残してあった抗生物質を取り出して、嚥ませた。胃薬を口に放り込んだ。居間もひどくなっていたが、汚れていなかったので、父を坐らせた。
 エア・コンをとめ、窓を開け放った。父が向精神薬の類いを、どこへ置いているのか知らなかった。トランキライザーか、睡眠薬が見付かれば眠らせておいて、処置を兄なり母と相談が出来た。通院している病院を知っているので、医師の指示を仰ぐことも出来た。ぼくは父に尋ねたが、虚ろな眼をして答えなかった。どうも見慣れた急性アルコール中毒の症状と違う。
 眼が離せない。電話が出来ない。ぼくに出来たことは、台所に置いてあった飲み残しのウイスキーを、流しに捨てる判断だった。缶ビールも空にして、わざわざ並べた。隠すと探し出す。
 空になっているのを見れば、この精神状態では納得するだろう。すっかり飲んじまった、と。ぼくが期待していたのは、父のことだから、酒を飲みたがって、使いに出すに決っている。そうなれば、街頭の公衆電話で緊急電話が可能になる。
 ぼくは朝、急いでいたので食事をしていなかった。昼も食べそこねていた。客間、台所の汚物をとにかく片付けねばならない。その前にジュースを飲もうと、冷蔵庫を開けた。手が汚物でべっとりとした。それ以上に驚いたのは、父が普段読んでいるエルサレム版の聖書と、靴がはいっていたのを見たときだった。考えこみ、手を洗って、一度、居間に急いで戻る間に、一分、か二分か経過していた。父はおとなしく坐っていた。
 ただ、いぶかしかったのは、テープを反転させて、同じくルービンシュタインで、この人が八十歳の時の演奏、ベートーヴェンの〈ピアノ協奏曲二番〉がかかっていた。オートリヴァースではないので、いつのまに反転させたのだろう、とあやしんだ。父はどう思っているのか知らないが、地味な曲でも、ぼくは好きだった。明るい。優しい愁いが、すこしこもっていても、良い。
 父に、どう? 何か欲しいものある? と尋ねた。水、と言った。おや、先程出してあったのに飲んだのだな、と思って、また汲んできた。ぼくは自分の服も汚れたので、着替えた。三十分ほどすると、父の顔に生気が戻ってきた。すまんな、と父が言った。ぼくは、病院へ行こうか、と尋ねてみた。父は断固として、その必要はないよ、と答えた。そして、母が何時に帰ってくるか、と尋ねた。母と妹は郷里へ行っているじゃないの、と言うと、解せない顔をいっとき見せたが、次に柔らかな眼になって、言った。そうか? それから、予期していたとおりの言葉を口にした。寿司とビールを買ってきてくれ、もう大丈夫、心配するな、と言った。ぼくは、あれこれ、意味もない冗談を聞かせて、五分ほど様子を見ていた。大事はなかろう、と信じられたので、寿司二折りと缶ビール500mlを二本買いに出ると約束して、表へ出た。急ぐので自転車を飛ばした。兄には連絡が付かなかった。母が電話に出た。妹を置いて、これから航空便の、多分、キャンセル待ちで帰る、まさかの場合は、とにかく救急車、がんばってね、と言った。午後二時半になっていた。
 都合よく間にあって、空路を辿ると電車、歩行の時間を入れて、三時間半以内に帰ってこれる。家へ帰ると、父の顔に笑顔が浮かんでいた。はにかんでいたが、元気を取り戻している。父はビールを一缶飲み、寿司を食べながら、ぼくに言った。とうとう、わたしは死人になったよ。ぼくは、どうして? と尋ねた。おまえ、清拭をして、左前に着物を、ほら、このとおり着せてくれたじゃないか、帯を立て結びにするのは忘れたようだが、と言った。事実、父はその日を境に死んだようなものだが……。
 緊急時、失敗をやってしまったからには、仕方がない。あと、そうだ、夕刻六時には母が戻ってきているはずだと考えて、着物を着替えずにいる父とその日初めての食事をした。父の顔に血の気が戻ってきた。ひどく快活になっていた。ビール一缶が誘い水になって、酔いを呼び戻した感じでもなかった。父は、ぼくにマイルス・デイビス、デイブ・ブルーベック、セロニアス・モンク、デューク・エリントン、ルイ・アームストロングの盤を揃えてくれ、と頼んだ。薄気味悪かった。いずれのライブ盤も有る、とは知っていた。
 一応、揃えた。窓を閉め切り、エア・コンを再び動かしておいて、二階へ上った。そこまで父は回復していた。三時四十分だった。それから一時間が過ぎた。階下のスピーカーが響いていた。ぼくは、エア・コンが嫌いだった。それで窓を開けておいた。外気はせいぜい31℃くらいだったが、風がなく、二階の部屋は暑気がこもって、オーブンの中にいるようだった。ブリーフ一枚でいても、汗が流れた。
 油断をしていた。ぼくはしくじった。不意に獣の吼えるような、すさまじい声がベランダから聞こえてきた。ぼくは父が抗鬱剤、トランキライザー、睡眠薬を常用している、とは知っていたが、中枢神経興奮薬の乱用を知らずにいた。この薬自体、乱用は恐るべきもので、玉手箱の煙を吸うようなものであるが、抗鬱剤との併用は、なお危険きわまる。ぼくが知っている程度の知識を、父が知らぬはずはない。それをやっていたのだ。これはまったく謎だ。
 汝、殺すなかれ。〈主の十誡〉の第五誡は他者を殺すことをのみ禁じているのではない。自殺をもいましめている。父は、自殺行為をおかしていたのだ。この薬が欲しくて、医師のもとをめぐり、狂死したひとがいる、とこれもあとで知った。錠剤は水に溶けやすく、静脈注射をすると、効果が早くあらわれる。不良がこれをやる。
 ぼくが拾い上げた錠剤、実はこれがその薬だった。友人に悪いヤツがいて、教えられたのは、鬱のてっとり早い解消薬であると同時に、宿酔の妙薬なのだそうだ。宿酔性鬱状態、倦怠感、嘔気をたちまち取り去り、爽かな気分をもたらすという。ただ、乱用していると、量が増えると同時に、薬効が薄れるときに、強烈な不安感が襲ってきて、これを抑えるには、睡眠薬、トランキライザー、飲酒、泥酔が必要になるらしい。ここで再び宿酔がきて、また中枢神経興奮薬を嚥む。もう地獄である。
 ベランダで父は素っ裸のまま、オシッコスルゾ、と叫んだ。近所の人々が集まり、路に立って見上げていた。ぼくは父を横抱きにかかえて、部屋へはいった。藁人形のように軽かった。二階の部屋で、放り出しておくわけにはいかない。階段では、背負った。階下はひどかった。
 人間は一体、その体内にどれほどの汚物を溜めているのだろう。ひどかった。母はまさかのときには、救急車を呼んで、と言った。さいわい父はふらふら躯を揺らしながら、二缶目のビールを飲んでいた。しかし、ぼくには、もうその気力がなかった。父には、ぼくと争って、飲み続ける気迫もなければ、体力もない、と知っていながら、ぼくは何もしなかった。
 奇妙だったのは、居間の祭壇で蝋燭が点っている風景だった。木彫りのイエスは、悲しげにうなだれ給うておられた。ぼくは逃亡したのではない。神さまは、父という壊れかけた器に、何をそそぎ、どんなことをなさろうとするのか、見ようと思った。考えてみると、近所の人たちは薄情だった。通報はなく、パトカーも救急車も来なかった。様子をうかがいに来る人は、ついぞ現われなかった。
 父は旧約聖書の「詩篇」の暗誦をはじめた。ぼくは父が、旧新約聖書の引用は自在であることを、知っていた。その思想、ドラマ、おそらく言葉の表現方法、比喩のすべてをここに頼っている。ぼくは、父の文章を読まない。兄がいつか、ぼくの試みを早くに見付けて、禁じたからだ。真剣な眼を向けたので、ぼくは今日現在も読んでいない。いずれ時が解決するだろう。何か訳がある。これは、重要事項、後において、熟考するべし。
 しかし、父の文章については、想像がついていた。それが一層はっきりした。かつて、ルターが「小さな聖書」と呼んだ詩篇全篇を順に暗誦していた。父が唱えているのは、恐らくバルバロ訳だ、と推測がついた。日本語訳の上手下手は別にして、暖かな人柄がにじみ出ている、と言って、父はバルバロ訳が好きだった。しばしばフランス語訳からの重訳、と誤解されているらしい英文エルサレム版が、父の聖書ではあったものの、これは一九七〇年版で、まだなじんで二十年に満たない。ブローニー神父が、父にこの英語の美しさを教えたようだが、ぼくも覗いてみたものの、見当はつかなかった。
 とにかく父の暗記力に驚いた。糞尿にまみれながら、父は大声で諳んじ続けた。時々、メタルパックの錠剤をむしっては、口に入れていた。朝に見かけた薬とは別種のものだった。ぼくは止めなかった。ぼくはイエスの言葉を思い出した。あなたがたは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている″イエスが父を守ってくださるだろう。父ばかりではない、ぼくたち一家も。ところが、ぼくはただちに、この言葉の前文を思い出した。確かめようと思って、二階へ駆け上った。「ヨハネによる福音書」第十六章と分っていたので、辿ってみると、こうあった。あなたがたは今信じているのか。見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ家に帰り、わたしをひとりだけ残すときが来るであろう。いや、すでに来ている……″ぼくは聖書をねじ曲げて読みとっていて、これはコンテキストを間違えていた。だが、その時の状況では仕方がなかった。父ですら文脈をほしいままに、お喋りのときに使う。祭壇の蝋燭が燃え尽きた。ぼくは恐ろしい修羅場に取り残された。
 ブレーカーの中でヒューズが飛んだ。父は力がつきた。崩折れると、そのまま昏睡がきた。母は夜八時、空路を飛んで帰ってきた。ぼくはこの日、母がものすごく強い女性である、と知った。救急車を呼ばなかった。医師も呼ばなかった。兄へ電話もしなかった。母はいやがる父に、ぬるい湯を風呂桶一杯分くらい飲ませた。ビタミン剤のカプセルを十個もふくませ、これを飲ませてしまった。
 明くる朝、ぼくが起きてくると、父は階下で安らかに眠り、家の中はきちんと元通りになっていた。おいしそうなコーヒーの匂い、トーストの香り、サラダドレッシングの爽かなにおいが漂い、このところ人気が戻ってきたロベール・カサドシュのモーツァルト・ピアノコンチェルト二十六番〈コロネーション〉が鳴っていた。弁証法神学者カール・バルトが、老いてなお毎朝欠かさず聴いたと記しているモーツァルトのピアノコンチェルト! もしも神さまがバッハとモーツァルトのいずれをお気に召すかと言えば、ことのほか悦びたまうのは、音楽の神学者バッハではなく、純粋無雑なモーツァルトであろう、と彼は書いている。ぼくには、すこし異論があるけれど、その朝、ぼくはバルトに黙礼した。この朝のカサドシュは、ギーゼキング盤に優った。
 母は翌日、父を病院へ連れて行った。夕刻、家へ帰ってきた父は重湯を少量摂った。夜九時頃、不安感を訴えたので、母が医師処方のメジャーのトランキライザー五ミリを嚥ませた。約十分経過後、テンカン状の発作がきた。もとは、この二十五ミリ錠を服用して平気であったのに、奇怪だった。これを境に――正確を期しがたいが――父は記憶を喪失した。字を忘れた。何もかも忘れてしまった。二週間後、恐れおののいた父は、新聞記事を原稿用紙に書き写しはじめた。ぼくたちは、もう父が再起不能と覚悟をした。だが、ありがたいことに、すこしずつ記憶が返ってきた。しかし、残念ながら充分ではなかった。
 ぼくの推定だが、中学生以後、習得した知識、経験はほとんど失われた。これはひとつの例だが、ぼくが勉強の暇に読んでいたエドナ・オブライエンの『カントリー・ガール』の読解を頼むとP・O・Dが使えなくなっていて、コンサイスをひき、苦慮するありさまだった。教会へ行き、ミサ後、マックメイド神父がいつものとおり母国語で話しかけてきた時、父は絶句していた。おかしな話だが、レンタルビデオで、父はヒッチコックのものが好きだった。既に観たものを、何度も借りてくる。それはいい。だが二、三日すると同じものを借りてきて観ている。母にとがめられて、ぼんやりとしている。まずいことになった。
 不幸というか、何と言っていいのか、これに加えて今年の三月、母の留守にまた酒と薬の馬鹿飲みをした。今回は一日で済んで被害はすくなくて終ったものの、父の人格、知性、感受性は、ここでまたもや、甚だしく歪んだ。一体、どういうことなのだろう。ぼくは、もう少し考えたい。とにかく去年は、魔の夏だった。
 とはいえ、そもそもふりかえってみれば、父の変質は、もっと前から始っていたのではないだろうか。慄然とする妄想に襲われる。抗鬱剤を服用しはじめた時は、割合はっきりしている。はじめ父は、薬を内科医から処方してもらっていた。ぼくはもう小学校五年生になっていたから、父と母の話を聞き留めて覚えている。八年前、丁度、妹はぼくと同じ小学校に通って一年生だった。ところが睡眠薬、トランキライザー、中枢神経興奮薬を使い始めたときが、はっきりしない。
 恐ろしいのは、向精神薬の遺伝子への影響である。とりわけおびえているのは、中枢神経興奮薬だった。ぼくがひそかに図書館で調べた限りでは、人間の遺伝子は、そうやすやすと薬物では左右されないと知った。ところがサリドマイド薬禍の例がある。黄体ホルモン剤投与の結果もあきらかではないか。ぼくは目下のところ、まず五体満足ではある。とはいえ、将来、どんな影響が現われてくるのか、現在、内臓がどうなっているのか、知ってはいない。
 おまけに深酒の若い時からの習慣は、母から聞かされている。ロクなことはない。その証拠はまず、論理がいま乱れ、父のことを案じて、変質の端緒《たんしょ》を探って書こうとしながら、自分を心配しているわが頭の構造にある。母や兄、妹の心配をしていない。話を戻そう。ぼく自身の記憶をたぐろう。
 父についてのはっきりした記憶は、すくなくとも四歳のときにまでさかのぼる。屋敷町の中、巨大な銀杏の樹がある小さな幼稚園の庭、ジャングルジム、砂場、遊戯室で母とともに、ぼくを見守っていた様子を覚えている。父母会や運動会の日だった。父はいつも着物姿だった。大抵、着流しで、痩せていて、顔色が悪かった。勤めを辞めていたので、年中組になったとき、幼稚園の送り迎えは父の役目だった。妹は生まれたばかりだった。卒園式の時、父母を代表して挨拶をした。口下手で酒か、あるいは後には、興奮薬がはいっていなければ、人まえで話が出来ぬ父にしては、珍しい事件だった。フィリパ・ピアスについて語り、挨拶にかえた。
 口ごもって、語尾は明瞭を欠き、子供心ながら痛々しかったが、説得力はあった。園長先生が喜んだ。何故知っているかと言えば、後に妹も同じ幼稚園に入園したとき、先生はまだ覚えていて、母に話をした。ところで、注意すべきは、父には虚言癖がある。冷凍庫のアイス・キューブに泡がはいっていると、これは氷が腐っているのだ、躯によろしくない、捨てろ、とか、金魚にエサをどんどん与えると真鯉、緋鯉になる、とか、ゴキブリも同じくエサを与え続けると、そのうち馬になる、――これはどうも時代感覚がずれた虚言だが――といった類いは序の口で、このての話は飽きるほど聞いた。しかし、かなりこみ入った微妙な詰もある。本当か嘘か分からないこともあった。これまた重要事項。要再考再記。
 このころ父はよく酒を飲んでは行方不明になった。どこへ行っていたか、今ではおおよそ想像がつく。家を留守にするといえば、旅行をいとわなかった。読書にも、時間を惜しまなかった。読書に疲れると、レコードを聴いていた。つまり、まともだった。妹を溺愛した。妹が二つか三つのとき、夜、父は自分のナイトガウンのふところで抱えていたし、妹もそうしてもらうのが好きだった。父は三十代も終わりにかかっていたはずだ。陶器――これはあとで書こう――が好きであったし、植物類や花に熱中した。絵をよく観に行った。写真展にもこまめに足を運んだ。カメラが好きで、蒐めていた。十台くらいあったが、いまは無い。
 ただ、腑に落ちぬのは、能、歌舞伎は別として、芝居、演劇に興味を持った気配がない。映画、テレビをも観なかった。ビデオを観はじめたのは、近年である。すこし頭をめぐらせると、父は動くものに自分を合わせられなかったのではないか、と考えられる。激しい人の動きには、付き合えない人間ではなかっただろうか。大きな動きに接したり、自分が動くと息が切れやすい。これで思い出した。父は幼時の喘息が中年になって再発していて、苦しんでいた。外出を嫌い、考えこみはじめたのは、この時期である。考え事をしている、というより放心している姿をよく見かけた。ぼくが八歳か九歳くらいのときだった。ぼくは、中学時代にバレーボールのセッターをやった。高校生になってからは空手をやったが、小学生時代、剣道をはじめた頃なので記憶に残っている。多分、睡眠薬、トランキライザーを使いはじめたのは、この頃だろう。仕事は、ほとんどしていなかった。
 父は趣味人として、珍しい例だ、とぼくには思えるのだが、高校生時代から陶器に関心があった。珍しい、というのは関心が問題なのではない。そんなに若い時から、自分の小遣いを溜めて、手の届く範囲の新進作家の茶碗、ぐい呑みを買っていた。大学生時代、会社勤務時代もこれが続いた。志野、織部、染付、青磁、辰砂、天目、三島手、伊賀、唐津、楽、祥瑞《しょんずい》、備前、萩、上野《あがの》、信楽、益子、まだほかに何かあった。急須だ。万古焼だった。「あった」というのは、今はもう、二、三を除いて、無い。明治以降、昭和も戦前までの初版本の類いは、すっかり失われた。
 ぼくは自分の狭量さがなせる判断だ、と思っているが、生き物でないものに興味を持ったのが、父の間違いだった。人を、もっと愛するべきだった。どんなつまらぬ人間であろうが、生身の人間に接するべきだった、と思う。しかも、蒐めたものは、会社を辞めてから次々と売ってきたし、陶器を買い漁る猟犬のような感覚、知識、記憶も失われてしまった。
 父は、何かにつけて罪責感にせめさいなまれる人だった。本や陶器を手放した日の父は、ぼくにもすぐに分った。その日は、決って酒に酔いをもとめた。恐らく薬も使ったのではないか。そのようにして、父は死にはじめたのだ。ぼくが小学校五年生のころ、父は日本酒を飲むときには、坂高麗左衛門のぐい呑みを愛用していた。自分の出身地のデパートで、一つ七百五十円だったから、二つ買った、と言っていた。父が十八歳、高校三年生のときであった。これも今は、無い。あれば中古車が一台買える。
 父は四十五歳から満四十六歳になる年、ぼくには分からぬが、何事かあったと思われる。人とのかかわりだったらしい。これは、そのうち母に聞いてみよう。六年前のことだ。その年の十二月、父は開腹手術を受けた。ウズラの卵大の胆石と、左後腹膜部副交感神経節由来による腫瘍という長たらしい病名のため、握り拳大のプリン状腫瘍と同時に左副腎を除去した。五時間半の手術だった。集中治療室で、術後に面会した父の躯は、腐ったサバのようだった。出血八〇〇cc。輸血は受けなかった。血清肝炎の恐れと、喘息の持病の主が全身麻酔を受ける危険を、父はよく知っていた。
 ここで思い出した。記憶とは不思議なものだ。この年、春四月の末、例の中枢神経興奮薬をどこで手に入れたか、ビニールの小袋に四十錠ほど持っていて、眺めていた。その姿が浮かんできた。鬱の治療を正式にはじめたのは、手術のため、大学附属病院へ入院後からだった。手術自体は、検査をふくめて、入院から退院まで、二カ月で済んだ。ぼくに、はっきりしてきたことがある。退院した父は、その日から酒を飲み出していた。この無謀な楽天主義は、抗鬱剤からきていたはずだ。父は、肥り始めた。メジャーのトランキライザーを使いだしたからである。平均体重より十五キロも痩せていた父が、逆に三十キロ近くも体重が増えた。
 一日中、眠っている日が続いた。肥って、服が合わず、父は再び着物姿で暮らすようになった。平衡感覚が狂ったのか、よく階段から落ちた。外出、旅行が稀れになった。あれほど好きだった音楽を聴かなくなってしまった。新聞、雑誌、本を読まずに日を過ごしていた。酒だけは飲んだ。時々、馬鹿に陽気になる。もっとも、平静でいる日もあった。それはあまり長く続かなかった。不安でいたたまれぬ日がしばしば訪れた。そんなふうに日が過ぎて、親愛の情を抱いている人たちが亡くなっていった。父は、こんな暮らしの中で、自分の父をも失った。来客が無くなった。ぼくは浪人をして知ったが、電話のベルは、ついぞ鳴らない。そして、去年の夏があって、この夏がきた。痩せはじめたのは、昨年だが、ここへきて目立つ。胃腸もぼけて、消化吸収能力が落ちたのだ。
 書くのが面倒になってきた。……ぼくは自分が何を書いているのか判断が付かず、支離滅裂になってきている。父はぼくの考えから、ずるっと滑り落ちていく。ぼくの父は、もう父でなくなった。父は小さな自分の畑を耕した。おのれを深く掘ったのかも知れぬ。しかし、血の畑へ落ちた。おのれの井戸へ落ちた。自己を解剖したが、縫合を忘れた。父には、他者に手をさしのべた時代がある、と言う。母が証言した。弱い人、困っている人には実に優しかった、と。だが、ぼくの考えでは、自己の弱さを他者に見出して、そこにいるおのれに手をさしのべただけなのだろう。本当の愛はなかった。それ故に谺は返ってこない。父を救う人は現われない。最近、父は自らを救いあげようと努力している様子が、かすかながらうかがえる。しかし、日記を書きつづけるのみで、自己の海に溺れて、おのれ自身にすがる愚かさを繰り返している。それではブローニー神父のもとへ、助けを乞いに行っても無駄だ。
 盲亀浮木に会う。むつかしくとも、父は、真実、他者を見出すときに、自己を見出し、甦るだろう。他人とは地獄である(あるいは逆か)、と言ったのは誰であろう? 乱読のたたりで、ぼくは混乱している。だが、地獄がなければ、天国もない。父は薬に冒されて、パウロの言葉をも忘れたのだろうか。キリストにあって、彼とともに死んだのであれば、キリストとともに甦って生きる。
 ここで恐怖がぼくを襲ってきた。父が背教者となった、とは思わない。だが、薬が信仰を冒しはしないだろうか。歪められ、形骸化された信仰。それでは、すべてが空しい。しかし、狂った人間に救いが無ければ、信仰とは何か? 父は、この夏、墓場の幽鬼になっている。「ルカによる福音書」第八章では、ガリラヤ湖の対岸、ゲラサ人の地で、墓場に棲む狂人がイエスによって救われている。奇蹟は無いのだろうか。
 有る。奇蹟は起こる。父はイエスに出会えばいいのだ。では、イエスはどこにおいでになるか。いやしくもキリスト者なら、誰でも知っている。イエスは、それぞれの人の中においでになる。父は人に会えばいいのだ。人殺しであろうが、倒錯者であろうが誰だっていい。狂人でも構わぬ。
 おや、ぼくの思考に逆転が起きた。狂った父の中にもイエスがおいでになる。そして、そのイエスによって、ぼくたちは救われていはしまいか。何故なら、ぼくたちは困り果て、絶望のうちにあるようでいて、いまだ希望を持っている。ぼくの中にイエスがおられる。ぼくたち家族の中に。「マタイによる福音書」第八章二十節には、ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである″とある。
 父はいまの状態にあってなお、救われているのだ。簡単なこと、非常に単純なきっかけで、父は甦り、醒めはしないだろうか? 眼をひらけばいいのだ。そうすれば、人が見える。

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 q 青い手紙(:○目次↑前章↓次章

 ジッタ、おかげんは、いかがですか。夏のお風邪、ほんとにこわいですわね。肺炎で入院とか、心配しています。
 バッタはお元気ですか。ジッタのお世話で毎日が大変でしょう。こちらは、じっとり暑く、毎日をそっと暮らしています。この手紙は夜なかの二時に書いています。ダダとミータンは眠りました。ミショウは隣りの部屋で、ことこと動いて、眠られぬ夜を起きています。
 ミショウは、来年の受験をあきらめたようです。いまの家の状態では、勉強は続けられない、と言っています。きのう、そっと部屋へはいると、壁にマジックで大きく書いてありました。
漫画《まんぐわ》の藝術的特徴《げいじゆつてきとくちよう》は不合理《ふがふり》の合理《がふり》、この一語《いちご》に云《い》ひっくされてゐるのであります″
 これは、藤山鷲太郎という人が描いた『名探偵茶本義助』という本の中に書かれている言葉です。ミショウはこのコミックばかり読んでいます。ミータンや、パクが寮から帰ってくると、叱るのですが、効き目はありません。実を言いますと、ノエも落ち着いて、勉強が出来ません。高校受験がせまっています。胸が苦しいのです。ミータンは、みんなの世話にくたびれています。
 この手紙〈親展〉にしました。誰にもことわらずに、書いています。ダダの体がよくないのです。この前のとき、気がつきませんでしたか。黙って、疲れたような顔をしていたでしょう。きっと、ミータンも秘密にしていたにちがいありません。それでなくてもパクやミショウ、ノエについて心配をかけているので、いやだったのでしょう。ダダは、悪い薬の中毒になっているのです。
ダダがお薬をのんで眠っている間、パクとミショウ、ノエ、ミータンの四人で相談をしました。薬を断つには、施設にはいらなくてはなりません。三カ月入院だそうです。最初の二週間はひどく苦しむらしいですね。
ミショウがどこかで調べてきました。ミータンも、主治医ではない、別の医師から調べたのです。その結果、二つの問題があります。一つは、入院する気になってからのいろいろ必要になってくるお金のことです。
もうひとつは、そのような方法をとっても、一度治りながら、また薬へもどる場合がある、という心配です。ダダは鬱病、おかげでむつかしい字を覚えましたが、この病気で不眠、気分不安定になって、薬の中毒になったのです。主治医は、鬱病がなおれば、薬なしで眠れ、中毒も自然と治まる、と言います。結局、鬱病をなおさなければダメです、といわれて長年薬をのんで、その副作用に悩んでいるのです。
 ダダは、いまでは、自分が鬱病だ、とは思っていません。すべて薬の副作用だときめてしまっています。それでいて、鬱への疑いも捨てきれないでいるようすです。ともあれ、薬が必要で、その薬でいろいろ悩まされているのです。薬が自然なかたちで、やめられればいいのです。ミショウは、それが出来るのなら世話ないよ、むつかしいんじゃない? と言います。不合理《ふがふり》の合理《がふり》″をやるのか、漫画《まんぐわ》≠セ、と言いました。
 これから先は、ノエの意見とお願いです。ジッタ、重病になってください。人手が必要、といってダダ、ミータン、ノエを呼びよせてください。ノエの勉強は場所がかわっても、困りません。ブラスバンドのコンクールが終わると、自由になります。パクは寮で暮らせます。ミショウには、留守をまかせればよい、と思います。時々、パクがカントクにくれば、すみます。いつもひとり暮らしがしたい、と言っているので、よろこぶでしょう。
 ダダは、あたりがひらけた広いところへ移り、歩きまわれば、薬を少くしていけるのではないか。これは、ミータンが聞いてきました。方法は、それからまた考えればいいでしょう。ミータンの郷里は、ダダの父母の郷里でもあるのでしょう? いつも、ジッタ、バッタの郷里が好きだ、と言っています。一生の仕事を終え、身を養っておられるところへ、こんなかたちでのお願いは、ほんとうにすみません、きっと早い日のうちに、わたしたち一家の喜びをさしあげられるようになる、と信じています。ジッタ、バッタ、ダダを呼んでください。ミータンも安心して帰れるので、よろこぶでしょう。正直言って、どんづまりなのです。助けてください。お返事、お待ちしています。ノエ。

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 r 帰郷・1(:○目次↑前章↓次章

 ミショウが歩いて行く。彼にしてはゆっくりなのだが、歩幅が違うので、わたしはどうしても遅れる。曇っている朝、風はよどみ、粘い汗が噴き出て、不愉快きわまりない。
「ベルト、買わなくちゃいけないな。こんなによれよれになって、恰好が悪い」
「買えばいい」
「お金貰える?」
「いくら要るんだ?」
「分からない。でも、安いのを探すよ」
「じゃ、検査終ってからにしよう。お釣りをやるよ」
「それなら、うれしいね。病院空いているかな」
「さあ。でも、予約してあるからね、大したことはない」
「でも、あとで暫く眼がよく見えなくなるのでしょう?」
「だと思う」
「何するんだっけ」
「散瞳するんだ」
「サンドウ?」
「点眼薬で、瞳孔を聞かせて、眼底を見るんだ。写真も撮るらしい」
「それだけ?」
「視力検査やるだろうね。眼圧もはかる。どれもこれもイヤだな。散瞳が特に憂鬱だよ。瞳が開き放しになって、眩しくて困る。フラッシュ焚くと、自分の眼の毛細血管が稲妻のように走って見えるのだよ」
「やったことがあるの?」
「ああ、今日で、二度目だな。だから、尾いてきてもらったんだ。帰りがね、危くて道が歩けない」
「結局どうなるの?」
「見えなくなってしまってから、片方ずつ手術だな」
 裏路を辿って、病院へ着いた。清潔で明るい。午前九時。待合室に先客がいる。歳を重ねた婦人が二人、女子高校生と見当がつく子がひとり。BGMにヴィバルディの〈ピッコロ協奏曲〉がかかっている。女医さんがひとりきりの眼科医院だが、看護婦さんは受附のひとを入れて三人いる。ミショウは手にしてきた参考書を読みにかかった。わたしは読書が出来るミショウをうらやんだ。十分か十五分くらいの短い時間でも、字を追うのが困難な状態になってしまっている自分を納得するには、不安でたまらない。
 薬を切れば、視力が回復するのではないか、と思っている。その一方で、損なわれたものは、もとにかえるはずはない、とあきらめている自分がいる。
「ダダ、呼ばれてけるよ」
 とミショウが言った。聞こえなかったのは、家を出るときに、薬を嚥んだからだ。冷房が効いていて、すこし寒い。検査室にはいった。長い髪をたばねて、眼鏡をかけた若くていかにも健康そうな看護婦さんが視力をはかってくれる。腰かけて、無意識に椅子を前に引いた。
「それ、ダメよ」
 と看護婦さんが、笑う。

「よく、やるひと、いるの、それ」
「そう?」
「家では、腰かけて仕事なさるのでしょう、坐り机ではなくて」
「まあね。両方だけれど」
「はい、真ん中の列、読んでください」
 努力をしてみるのだが、右0.2、左0.7。矯正レンズを入れ替えてもらっても、視力はそれ以上に出ない。半透明のブラインドが降りていて、視点を移動すると瞬時、視力が上がりそうな角度がある。しかし、眼を動かしても見えない。光る蔓が切れて、眼の中を泳いでいる。右眼の視力が、この前の検査のときより落ちている。今度は髪をソバージュにした年輩の看護婦さんが目薬をさした。椅子を立って、壁際の器械のところへ行く。目薬は二種類使う。眼圧は右が21、左が20。前回は19と17だった。危うい思いである。失明の恐怖に悩まされる。ところが皮肉なことに散瞳薬の効果があらわれて、あたりは明るく澄んできた。眩しい。
 診察室に呼ばれた。女医さんは、わたしと同年齢か、すこし若いくらいである。早口であまり感情がこもらない話し方をする。もう一度、眼圧をはかる。水色に光る小さなレンズがついた軸がのびてきて、眼球をおさえる。
「まえより、悪くなってきていますね」
「悪いですか」
「悪いですね」
「どんなふうにすればいいですか、毎日を」
「別に。普通になさっていて、いいんです」
「このまま……」
 と言いかけて、
「目薬を使ってもらおうかしら。いいえ、このまま暫く様子を見ましょう」
 とカルテに何か書き込む。
「右眼だけで、物を見ると、すこし暗くて黄色く見えます。夜、街灯や自動車のライトを見ると虹の輪がかかって、不快です」
「そうですか。患者さんによって百人百様ですから」
 あまり、とりあってもらえないまま眼底写真を撮ることになった。眼を閉じない注意を受けて、見開いたままで、押しあてたレンズの光の中で一層眩しいフラッシュが焚かれる。写真現像室の中で点っている赤色電灯の光のような色が視野に拡がる。これで検査はおしまいである。頭がぐらぐらして、足許がおぼつかない。待合室のミショウのところへ行く。眼球のまわりに、きらきら白い光が輝きはじめ、月蝕のことを考える。
「ミショウ、これで検査料払って、釣りをもらってくれよ」
 わたしは、お金を渡す。ゴムの樹の鉢植えがある玄関の自動ドアの外は、白光の世界である。
「ゆっくり歩けばいいよ、ダダ。ぼくの背中に尾いてくればいい」
「空晴れてきたな」
「何言っているの、相変わらずだよ」
「そうか。気分が悪い」
「気をつけて。水溜りがある。ダダ、このお釣り貰っていい?」
「いいよ、それでベルトが買えるかね」
「多分。いろいろあるから」
「スニーカーも要るみたいだな」
「見えない癖にボロだって分かる?」
「足りなかったら、ミータンに言えばいい」
「バイトすればいいんだけれど、時間がないから困る」
「それは、そうだ」
「ダダ、痩せてきたね」
「三キロ減った」
「心配だね、ダダの年齢だと。ガンのこと考えるから」
「大丈夫だろう」
「と思っていられるうちはいいね」
「そうだろう」
「ジッタの肺炎、重いらしいね。点滴してるんだろう? 入院して」
「そうらしい」
「お見舞いに帰らなくていいの? バッタが大変だと思うけれど」
「そうだな」
「ぼく、このまま買物に行く」
「昼はどうする?」
「いいんだ」
 ミショウは家の前まで、わたしをつれて帰ると、参考書を郵便函の中へ入れ、庭から自転車を引き出した。
 ミータンが昼の仕度をして待っていた。汗がひどいので、シャワーを浴びた。
「食事はいらない。ミショウはベルトを買いにいった。ビール飲むよ」
 ミータンは機嫌を損ねたふうで500ml缶を持ってきた。缶は冷えて細かな水滴をまとっていた。これで昼の薬を服用しないで済むのなら、非常にいい。わたしは自分の判断が間違っていないことを望みながら、ビールに口をつけた。出来るだけゆっくり飲もうと思ったので、グラスは置いて缶を持って二階へ上った。眼の調子は、幾分良くなってきた。
 日記を開いている。正午を過ぎたところ。単純化された半日が過ぎた。ノートを見ている視野に針先ほどの小さな光点が散っている。左の親指と人差指の間が硬直して、指に感覚がない。今日は加えて肩の付け根から肘にかけて、疼痛がある。
 ミータンが盆に小鉢を載せて、部屋にきた。鶏のカワをゆで、水にさらして脂を抜き、酢醤油で和え、鮮かなアサツキと紅ショウガを散らしてある。紅がにじんで、わたしの〈生〉を訂正する朱の印のように見える。ビールを飲む。
「ブローニー神父さまと、今度いつお会いするの?」
 とミータンが訊ねる。
「約束はしていない。こちらの電話次第だよ」
 と答える。いまのところ神父と会話を重ねても、解決は無い。
「それならいいけど」
 ミータンは階下に降りた。神父を訪ねた日が遠く、もはやどんな会話を交わしたか、記憶はおぼつかない。小鉢ひとつの酢の物を食べ、ビールを一缶飲み尽して、昼食は終った。ノエが午前中のクラブ活動から帰ってきた。ミータンを相手にひとしきり話をしてから階段を上ってきて、部屋に顔をのぞかせる。
「ただいま、元気? ダダ」
「お帰り」
 と言う。珍しく薬無しで睡気がきた。わたしは机にもたれて眠り、蒸暑く曇った午後、夢を見た。躯も精神も沈滞して、夢まであっけないものになった。何もかも枯れて、死んでいくようだ。
 夢の中で、渓谷の大きくえぐられた岩盤に、水が激しい勢いで流れていた。流れは澄んでいて、深くはないのだが切迫した気持は恐ろしく、悲しくもあった。斜面の岩棚にいても、水は滔々と走り、押し流されそうなので、上流に向って這っていった。泳ごうと試みて浅い流れの中で膝を打った。その痛みは、夢とも思えなかった。岩盤は滑らかで、手がかりになるものが、何もない。
 下流のほうは暗い断崖になっていて、険しい崖下の滝壺が轟々と音を立てている。すこしずつ流されていく。断崖まで流されてきて、水をかぶっているのだが、呼吸は出来ている。滝壺に落ちる寸前に眼が醒めた。
 水に浸っている悲哀感が、いつまでも残っている。午後二時。何も考えられない。典型的な鬱の症状でいる。一枚の木の葉を強い酸にひたして葉脈標本をつくる。小学校時代に理科の実験をした。自分は一枚の葉脈標本のようになっている。脆い一葉。
 何もあてにするものがなくなった以上、何でもあてにしなくてはならない。日記を辿りなおすと、今朝七時四十五分に薬を服用してから、何も嚥んでいない。希望があるのではないだろうか。耳鳴りがしている。歯ぎしりが始った。躯が揺れはじめている。呼吸がつまってきた。鼻先で息をしている。
 トイレに降りた。鏡を見る。人間は、どんなにみすぼらしく、いやしい境遇に墜ちても、その眼に自らが抜け出してきた深淵を残している。身震いがきた。今日の午後、希望という言葉が、実に空虚に響く。
「ダダ、お茶飲まない?」
 ノエが声をかけた。階下のほうが空気はかわいて、涼しい。ミータンがインディアン・ミルクティーをこしらえている。紅茶とミルクと砂糖を一緒に煮出して、茶漉しでカップに注ぐ。これに更にホイップ・クリームを落とす。ミショウが、この飲物にこだわっている。大好きなのだ。
「ベルト買ったか?」
 と訊く。
「見付けられなかった。いいのが無いよ」
「ダダ、眠っていたみたいね」
 ミータンがカップをすすめた。口に運ぶ手が震えてならない。
「薬、無理しないで、嚥んだらいいのに」
 時計を見る。この時間に断薬の試みをするのは無駄なような気になってきた。今日は病院に出かけなくてはならなかったから、朝、薬を嚥んでいる。わたしが服用している薬の罠から抜け出すためには、どうしたらいいだろうか。抗鬱剤は服用を中止して四日が過ぎている。これには禁断症状が出ない。トランキライザーと睡眠薬が、元凶だとはっきりしていた。幸いにも中枢神経興奮薬とは緑が切れている。
「音楽でも聴かない?」
 ノエには返事をしないで、震える自分の手をねじってみた。両手首の骨が細くなってしまっているのが分かる。
「どうして、すこしずつ薬を減らしてはいけないのかな。ダダ、出来ると思うのよ」
「そうだな」
 わたしは、あきらめて薬を嚥むことにした。またもや、今日は既に薬を服用してしまっている言い訳を自分に聞かせる。
「随分、我慢したんだ」
 呟く声が、我ながら情ない。ミータンにぬるい白湯をもらって、一錠服用した。午後三時十分。パクを別として、みんなが見守っている。我慢をしても、二十四時間一日の量ではかると薬は減っていない。わたしを含めて、この家を貧しくしてきた薬の効果がゆっくりあらわれてくる。絶望している。
「このミルクティー、すこし甘過ぎる」
「体力つくよ」
 とミショウ。ノエがCDを借りてきている。U2、ザ・ボーグス、ヴァン・モリスン、エンヤ。
「どれかけてもいいよ、怒らないから」
「ダダ、こういったひとたちが出てくる前にアイルランドへ行ったのでしょ? ミータンと一緒に」
「ああ。エンヤの故郷、ドニゴールへも行った。良いツィードが織られていてね、うんと田舎だよ、ダダはそこでジャケットとポケット・ハットを買った」
「エドナ・オブライエンの生まれたあたりへも行ったの?」
「西南部も行った、リムリックへ。古い港町コークからね。北はバンベグまで」
 わたしの時計の針は逆にまわって、乾草の匂い、クローバーに似たシャムロックの緑が冴え、ターフの荒野を吹き渡ってくる風が頬を撫でた。わたしはまだ薬に冒されていなかった。W・B・イェイツの「イニシュフリーの湖島」の詩が浮かんできた。
立ち上がり、行こう、さあ、イニシュフリーへ、そしてそこに小さな家を建てよう、粘土と編み枝で。……そこではささやかな平安が得られるだろう、平安はゆっくりと滴り訪れるのだから、朝霧の中からコオロギの鳴くところへと。そこでは真夜中は薄明、昼は紫に燃え、夕辺はベニヒワの羽搏きに充ちる。立ち上って、さあ行こう、夜昼分かちなく湖水は低い音を立てて洗う、街路や灰色の舗道にたたずんでいても、その昔がわたしには胸の奥底深く聴こえてくる……″
 ゴールウェイ、バリリのイェイツ・タワーへはもちろん行った。タワーへ通じる街道の林の風景は、いまだ玄関口の壁に写真となっている。コパービーチの赤銅の葉に輝く真夏の陽差し。イェイツ・タワーの前にあるティールーム。スコーンがおいしかった。ベン・ブルベンの山を見て、ドラムクリッフの教会墓地。イェイツの墓碑銘には、確かこう記されていた。醒めたる眼を投げかけよ 生に 死 に馭者よかけり行け!″
「わが家の聖水盤はコネマラ・マーブルなんでしょ?」
 とノエが言った。
「そう。コネマラからクリフ・モアへ行って、アラン島へ渡ったのよ」
 ミータンが呟いた。
「十人乗りの小さな飛行機なの。バランスを取るのに体重を荷物と一緒に測ってもらったら、ハーフ・パーソン、半人前と言って笑われたの覚えてる」
「座席が後部でひとつ空いていて、お葬いの花が運ばれていた」
「断崖で漁師が釣糸を投げていた。冗談が好きな男で、今日はスリー・ナインだと言った」
「何、それ?」
 ミショウが訊ねた。
「イニシモア島から大西洋のイシダイが、今日はよくかかるというシャレだ。スリー・ナインは一一〇番なのだよ」
「そうか? でも島にパトカーあるの?」
「ないよ、ダダたちが島をまわるのに、馬車をやとったところだから」
「タラの丘も行った?」
「ダブリンの郊外のアッシュボンからね」
「あちらこちら、よく行ったんだね、いまのダダから想像出来ない」
 ミショウが腑に落ちぬ顔でいる。わたしの眼に、かつて旅をした国の大きなシャノン河の流れが見えてきた。アイルランドには四十種類の緑があると言う。その緑を貫いて雄大に流れている河である。わたしとミータンはブローニー神父の生まれ故郷である中西部の町エニスから、アイルランド最大のキリスト教遺跡群があるタロンマクノイズへ行った。シャノン河は円塔やケルティック・クロス、聖堂跡、装飾墓石板がある斜面から美しく眺められた。
「何故アイルランドへ出かけたの?」
 ノエが尋ねた。
「大学生だったころ、尾島庄太郎という偉い先生からイェイツを教わった」
「それだけ?」
「アイルランドの西部では、この国と違った時間が流れているんだ」
「ワカラナイ」
「そうだろうな」
 クロンマクノイズで遺跡に入るオフィスを通らなくてはならなかった。何気なく踏んでいる床石には魚の化石が浮き出していた。化石板はアイリッシュ・コーヒーの故郷であるエニスの町の広場で、舗道に敷かれてもいた。昼休み、両替えのために銀行が開くのを待つあいだ、陽差しを避けるわたしとミータンを土地のひとはいぶかった。誰もが陽の光を好む。真夏でも摂氏二十二度を越えることはない。冬の長い国だ。
「ダダ、行きなよ。もう一度」
 ミショウが、溜息まじりに言った。ユニスの町の裏路地、ハンチング姿の老人が塀にもたれてひとり、パイプに詰めるプラグ・タバコをペン・ナイフで掌に削り落としていた。ジャケットのポケットからウイスキーのボトルが覗いている。時間は悠々と流れていた。わたしはダブリンのリッフィー川の橋の挟にあるピーターソンの店でパイプを買い、旅先でマーレイのヤッツマンやエリン・モア、コンドルを吸っていた。
 その頃、パイプのマウスピースから流れこむタールにもくじけない胃袋をそなえていた。アイルランドの料理はボリュームがある。ミックスド・グリルはその典型だと思えた。油がはじける鉄のプレートに火傷をしそうな熱さで載せられている巨きなステーキ、血の塊りから作ったブラック、ホワイトのプディング、ソーセージに惜しみなく盛り添えられるフライド・ポテト、グリンピース。日本でなら三人前の分量を、水がわりにギネスを飲んで平らげる。白身の魚、プレイスのフライもおいしい。ギネスの泡は絹のように細やかで、口、食道、胃をなだめてくれた。
 日没が夜の九時半。八時にはまだ陽差しが強い中で夕食を摂った。
 服用したトランキライザーが、ヨーロッパの極西の夏を再現している。その夏へ、南まわりで空路を辿り、カラチで飛行機を乗り換えた夜、待合室で扇風機がゆるゆるとまわり、大きなヤモリがベンチをするすると逃れた時間が重なっていた。旅の間愛用した量り売りの嗅ぎ煙草の覚醒をうながす香りが漂ってきている。わたしの失われた〈時〉。エニスの町で、店の軒に吊るされてあったショルダーバッグを、安く買った。それにはアイリッシュ・ハープの模様が刻印されてあった。三本のパイプと煙草、パスポートと財布をおさめ、哀切で澄明な音楽を奏でた。
 そのバッグをいまだ肩からさげ、病院へ通う歳月が空しく過ぎている。
「ダダ、ジッタとバッタのところへ、この夏帰ろうヨ」
 ノエが優しい声を出した。
「町の外を大きな河が流れて、山が見える。海が近い。暑いけれどいいところだよ。留守番、パクとぼくがやるからお見舞いに帰るべきだ」
 ミショウがうながした。そこでは灼熱の太陽が、すべてを乾かそうとしている。午後四時三十分。日記を今日はここでとどめ、余白の中で、暫く〈時〉を過ごしてみよう。陽炎のようなものが見えてきた。

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 s 帰郷・2(:○目次↑前章↓次章

 真赤なカンナが線路の石を茶色に焦がしていた。これから海沿いに走って行こうとするジーゼルカーが濛々と煙を吐いて、オレンジとグリーンの車体を震わせながら、発車の時刻を待っている。わずかな乗客が午睡を窓辺でむさぼっていた。駅の後ろの城山で蝉が鳴きしきっている。跨線橋が爽竹桃のピンクの花を背景に、陽に灼かれて鉄錆色をしている。誰もここを越える試みをする者はない。
 線路際を工夫の黄色いヘルメットが、二つ三つ黙々と陽光をはねかえしながら過ぎていく。町はどこもかしこも夏休みの、けだるい平和にまどろんでいる。公会堂前の舗道に落とされたソフトクリームのしずくをわずかに舐めた犬が、不満そうになおもあたりを嗅ぎまわってみるが、パラソルをさした婦人にうながされて、にわかに鎖を引く。街路樹の根方で、ジュースの空缶が握りつぶされている。
 町のそとをめぐる河の支流がまた分岐して流れ込み、ここの土地区画を買って出ている。川が二つに別れるところ、橋の袂に診療所がある。橋の上をトラックが過ぎる。橋が揺れる。カモメが水面にそって飛んでいく。小さな待合室は、無人である。
 診察室で、ダダが医師に話をしている。今日が初診ではない。思い出せないが、いつかの夏、この町へ帰ってきていて、薬が足りなくなって診察と投薬を何度か乞うている。医師はまだ若いが、暫くぶりで会うと、一層、白髪を加えていた。医師は辛抱強く微笑しながら、不定愁訴を聞いている。ダダの額に汗が噴き出ているが、その割には暑さを感じていない。
 同時刻、約七百キロへだたった東。留守番役のミショウは、ノートを買いに出かけて雨に遭い、雷鳴にとまどっている。そのことをダダは知る由もない。やがて話を聞きおえた医師が向きなおる。記憶の欠落、記銘力の甚だしい衰え、禁断症状のさまざま。白内障、緑内障の恐れへの対処を教える。
「あれこれ、くよくよこだわってばかりいないで、今日一日、どうしてもやらなくてはならないことを、すこしずつ順番に片付けたらいかがですか、ほかに方法はないでしょう?」
 ダダは自明の理を、医師からあっさり言い聞かされて愕然としている。薬との必死の戦いが、実に空しくなってしまった。診療室の窓の外で、カモメの飛翔が続いている。
「自分で覚えられなければ、人に覚えさせなさい。機械に記憶させればよろしいでしょう。ワープロでファイルすればいいし、手帖の活用も大いに結構だと思いますよ」
 ダダは断薬の試みを話してみた。医師はたちどころに答えた。
「それは、とても駄目です。無理です。ひとりでは出来ません。起き上がり小法師で、成功率は一パーセントですね。きっぱりと病院へはいって治療なさるのが一番です。あるいはあとせいぜい二、三十年の命、薬を上手に使って、楽しく仕事をなさったら、いかがです?」
 ダダは、ただ呆然としている。こんなに簡単に整理がつくのに、自分は一体、これまで何をしてきたのだろう。あれこれ心を砕いたのは、徒労に過ぎなかった。
「トランキライザーは、治療薬ではなく、現状解決、次の行動を考える余裕のための薬と思ってください。お分かりなのでしょう?」
 ところが、ダダは分っていなかったのである。無益に思い悩んだに過ぎない。その思い悩みを、また悩む愚かさ。ダダは二週間分の薬を処方してもらうと、礼を述べ、医師のもとを辞した。
 アイルランド海峡を渡るため、ヒースローの空港からエア・リンガスに乗った。シャムロックのマークをつけた飛行機がダブリンへ向けて無事上昇すると、機内に拍手が沸いた。ダダはミータンとこの底抜けの無邪気さに、自分たちもまた拍手したのである。かつてのあの習慣は損ねられず、現在も続いているだろうか。ダダの胸の中で、いまここでの拍手が響き、眼のくらむ強い陽差しのもとへ一歩を踏み出した。その一歩で、はじめて、今日また、この町へ帰ってきた、と思った。そして、一パーセントの可能性を、あらためて考えてみるのだった。
 この明るさの中で、これまでを振り返り見るのはむつかしかった。薬と上手に付き合う二、三十年を考えるのは、なおさら困難だった。ダダは小脇に抱えてきた地元の朝刊で、陽差しを遮りながら歩いて行った。

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 t 老いの町(:○目次↑前章↓次章

 ここでは、ヤマモモの樹が城山公園に植わっている。噴水が銀のチェーンをきらきら虚空に吊り提げている正午過ぎ。デーゴの樹に花が咲く土地である。その花の唇をした少女が人待ち顔に、町の賑やかな橋の袂で煙草のけむりをぽっと吐いた。お祭りがきたので、県外の観光客が物産会館のネーム入りの涼み団扇を手に、カメラをさげて歩きまわっている。気の早いのが、もう浴衣姿で、下駄を鳴らしている。
 ミータンは台所で、水仕事をしていた。ベンチレーターが勢いよくまわり、風が動いて、ここは涼しい。表の炎天を裏庭の青い葡萄棚が遮っている。床には、中央市場から運ばれてきた大きなクルマエビが、湿ったオガクズに埋もれて〈時〉の命を跳ねている。キチキチと鳴いている。ダダはお昼にタチウオ、コハダ、タコの握り寿司、ハラゴの甘辛煮にビール135ml缶二つの食事をした。午前中、町を歩いて、汗をたくさん出したあとである。
 玄関の陽なたに出したヤカイソウの鉢植えが、月夜の開花を待って、アサガオに似た蕾をひっそりと閉ざしている。この花が月光に白々と咲くとき、熱帯夜の雑踏の中でライト・リングが売られる。赤、黄、橙、緑、紫色に冷たい蛍光色を放つ理屈は、売り手も買い手もよく知らない。光がおとろえると冷凍庫に入れると良い、と言う。小さな女の子に負けず母親や若者がファッションのつもりで、これを手頸にして歩きまわる。いま、ライト・リングは露天のバケツの水に浸って一本に伸び切り、夜を待っている。
 ノエはミータンの妹の家へ出かけている。ノエは叔母をミクと呼ぶ。まだ小さな従兄妹《いとこ》を、それぞれウヌウヌ、パポパポと言って、いとしんでいる。悪戯盛りとまだ口のよくまわらぬ二人の従兄妹は、算数とピアノをノエから習う。
 食事が終って、ダダは清水の友禅流し模様、平茶碗にお茶をたててもらう。バッタは、ジッタの見舞いに、町の病院へ行っている。病気は寛解に向っていて、心配はない。テレビのある個室を抜け出て、ディルームの大型画面でゴルフのトーナメントを観戦している。
「また、歩きに出ようね」
 と、そこらあたりを片付けたミータンが言う。ダダは深夜、といっても朝方になって薬を嚥み、効果は再び寝入って醒めたときには失せているのに、次の錠剤を服用せずに済んでいる。夕刻、ミク、ウメウヌ、パポパポが揃ってくる。今日はパポパポの誕生日である。お祝いをする時刻にまで、まだ大分ある。
「かなり歩いても平気になった」
 平茶碗で、もう一服をたててもらいながら、ダダが言った。
「町へ出よう」
 城山公園をめぐる濠と川の流れが合わさるところまで来ると、青空高くトビが気流に乗って舞っている。町の中心へ出るのに、すこし遠まわりをして広い緑の公園を横切っていくことにした。水道局が送水管を利用して、公園へ橋を渡している。二人並んでようやく通れる幅で、この橋は水面高く架かり、強風時の通行、途中での立ち停まりを禁じている。歩くにつれて、かなり橋が揺れ、高所恐怖症のダダが緊張している。渡り切った公園の入口で、木蔭にゴザを敷き、のんびり将棋をさしている人たちがいた。さし手より観ている人の数が多い。アイスキャンデーを売る自転車が来て停っている。
 貯水場のそばに、テニスコートがある。ボールを打つ快い音に惹かれて、ダダとミータンはコートのほうへ歩いて行った。青春はやっと今朝過ぎていったばかりだ、という気がした。風も無いのに、青空のどこかからサギソウに似たカラスウリの花がレースのように、ふんわりと舞ってきた。十二世紀アードモアの円塔、クリスタル・グラスで知られているアイルランド南部ウォーターフォードの町だったと記憶しているが、午後、雨にあった。その国の夏の雨は、陽の光りに輝きながら、霧のように躯にたわむれて明るく降る。それが思い出されて、ダダとミータンはうなずきあった。
 テニスコートの金網に寄って立っていると、蝉が鳴き出した。蝉は緑色の金網にすがり、背よりわずか五十センチばかりの高さで鳴いている。左の翅に穴があいていた。ここに逝く夏がある。哀れのかぎりに鳴きやんで、つと網を離れ、おぼつかなげに弧を描いてマキの樹へ飛び去って行った。マキは鬱然として見えた。
 ダブリンのアッシュボンからウィックローのアッパー・レイクへ行った。湖で遊んで帰ってきても、陽はまだ高かった。プライス夫婦の車で往復した。マイケルは会計士、コンセプタは小学校の先生だった。マイクもコニーも、ついにダダの寡黙と放心癖を理解し得なかった。やがて薄明がきて、コニーがダダの憂愁に、ケロシンのランプをともし、何に対して困惑しているのか、と問うた。答える言葉は見付けられなかった。翅が破れた蝉が休らうところ、マキの樹の蔭は大きく、濃く見えた。ダダとミータンは、その樹の下を通り、公園を横切って行った。
 広場のハゼの樹にクロアゲハが舞い、シオカラトンボが漂い飛んでいる。町の人がたてた投句箱があり、チョークで俳句が書き記されている小屋根付きの黒板を覗く。子供の投句に眼がとまる。
銀の道のこして歩くかたつむり″
ひまわりはひなたのほうが大きいよ〃
羽をだく落ち蝉を見てあともどり″
 公園から歩道橋を渡って、町の雑踏に分け入った。土産物店を丹念に見て歩いている、県外からの観光客の姿にまぎれて、ダダもミータンも、この土地に縁なきよそ者のようだ。そして、そんなふうに見られるほうが安楽な気持がしている。
「おおい、おおい」
 と誰かがだれかを呼んでいる声がする。その声は大きい。人混みを分けて老人が連れ合いを呼んでいる。
「おおい、おおい、待ってくれよ」
 声はかれて、悲しげだった。誰もが好奇の眼で振り返った。麻地に見える明るいグレイの帽子、オレンジ色のシャツ、帽子と同色のスーツ。底地の厚い茶色の靴を履き、手にはおおよそ二メートルの赤く塗った竹竿を持って、これを前に突き出している。この暑い日に軍手をはめていた。どうやら竹竿は、老人を引く、導き手の連れ合いがこれを手放してしまったらしい。
「おおい、おおい、迷い児にしないでくれよ」
 連れ合いは麦わら帽子をネッカチーフで顎にとめ、原色のプリント地の洋服姿で、四、五メートル先にいる。こちらは呼びとめられるたびに、何やら早口で叫び返しているのだが、よく聞き分けられない。
「あれ、夫婦だね」
 とダダが、ミータンに訊ねる。
「七十歳くらいかな」
「そんなにもならない、よく見てごらんなさいよ。ダダくらい」
「ほんとかい?」
「おおい、おおい、待ってくれよ」
「ほら、あそこに坊やがいる。息子さんはパクくらい、二十三、四よ」
 ダダが見ると、黄色いTシャツの青年が二人から距離をおいて、恥かしそうに立っていた。
「おおい、おおい、帰れなくなるよう」
「可哀相だわ。ダダも薬を嚥んでいると、いまにあの老人よ」
 若者たちが、笑いながら過ぎて行く。
「オイ、オイ、だって。ここは老いの町カヨ?」
 ダダとミータンは足を速めて、先へずんずんと歩いて行った。ダダは洋品店へ寄ると、必要もない櫛を買った。ツゲではなくローズウッドであるのが気に入らなかったが、それでも買った。やりきれない気持がしている。ついで文房具店へはいって、この町の地図を買い、拡げると、いま自分たちがいる場所を確かめた。陽はかすかに西に傾いたかと思えた。

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 u 停留所(:○目次↑前章↓次章

 廃墟となったアビーへ行った。陽に灼けた石が夕暮れ、冷えていくように日が過ぎた。夏の名残りのバラ――「庭の千草」で知られているトマス・ムアの詩と楽譜をカハル・カレンが探し出してきてくれた。キルケニー、バンフォードのカハルの家からシトー派キルターリ修道院、ジャーポイント修道院をまわった。回廊の床に墓碑板が埋まっていた。長い時間と人の足で擦り減った文字を読み取るのは、困難だった。そこで眠っている人を踏んで過ぎるのは、さらにむつかしくためらわれた。バンフォードの町外れの家、裏手には青リンゴの樹が植えられ、牧場が拡がっていた。家の軒にツバメが巣をつくっている。カハルはコンセプタの兄で、やはり学校で国語を教えていた。カハルとキャサリンには一歳と三カ月になる女の子エヴァンがいた。キャサリンも先生で、音楽を教えている。
 芝刈りを手伝ったあと、キッチンの窓から牛たちを眺めた。ミータンはエヴァンの子守りをしていた。その間に、シチューはゆっくり煮られた。骨付きのラム、タマネギ、ジャガイモ。アイリッシュ・シチューは塩とコショウだけで、あっさりとした味付けだったが、ラムの肉がとてもおいしかった。カハルは義弟のマイクと同じくパイプをいつもくわえている。赤褐色のサンドブラスト風に仕上げられたフル・ベントの大きなパイプだった。煙草を削るナイフがなまると庭に出て、石ころで刃を鋭くした。砥石など使わなかった。
 一日、ダダとミータンは車で町の中心地まで送ってもらうと、夕刻の迎えを約束してもらって、キルケニー・キャッソルを見物したあと、買物に歩きまわった。ゴートの敷皮の毛なみが非常に美しかったので、贅沢なお金を使った。ダダはタバコの知らない銘柄を漁っていて、イスラエル製の水パイプを見付け、花瓶ほどの大きさのあるこのパイプをとうとう買った。練物のメアシアムのボウルに、普通のパイプの十倍、二十五グラムの煙草が詰まるのだった。その夜、カハルと試喫してみた。長いとぐろを巻いた煙管をのばし、カハルとダダは寝ころがってみたり、あぐらをかいて坐ってみたりして、かわるがわる吸った。とても吸い切れるものではなかったが、この国には時間がたっぷりとあった。ミータンとキャサリンは、煙草を吸うのにあれこれ苦心をしている二人をけらけら笑いながら見て楽しんでいた。ダダとカハルは、この夜、一層、打ちとけたのだった。
 翌日、カハルが左胸の痛みを気にして、イスラエルのパイプが狭心症を引きおこすかどうかについて、ダダと長い議論をたたかわした。この国の人は議論が好きで、何でも討論のテーマになり得た。お互いに充分意見をつくすあいだ、裏の牧場ではホルスタインがたたずんで尾で蝿を追ったり、うずくまって長いながい反芻をしていた。牛たちは陽光の中で、カハルやキャサリン、ミータンやダダが知らず、彼等自身も知らぬものを待っていた。そして、何か知らないものを、ただあてどなく待つということは、言われなく心を明るくさせるものである。ここ南部のキルケニーにいると、すでにめぐってきた西部の樹木が無く、石囲いと起伏する草原地帯ドニゴール・ハイランドの風景や、コネマラの広野に放牧されている羊たちの姿が生々と甦った。それは、我々がすべて、ただ、待つものであることを教えてくれた。
 朝からあちらこちら歩きまわり、城山公園へ戻ってきて、公会堂口にあるバス停留所へ来た。瓦屋根がふかれ、城門風の小屋になっていて、古びたベンチがバス運行系統図を示している壁際にある。ベンチの隅に汚れた座蒲団が積みあげられているのだが、その一枚を抜き出して、おばあさんが日傘の柄に両手を重ね、坐ってバスを待っている。コンクリートの床は緑のペンキが塗られた痕跡が残っていて、亀裂を走らせていた。壁にはもう遠くの昔、市の観光課がつくったポスターが貼られていて、松の枝を透かせて白い砂浜と島々を見せていた。バスの運行時刻表は一時間毎の巡回を教えている。しかし、時刻が過ぎてもバスは来ない。おばあさんは眠っていて、ダダが陽を避けてはいってくると一度眼を開いたが、安心してまた眼を閉じた。壁の貼り紙は破れかけて、黒のマジックは色薄れながらも、バス停が五十メートル北へ移動した、と教えている。おばあさんが土地のひとであるのは明らかで、それを教えるのは余計なお世話である。
 それに新しく移転したバス停は、よく見えているのだが、ここへもバスはいまだ来ない。ダダは何か臭うと思って見まわすと、タバコの吸殻の散らばったあたり、ビールの空缶が山となっている。過ぎた祭りの夜が、ここに残っていた。忘れ物かどうか、ビニール傘が吊りさげられている。ともかく、ここは疲れをいっとき休めるには、いい場所だった。夜、眠れなくなるのを恐れなければ、寝てもよさそうである。照り返しの暑さは、さほど気にならない。それほどまでに疲れている。疲労は快かった。土鍋でとろとろと干しプラムが、いい香りを漂わせて根気よく薫られている。レモンの輪切りがはいっている。水だけから煮上げていく。ほかに何も入れない。プラムがふっくらして煮つまったところで、冷えるままにする。朝食のひと品に、あるいは午後、手づくりのスコーンと紅茶に向く。躯のためには、とても良い。腸の健康を整える。ブローニー神父がそう言った。干しプラムを煮るような匂いが、アイルランドを遠く離れたここの夏の大気に漂っている。煮つめられていくものの満足、安らぎが夏の陽照りの中、歩きまわって躯に溜っているのがよく分かる。
 おばあさんのバスは、そのうちに来るだろう。このひとが乗るのは町の外を流れる大川を渡った田舎行きのバスであろう。そこでは大きな息子とその嫁が待っているに違いない。昼間、薬を嚥まなくても済む日があった。いま歩きに出ても、シャツの胸ポケットにパネルパックの薬を忍ばせているが、必要は感じない。バス停前を制服姿の女子高校生が、四、五人自転車で連れ立って通って行く。彼女たちの制服を、かつてミータンが着ていた時代があった。ミータンと出会った頃が思い出された。結婚したころ、この町には信号がなかった。信号が一つ出来たとき、珍しくて、わざわざ渡りに出かけた。この町へ帰ってくる楽しみが増えた。夏休みばかりでなく、冬休みにも帰ってきた。冬には大川で獲れるボラの腹に、ミソを詰めた焼魚で日本酒を飲んだ。ボラのヘソと呼ばれる胃袋は、ほろ苦い。その苦さに似た経験を蓄えたが、ついに酔いの中にまぎれた。薄氷のような脆弱な精神は、ついぞ、きびしい将来を展望しなかった。しかし、夏のこの陽のもとでは薄氷も溶けて蒸発し、乾いて跡かたもとどめない。後悔はしなかった。新しい創始につながらない後悔は、しないほうがよい。後悔は、強い酸で、腐蝕を招くだけのものである。いまは何も考えず、ひたすらに歩き抜けばよい。ここは故郷である。そこを歩きつくせばいい。
 アイルランドには聖パトリックの守護のおかげで蛇がいない。安心して野原を歩きまわれる。ただ、用心しなくてはならないのは、その棘が足をさすと、一週間は悩まされる草がある。目立たぬので気をつけなければならない。花をつみにうかうか踏み入ってはならない。この町のいたるところに思い出があった。うっかり踏みこむと、苦しむことになる。ウィックローのアポカ渓谷で、このことを教えたのはマイクである。教えられてから、実は何度もその草に近寄っていた、と知った。危いところでまぬがれている。昼の薬が途切れて、離脱症状の呼び返し現象が出るときがあった。ノエが可愛がっているウヌウヌ、パポパポが遊びに来ると、慕い寄られて応対に困るとき、顔面に痙攣が走り、両腕に脱力感が訪れる。何故そんなふうになるのか、訳が分からなかった。食事のとき、箸が使えなかった。幼い眼差しが棘となった。バスの停留所で、いまだ来ないバスを、ゆっくりと待つ気持が必要だった。歩いて帰るには、疲れて遠くなった距離を埋めようと、ダダは立ち上って歩き出した。

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 v 夜(:○目次↑前章↓次章

 タラの丘から遠望が出来るダルガン・パークの大神学校へ行った。磨きこまれた長い廊下を辿り、大食堂で夕食をしたためた。ここでは一日の終わりの食事は簡素だった。トーストにバターかジャム、幾らでも注ぎ足されるミルクたっぷりのお茶と果物。煙草と会話。食事のあと司祭たちの墓地へ出た。墓碑には、彼等がおもむいた世界各国の任地の名が記されている。芝草の香りに包まれて、死者は安らいでいた。静かで明るい永眠の連祷がささやかれ、ロザリオの珠の言葉が幻聴となってこぼれている。それを頑丈で背の高い鉄柵が囲って、冷えびえと夜を招いていた。北部バンベグのたそがれ、小さな町はどの家でも焚かれるターフの煙で薄紫にもやい、夜は早く訪れる。丘のホテルのアネックスでの眠りも、ターフの色をしていた。ゲール語の柔らかな響きが耳に残って、安眠を助けてくれた。一日中歩き、疲れきり、しこった筋肉がほぐれた。あらゆる考え、思い悩みが解き放されたところで眼を閉じる。しかし、現在、ここではいまだ眠るためには薬が必要だった。躯は眠ろうとしているのだが、頭は醒めたまま悪い夢を見るのだった。水に溺れて苦しむほどの、もだえがくる。強い薬を嚥まなければならなかった。そのあとでようやく眠りが来る。ターフが掘り取られたあと、風に純白の雪のようなワタスゲがなびいている。その花のような安らぎが来て眠る。土地の人の発音でトフとしか聞きとれない草炭《ターフ》が山と積み重ねられ、冬に備えて乾いてゆく。それほどゆっくりと、生乾きの土のような眠りにおちる。

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 w 真夜中(:○目次↑前章↓次章

 夜中、一度は眼が醒め、深夜覚醒時の薬を嚥む。夢ともうつつとも思える町の広場に、人の輪がある。円陣の中に仔牛ほどもある巨きなアイリッシュ・ウルフ・ハウンドがいる。二人の男が交互にコインを空中にトスして、表か裏を賭けて戦っている。この単純な遊びに、時は過ぎてゆく。喚声のうち、見物の男たちはお互いに二人の男の勝負に賭けをしている。誰もが熱くなっている。コインは飽きられることなく、空に投げ上げられる。頭を冷やしに誰かがパブに駆け込む。階下に降りて冷蔵庫から缶ビールを出し、タブを取って飲むところを考えながら再び眠る。

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 x 風景(:○目次↑前章↓次章

 橋を渡り、これまで足を向けたことのない町のほうへ行った。晴天が続いている。強い紫外線は、短期間に一見健康そうな皮膚をつくった。十字路を曲がると民家に見まがう小さな郵便局があった。その隣りの軒の低い店には、スズムシあります、と張り紙があった。トリモチ、釣道具、エサも売っている。その先へ歩いていくと、ほぼ三十年前の懐かしい記憶の風景が展けてきた。赤錆びたトタン張りの平屋の共同住宅街で、家の前に浄化槽があり、空気抜きの煙突が斜めに立っている。路上に三輪車と、錆びた洗濯機がある。スダレの窓越しに、家の内部が覗けて、昼寝姿が見える。座蒲団を枕に、団扇の手を顔にして寝ている老婆。真昼、人影がない。畑がある。ドラム缶がかしいでいる。サトイモ、オクラ、インゲン、ミニトマトが植わっていた。花も気まぐれに咲きみだれている。ケイトウ、ムクゲ、トラノオ、百日草、サルビアといったところだ。街灯が立っているが、アルミニウムの傘をかぶって、灯は消し忘れられている。
 溝にカニがいる。サトイモの葉裏にカタツムリが這っていた。いつかどこかで見た景色だと思えているが、今日はじめての場所である。空に雲が湧いていた。この町にまぎれてとどまり、何もかも打ち捨てて、生活を新しく始められないものだろうか。何か冷たいものが胸にひたひたと打ち寄せてきた。

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 y 石(:○目次↑前章↓次章

 人は、その好むところにいつまでもとどまれるものではない。いつか帰らなくてはならない。旅先で人は、しばしばそのように考える。そして、人はいつ、どこにいても自分が旅にいるのだと気付く。
「クスリ、減ってきたのね」
 とノエが言う。
「すこし。ほんのすこしだ」
「よほどラクそうよ」
「そうかな」
「ソウヨ」
「帰っても、このままでいられるといい」
「大丈夫でしょう。今日出来ることは、明日も出来るのよ」
 とミータンが横から言う。
「だといいけれど」
「新聞束ねて、どうするの?」
「送るんだ。帰ってから、もう一度読む」
「ミショウが驚くわね」
「何かいいものと勘違いしてサ」
 あまり多くない荷物は、すぐに整理がつく。
「何日暮らしたかな」
「二週間。ミショウが困りはじめたみたい」
「そう? 帰ろう」
「ジッタは、もう心配ないし」
「遠くて暗いところへ帰るような気がする」
「ダダ次第。もう六時よ」
「そうか。ビールの時間だな」
「ジムおじさんの時間よ」
 アイルランド第二の都市コークでは、ジム・オドリスコールさんの豪華な邸宅に泊った。ジムおじさんはパブの経営を弟にゆずって、釣りをして暮らしていた。白髪痩身の紳士で、七十は過ぎていると見えた。応接間のマントルピースに置いたビールのジョッキには、独身主義者に乾杯、と記されていた。コークの人は早口で知られているが、ジムおじさんは格別だった。話を聞き分けるのに一苦労する。最初は照れているのだ、と思っていた。滞在している間は釣りをやめ、車にボートをつないだままにして、何やら忙しげに家を出たりはいったりしていた。お酒が大好きだったが、昼間は一滴も口にしなかった。午後も三時が過ぎるとジムおじさんは殊更に口早やになり、落ち着かない。五時が過ぎると、あとは唇をひき結び、時計を睨んでいる。六時、たまらず寝室に飛びこんでいって、まずコークのウイスキー、パディをひっかける。そのあとはやはり地元産のビール、マーフィを飲みはじめる。アルコールがはいると、話はとどまるところを知らなかった。
 しかし、その雄弁は好んで独身主義者となった理由に触れることはなかった。背筋を正しくのばして元気一杯に振る舞っていたが、どこかに悲哀が漂っていた。それは蒐めている銀の食器のように高価で清潔なかなしみだった。本当に高い値いを支払ったのだろう。滅多に触われそうになかった。ダダもミータンも客人としての礼儀を守った。ダダはビールの相手をしながら、断わりを言って手紙を書いた。
「誰に、何を書いている?」
 とジムおじさんが珍しそうに覗き込む。
「子供たちに、ここでの様子を書いているのですよ」
「マーフィがうまい、と書いてくれないか」
「残念ながら、まだ未成年です」
「なに、かまうものか。いまに大人になる」
「さて、と。切手が要りますね」
「あるから、待ちなさい」
 ジムおじさんは、手紙の束を持ってきた。探しあてると切手をはがし、ダダの手紙に貼り替えた。
「これで大丈夫ですか」
「心配ない、もうスタンプが押してあるのだからね」
「アイルランドの郵便局は寛大でも、日本はうるさいですよ」
「黙っていれば分かりはせん。この消印は古くて、わたしにも読めないのだから。マーフィのこと書いたか?」
 ジムおじさんが十五世紀のブラーニー城へ案内した。珍しくここで初めて日本人の観光客一団に会った。
「わあ、大変だ。日本人ばかりじゃないか。いまにアイルランドは征服されるかも知れん」
 ジムおじさんは眼を丸くした。観光団は若い人たちだった。ロンドンで英語研修を済ませた帰りだと言う。フェリーでコークの港へ来ている。学生たちのほうでも思いがけず出会ったダダとミータンに話しかけてきた。
「どうしてまた、ここに?」
 彼等は何故か英語で問いかける。
「日本語で喋りなさいよ。わたしたちも遊びに来ているのよ」
 とミータンが笑いながら言った。ブラーニー城の塔の上には、ブラーニー・ストーンがあった。あお向けに寝て、この石にキスをすると弁舌さわやかになると言い伝えられている。石はひとところ、数知れぬ人々のキスで黒く変色していた。ジムおじさんが、試してみなさい、としきりにすすめる。石の手前の床は四角に切られて、そこから塔のはるか下の庭園を歩く人たちが見える。鉄棒が渡されていて、ここから落ちる心配は無い。しかし、高所恐怖症のダダはしりごみをした。かわりにミータンが試みた。ジムおじさんはひどく喜んで、満足そうに息をはずませながら両掌をこすり合わせていた。
 とある日、ジムおじさんの家を朝早くに出て、コーク駅前から一日、遊覧バスに乗り、キラーニーへ行った。この日、ジムおじさんは釣りに出たようだった。翌朝、いつものとおりキッチンで朝食を調えていると、冷蔵庫の中に一尾の鱒がいた。調理しようか、と言うとオレンジとお茶だけの朝をしたためていたジムおじさんは、いや、と首を振った。独身主義者は二日酔いに悩まされているようだった。
 ジムおじさんのもとをおいとまする日、記念写真を撮った。椅子に腰かけたジムおじさんは快活に喋りながらも、わずかに躯を震わせていた。日本に帰り、礼状に添えて写真を送った。返事は弟さんから返ってきた。ジムおじさんはダダとミータンを送り出してから間もなく、心臓発作で亡くなっていた。ジムおじさんの生涯は、知るかぎり、幸福であったはずである。それでもその人知れぬ孤独はダダに伝わり、冷たい小さな石のようなものを躯の中へ埋めた。
「こんな夏の宵になると」
 とダダは言った。
「思い出す人はたくさんいるのに、どうしてもジムおじさんのことになる」
「ゆっくりビール飲んでね。急がないで」
 ミータンのすすめにしたがい、時間をかけて飲む。帰国するためにダブリンへ戻って、マーフィを探したが見付からなかった。飲み重ねても飽きのこないマーフィを、ヒースローの空港で、出発の遅れた飛行機を待ちながら探してみたが甲斐はなかった。ジムおじさんが歓待のほどを尽したのは、おそらくダダとミータンが最後であっただろうと思われる。多くを与えられたものは、より多くを求められるであろう。いまからは与えることに心を傾けるべきであった。愚かさのゆえに、多くを失った。命を浪費してきた。自分に与えられたものは何ひとつ無駄にすべきではなく、人に捧げなくてはならないものだ。何もかもを失っても己れは残る。そして、最後の神秘とは自己である。それは石を宝石に聖変化せしめるであろう。卑下と屈従、屈辱の瞬間にあっても、美しいものは輝く。

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 z 歩く影(:○目次↑前章↓次章

 留守の間、小さな家は生ゴミの容器のようになり、ミショウは痩せていた。思うほど受験勉強の成果はあがらなかった。口数が少なくなった焦慮のうちに、秋を呼ぶ台風の気配の日が訪れた。夢の末がほつれ、醒めて蝉が鳴き出すように、薬が誘われて多くなる日が続いた。ダダは、また歩きはじめた。朝早く起きて、表へ出る。毎朝、同じ道を往復した。歩いてみると、歩く仲間がいた。いずれも老年の人たちである。挨拶の声をかけて追い越していく。まだ追い付かれたくはなかった。正午が輝かしい色彩を繰り拡げるところへ、いまひとたび辿り着かねばならない。
 アイルランド中西部クレア州ユニス。クザック公園のそばクロンロードに、テレサ・マクグラーさんの経営するB&Bがあった。ご主人のトマスは農家でひとり暮らしをしている老人たちを巡回訪問する看護夫をしていた。夫婦にはディアドレというお嬢さんと、クルウガルという坊やがいた。いい宿だった。自分たちの家にいるようで寛げた。ここを足場にあちらこちらへ足をのばすために、長く滞在したからすっかり仲良しになった。朝食はオレンジかグレープフルーツのジュース、卵の目玉焼、ベーコン、ソーセージとトマトのソテー、ミルクたっぷりのコーンフレークとパン、お茶といった献立てだったが、お昼の食事を忘れるほどの量だった。
 午後、宿に戻ると、テレサさんが焼いたクッキーやアップル・パイが出た。庭の木蔭にテーブルがあり、そこでアイリッシュ・コーヒーをご馳走になった日もあった。なによりもの心尽しは、急ぐことを知らない優しい会話だった。ある日、テレサさんのお姉さんの農家へ案内された。庭先にはマリーゴールドが咲き乱れ、紫のクレマチスがアーチにからまっていた。庭では仔牛が鼻先で妖精のラプラコーンのオモチャを転がしていた。本物の妖精は姿を見せなかったが、どこかにうずくまっているように思えた。鋤き返された土が、陽の光にいい匂いをさせている。ルーバブーのように冷えて甘酸っぱい時間が流れていた。しかし、怠惰はそこになく大いなる充溢があった。空気はやわらかで心地よかった。豊饒な大地があった。
 耕すべき大地はまだ残っている。そこへ帰らなければならなかった。ただ、このままひたすらに歩いて行けば、必ずもう一度辿り着ける確信があった。薬はその呪縛を解くだろう。すべてが内部から発光しているように見えた。太陽は高く輝いていた。間に合うはずだった。そのように信じたかった。しかし、すべては夢で、今またひとつの夢に踏みこんで行こうとしているのだ、とも思えた。

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 z’ あとがき(:○目次↑前章

 本篇においては、ただひたすらにダダと呼ばれる「壊れかけた器」の魂の消長を忠実に写そうと試みた。擱筆をして、この試みに成功したかどうかの判断は、最早読者に委ねるしかない。ドイツ神秘主義の祖マイスター・エックハルトは〈あなた方を完全性に運んでゆくもっとも速い動物、それは苦悩である〉と述べている。果してダダは、充分に苦しんだであろうか。またそれをひとしく写し得たであろうか。これも読む人の心に、判断をあずけるのみである。願い、思うに、ダダはいますこし生き得るであろう。
 これを長期にわたって記すにあたり、阿部晴政氏のかぎりない忍耐と「文章」編集部の方々のご協力に対して、心からの感謝を捧げる。
 一九九〇年八月
[#地から1字上げ]筆者

底本:「氷河が来るまでに」河出書房新社
   1990(平成2)年09月28日初版第1刷発行
初出:「文藝」河出書房新社
   1989(平成1)年春季号〜1890(平成2)年夏季号掲載